「自公圧勝 320超」「自公大勝 3分の2維持」……12月15日朝の新聞の見出しである。公示直後から、各紙が「自民圧勝か」「自民、300議席超す勢い」などと報じていたから、こうした総選挙結果にさして驚かなかった。それよりも、投票率の低さには衝撃を受けた。52・66%。戦後最低という。日本の命運を決めるかつてない重要な総選挙だったというのに、なんという投票率の低さ。このことが「自公圧勝」につながっただけに、有権者のほぼ半数が投票所に行かなかったのはなぜだろうかと私は考え続けている。
前回の総選挙の投票率は59・32%。政権与党の民主党が敗れ、自民党が圧勝し、第2次安倍内閣が誕生した。その前の総選挙で民主党に勝たせ、政権交代を実現させた、いわゆる無党派層が民主党政権のていたらくに愛想をつかして棄権に回り、それが投票率の低さにつながったと言われた。その結果、組織力に勝る自民党と公明党が大きく躍進したとの見方が強かった。
では、この2年間の安倍政権による政治はいかなるものであったか。
同政権が掲げた経済政策「アベノミクス」はどうだったのか。首相は成果を強調するが、それが事実ならば、一層自信をもって「アベノミクス」を推進すればよく、国民のだれもが多忙な暮れのこの時期に「アベノミクス」の評価を問うて総選挙に打って出ることもなかったろうに、と思う。実は、いまや、この政策によって景気後退が始まり、国民間の経済的格差も広がったとして「アベノミクス」に疑問をもつ人が少なくないのが現状だ。
その一方で、安倍政権がやってきたことと言えば、抵抗が多かった特定秘密保護法の制定や、憲法改定に向けた模索、集団的自衛権行使容認の閣議決定、原発再稼働推進などである。
朝日新聞社が、総選挙前の11月29、30の両日におこなった全国世論調査(電話)によると、安倍政権が憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認したことを「評価しない」は50%で、「評価する」の32%を上回った。原発再稼働については「反対」56%、「賛成」28%だった。安倍政権が推進しつつある施策の多くは民意とかけ離れたものであることは明らかだった。
だから、私は、総選挙では、こうした民意が反映されるのではと見ていた。なによりも、有権者は自らの民意を総選挙に反映すべく投票所に足を運ぶだろう。少なくとも投票率は前回を上回るだろう、と私は期待していた。
しかし、結果はすでに見た通りである。民意と総選挙結果のこの乖離。その理由は何か。私はその理由を知りたくて何人かに尋ねてみた。
ある男性は言った。「日本はひどい国になってしまったと思う。もう政治に期待しても何も変わらないと考える人が増えているのではないか。そうした無力感、絶望感が政治への無関心を生み、低投票率につながったのでは。とにかく、一般市民の多くが白けていた」
ある女性の話。「自民党がいいとは思わない。が、さりとて民主党にも入れる気にもなれない。民主党を政権につかせてみたが、失政続きだったから。で、今度は棄権、という人がいたのではないか」
別のある男性も言った。「民主党政権がひどすぎた。その後遺症がまだ残っていた」
これもある男性の話。「自民党にはあまり期待できない。でも、野党は頼りなくて、投票する気がしなかった」
内外の政治・経済を長年にわたって取材してきた80代の老ジャーナリストは語気を強めた。「選挙結果には絶望した。安倍政権の政策によって国民は痛めつけられてきた。なのに、その国民が安倍政権を支持して自民党に大量の票を投ずる。どうしてこんなことになってしまったのか。一言でいえば、国民に政治意識が欠如しているからだ」
ある男性はこう語った。「投票前、息子にどこへ入れるんだと尋ねたら、自民党だという。息子によれば、日本経済が不安定で、我々青年層は自分の雇用が将来どうなるかが一番の関心事。ならば、政権を握っている自民党に任せるしかない、ということだった。息子が言うには、そう考える若者が多いとのことだった」
どうやら、まれに見る投票率の低さ、自公の圧勝という現象の背景には、政治への無力感と絶望感、野党への不信感、政治意識の欠如、雇用不安からくる政権与党への期待、といったさまざまな要因が混在していたということであろうか。
私が印象的だったのは、話を聞いた人々の発言に「一つの党が議会で圧倒的な議席を占めるのは民主主義を目指す政治では好ましくないから、そうならないように有権者側としては野党を育ててゆくことも肝要だ」「野党がだめだと批判するばかりでなく、市民の側から野党に力をもってもらうよう努力しよう」といった意見が聞かれなかったことである。限られた人との限られたやりとりの中から浮かんできた日本の有権者像は、概して受け身で、政治を変えるために自分たちの意思で政党や政治家を育ててゆくという気概に乏しいように感じた。
そんな時、私の脳裏に浮かんできたのは、かつて読んだ永井荷風著、磯田光一編の『摘録 断腸亭日乗』(下)<岩波文庫>の一節だった。
荷風はこの日誌の中で、昭和19年(1944年)3月24日にはこう書いている。太平洋戦争中、それも敗色が濃くなった敗戦前年の記述だ。
「三月廿四日。陰。西北の風吹きすさみて寒し。午後日本橋四辻赤木屋にて債券を売り、地下鉄にて浅草に行きオペラ館楽屋を訪(と)ふ。公園六区の興行場も十箇所ほど取払となるべき由聞きたればなり。オペラ館楽屋頭取長沢某のはなしをきくに、今月三十一日にてよいよ解散します。役者の大半は静岡の劇場へやる手筈(てはず)ですとの事なり。二階の踊子部屋に入りて見るに踊子たちはさして驚き悲しむ様子もなく平生(へいぜい)の如く雑談しをれり。凡そこの度(たび)開戦以来現代民衆の心情ほど解しがたきものはなし。多年従事せし職業を奪はれて職工に徴集せらるるもさして悲しまず。空襲近しと言はれてもまた驚き騒がず。何事の起り来るとも唯その成りゆきに任せて寸毫(すんごう)の感激をも催すことなし。彼らは唯電車の乗降りに必死となりて先を争うのみ。これ現代一般の世情なるべく全く不可解の状態なり。薄暮市電にて家にかへる。夜に入り風益々(ますます)寒し。」
戦時下の民衆の様子が見事に活写されている、と私は以前から、この一節に注目してきた。これを読み返していたら、総選挙直前に埼玉県内や都内で見た人々の姿が重なった。
そういえば、私が埼玉県下や都内の駅で出会った人々は電車の乗り降りに必死で、車内ではいずれも無口、乗客の九割近くの人々はただ黙々とスマホを指であやつり、凝視していた。新聞や単行本、雑誌に目をやる人はほとんどいなかった。そこは、異様と思えるほど静かだった。
荷風が70年前に目撃した光景とあまりにもよく似ているではないか、と思うのは私だけだろうか。荷風が生きていたら、「日本国民は、昔も今も変わらないな」と書くのではないか。
荷風の時代と今。この間、日本は大変化を遂げたが、最も重要にして最大の変化は、私たちが大日本帝国憲法に代わって日本国憲法をもつに至ったということだろう。日本国憲法を支える柱の一本は「国民主権」だ。国民主権とは、国の政治に国民が主体的に関わることである。国の運命は国民自身が決める、ということだ。であれば、選挙での棄権は、憲法で保障された権利を国民自らが放棄することになる。こんな当たり前のことを、私たちは今、改めてかみしめたい。
これからは、選挙権を行使することの重要さを市民に分かってもらうための運動が必要かもしれない。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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