絶望の公明党と日本共産党

参議院選挙の結果を考える(2)

前稿では、今回の参議院選での参政党の大きな得票は、彼らの外国人排斥の主張が大きな要因ではなかったことを指摘した。
参政党などの「新興政党」の伸長の原因は二つ。ひとつは、不安定雇用など生活不安を抱える20~30代から中年も含む世代の、従来、投票所に足を運ばなかった、とくに男性有権者の多くが、新しい「変化」を求めて投票に向かったこと。二つ目は、これと表裏の関係にあるが、現状を生み出した責任は、共産党も含むすべての「既成政党」にあると考える有権者が少なくなかったこと、である。
「既成政党」と見做された諸政党は苦戦した。公明党の支持母体である創価学会、共産党、自民党の後援会組織、それらの組織はいずれも高齢化、雇用環境の変化、都市化などによって脆弱化の一途をたどってきた。今回の選挙で大量の票を集めた国民民主党は「所得を増やす」という分かり易い(易すぎる?)キャッチコピーで、参政党は外国人が優遇されているため、日本人の生活が苦しいのだという「お話」をつくって、生活苦に不満を抱いている有権者たちの票を集めた。本論ではおもに公明党と共産党の問題を取り上げる。

似た者同士
公明党の支持基盤である創価学会は高度経済成長期に地方から都市に移動した下積み労働者を、共産党は同時期に都市部の中小企業などの労働者を、それぞれ主な支持層としてきた。これは多くの社会学的調査によって明らかにされている。実も蓋もない話ではあるが、公明党と共産党は、社会的に不利な立場に置かれていた人々のための、高度経済成長の果実の配分を求める政党であったといえる。両者の支持者には重なる部分もあったから近親憎悪的な対立関係にあったこともよく知られている。

高度経済成長期に労働力として社会に出た年齢層は、1947~49年出生の団塊の世代である。毎年二百数十万人、三年間で800万人余の巨大な人口集団である。この集団があってこそ、十分な労働力が確保され、国内消費も支えられ、高度経済成長が可能となった。
この世代では、社員の終身雇用を基本とした大手企業では、企業別組合によって給料や社内福利などの改善が図られた。しかし、そのような条件に恵まれなかった多くの労働者は創価学会や共産党の差し伸べる援助に頼ることも多かった。公営住宅への入居、保育園の開設や入園、なによりも病気や失業など生活困難時に創価学会や共産党が提供した援助には多くの者が救われたはずだ。もちろん選挙ともなれば、熱心に支援、投票したのは当然であった。しかし、それは対象者があっての話であって、対象者が消えれば組織の存在理由はなくなる。二つの政党はいまその現実に直面している。

筆者は首都圏の公立高校教員として勤務したが、そのなかで共産党と創価学会(公明党)に関わる個人的な経験を紹介したい。あくまでひとつのエピソードではあるが、具体的な事例は、両者の衰退理由をよく示している。

日本共産党
筆者が首都圏のある県の教員となった70~80年代、首都圏では15歳人口の急増が見込まれ高校増設が大きな課題となっていた。当時、神奈川県の長洲知事は「100校新設」を公約として掲げ、実際に10数年間に100校を開設した。筆者が勤務する県でも新増設は既定方針であった。
筆者の属した教員組合は共産党系であったが、組合本部からは高校新増設の請願署名を集める活動が頻繁に指示されてきた。その際、「選挙も近いから、この機会を利用してください」とのコメントが付いてきた。つまり署名活動を通じて共産党候補者への投票を働きかけるようにという意味であった。

筆者は労働者として組合加入は当然と考えていたから赴任と同時に加入した。しかし特定の政党を支持していたわけではないから、このような「指示」には反感をもった。それもあって、筆者はある集会で、高校増設運動は市民運動としては理解でき、教員として協力することに吝かではないが、学校教員としては、どのような新設校を作るのか、また現在の学校の課題にどう取り組むのか、といった問題も重要ではないかとの意見を述べた。
その後、組合新聞紙上などで繰り返し執拗な攻撃を受けて辟易する経験をした。「この組合員は現在の教育問題の課題を十分に理解していない」「新設校が増えると自分の勤務校の地位がさらに下がると心配しているのではないか」等など。まさに意味不明な言説、見当違いな意見でしかなかった。最近、「党員による党首公選」を求める書籍を出版した党員を除名処分とし、さらにその処分に異論を唱えた党員に対して激しい攻撃を行った党幹部の行動には既視感があった。

筆者個人としては、身近に接した共産党員たちの多くは良心的であり教員としても優秀な人たちだった。しかし共産党は下部のメンバーには「余計なこと」を考えず、選挙活動に集中するよう、選挙を自己目的化させるような環境を作ってきたのではないか。住民運動が取り組むような課題を取り上げ、「支援」しながら選挙での得票に繋がるような活動をすることで一定の支持を取り付けてきたものの、現在の社会情勢のなかでは組織論としても運動論としてもすでに効力を失っている。

公明党(創価学会)
第二次ベビーブーマーの高校進学時の80年代後半から90年代にかけて、筆者はそれなりの進学校に勤務していた。以下に紹介するのは一家を挙げて創価学会員だった生徒の話である。ただ個人が特定されないよう複数の生徒を組み合わせた話である。
ある年、新入生たちの担任として生徒たちの動きを観察しているなかで、気になったことがあった。生徒たちは新学期が始まると同時に友人関係をつくっていく。誘い合わせて部活動を見学したりしながら新しい学校生活を始める。進学校ほど部活動に参加する生徒の割合は高くなる。

そのような中、ある生徒が、週末は両親と一緒に参加する集会があるから週末に部活動がある部には参加できないというようなことを言っていたのを耳にした。それが創価学会の活動であることは後から分かった。件の生徒は卒業後、専門学校に進学し保育士資格を取得した。その後、ある市の公立保育所に就職した。しかし数年後、その市が保育園の民営化方針を打ち出した。市長は自民・公明両党の推薦を得て当選していた。ある年の年賀状には、自分の職場が維持されるのか不安だと書かれていた。

創価学会員のうち地方から大都市に出てきた第一世代にとって、自分の子どもたちには少しでも安定した職に就いてもらうことは重大関心事であった。そのための方法などについても、創価学会の情報網は役立ったはずである。この生徒の場合は学費負担の少ない学校で国家資格を取り、さらに公務員としての就職を実現したわけである。しかし公明党が自民党と連立を組み、自民党の政策を追認してきたことにより、会員たちがせっかく獲得した安定した生活基盤は尽き崩れされていった。少なくとも学会員の第二世代が組織から離れていくのは必然であった。

最後に
二つの政党は、二重三重に存在根拠を失っている。第一に、活動において中心的な役割を果たしてきた団塊の世代が高齢化とともに消えていく。
第二に、彼らが取り組んできた団塊世代と団塊ジュニア世代という巨大な世代人口集団を前提とした住宅問題、子育てや教育問題などが消えていく。彼らが生まれ、また働きかけ、支持を得てきた、社会学でいうところの「コホート(共通の属性や条件を持つ社会集団)」そのものが消失しつつある。両党とも根枯れを起こした木のようなもので、遅かれ早かれ倒れるのは理の当然である。
第三に、公明党については、自民党と連立を組むなかで、惰性的に選挙運動に取り組む一方で、生活困難層の人々を援助する、かつての地を這うような活動から離れつつある。共産党については、その独善性や権威主義は若い世代にとっても嫌悪感を抱くばかりであろう。

初出:「リベラル21」2025.09.03より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14413:250903〕