結局、「中国式」と「改革」の連呼、合わせて「習ヨイショ」で幕 ―中国共産党「3中全会」終わる

 慣例に背いて半年以上も開かれず、様々な憶測を呼んでいた中国共産党の第20期3中全会(中央委員会総会)は7月15日から18日までの4日間、北京で開催されて幕を閉じた。
 前回も書いたように、今回の会議は2022年秋の共産党大会で総書記3選をはたした習近平が、「一強体制」といわれる独裁色の強い体制を率いて、これからの中国をどう運営してゆくか、その政策、方針を打ち出す場として注目されたものであった。だが、通例となっていた大会1年後の昨秋には開かれず、結局、半年以上も遅れてやっと開かれたのであった。
 現在、習近平政権にとって内外情勢はきわめて尋常でない。友好的な関係にあるロシアのプーチン大統領が2年半前に始めたウクライナ侵攻を中国はなかば公然と支持しているため、西側との関係は当然、ギクシャクしがちであり、そこへ中国からのEV(電気自動車)やリチウム電池、太陽光発電設備などの大量輸出に対する各国の反感が広く表面化して、対西側外交は苦しい立場に立たされている。

 国内経済はコロナの影響からは抜け出したものの、数年前からの不動産不況は実質的に打つ手なしといった形で、政府はその場しのぎの「対策」でお茶を濁している状態だし、それとも関連して地方政府の債務の膨張、さらには若年層の失業率の高さといった従来からの難題がますます困難さを増して立ちはだかっている。
 それだけに、今回の会議は遅ればせながら習一強新体制の内外政策がどのような形で現れるか、注目されたのであった。しかし、結論をいえば、それは期待外れに終わったとしか言いようがない。
 会議の後、それを総括する5000字ほどの長さの「公報」が発表された。タイトルは「さらに一歩、全面的に改革を深め、中国式現代化を推進しよう」である。そして読んでみると、タイトルのこの2つの言葉がやたらに出て来るのにびっくりする。
「さらに一歩、全面的に改革を深め」が12回(うち2回は、「さらに一歩」がつかない)、そして「中国式現代化」が11回、それぞれ登場する。
 こう書くと、「改革」と「現代化」、それぞれについて詳しい説明がついているように思われるだろうが、そうではない。「改革」なら、どんな部門のどんな問題が改革を必要としており、改革にはどんな困難がある、したがってどのように改革しなければ・・・ということは書かれていない。

 どんな文章か実例を・・・。「さらに一歩、全面的に改革を進める総目標は中国の特色を持つ社会主義制度を引き続きよりよく発展させ、国家の治理体系と治理能力の現代化を実現するためである。2035年までに高水準の社会主義市場経済体制をつくり上げるには、中國の特色を持つ社会主義制度をさらに完全なものとし、国家の治理体系、治理能力の現代化を基本的に実現し、今世紀中葉までに社会主義現代化強国を建立するための固い基礎を定めなければならない。」
 文中「治理体系」とか「治理能力」とか見慣れない言葉が登場するが、これは行政能力より一段広く「治世能力」とでもいったものを指すと考えられる。こういう全体論が大部分で、直面する具体的な困難や問題をどう改革するかといった差し迫った問題は登場しないのだ。

 それでもただ一か所、最後の方に具体的な懸案を取り上げた個所があった。
 「総会は次のように指摘した。不動産業、地方政府の債務、中小企業金融機関など重点領域の危険を、発展と安全を統一的に考えて予防するには、生産の安全の責任を明確にし、自然災害、とくに洪水などの予測や防護措置を完全なものとし、社会の安全防護網を密にして、社会の安定をしっかり守らなければならない。」

 なぜここに自然災害が登場するのか、文意がよく分からないが、何度読んでもこのように書いてある。そして不動産不況への対策や地方政府の債務など、差し迫った課題への具体的な対策はどこにも見当たらない。
 なんでこんな文章が正々堂々とまかり通るのか、中國の官僚機構はどうなっているのか、首を傾げざるを得ないが、ここから先は私の勝手な推測を書いてみたい。真偽については責任を負えないが、そうとしか思えないということだ。
 まず、今の習近平体制というか、あるいは習近平個人というべきか、その辺は分からないが、現政権はこういう政策文書を軽視しているのではないか。今年の全人代から首相の記者会見を取りやめたが、そこにも現れているように国民にきちんとものを知らせることを軽視しているとしか思えない。

 日々の報道を見ていればわかることだが、習近平はものすごく忙しそうに動き回っている。外国訪問はもとより、しょっちゅう国内のあちこちに視察旅行にお気に入りの蔡奇常務委員をお供に出歩いている。あれでは長い文章に眼を通して細かく内容をチェックするような時間はないのではないか。ひょっとすると習近平は人の上に立って大雑把な指図はしても、自分で難しい問題を考えることは苦手、という人間なのではあるまいか。

 一方、難しい問題はきらいでも、自分に有利なようなこととか、自分を持ち上げるような文章は好きで、したがって周辺の演説の執筆あるいは代筆要員はその辺に気を配っていれば、気に入ってもらえるのではないだろうか。
 じつは上に引用した文章にもそれらしい部分がある。「2035年うんぬん」のくだりがそうだし、じつはその少し先には「2029年の建国80周年には・・」というくだりもある。もし習近平が今期かぎりで引退すれば、2027年でおわりだが、さらに留任すると、プーチンではないが、2029年も2035年もひょっとするとまだ習近平時代かもしれない。いわばそれへの布石の意味で、習近平はこういう年号を口にするのが気に入っているのかもしれない。
 それだけではない。今度の会議の「公報」はこういう訳の分からない文章だが、同時に各紙に登場した文章には習近平を「改革」の元祖のように扱ったりする文書なども見えた。改革・開放は鄧小平のイニシアティブによるもので、習近平を過大に扱うのは珍妙だが、どうも中国の「君主ルール」では歴史も事実も自在に変形するのではないか。そんな気がしてきた。(240719)

初出:「リベラル21」2024.7,20より許可を得て転載
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