耳を傾けていただきたい。法廷での魂の叫びにー。

(2022年2月8日)
 昨日の午前11時東京地裁631号法廷で、東京「君が代」裁判・第5次訴訟・第3回ロ頭弁論期日が開かれた。

 原告は、この日3通の準備書面を提出した。「10・23通達」に関連の最高裁判決における合違憲判断の枠組みが原告の主張を正確にとらえていないこと(準備書面(3))、教育の本質と戦後教育改革の理念とを踏まえた旭川学テ最高裁大法廷判決を論じて(準備書面(4))、その理念に逆行している東京都の教育現場の実態、とりわけ特別支援学校において分かり易く可視化されている「日の丸・君が代」強制の反教育的性格(準備書面(5))を裁判官に訴えた。

 この日の法廷では、原告2名と代理人弁護士1名が口頭で意見を陳述した。原告はその心情を吐露し、弁護士は合計200ページ余の3通の準備書面の要約を語った。当然のことながら、弁護士陳述は感動的なものたり得ないが、原告の意見陳述はこのうえなく感動的なものであった。3名の裁判官とも、いずれも真摯な態度でよく耳を傾けてくれた。

 強制されてなお、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明をしがたいという教員の姿勢は、けっしてわがままでも、独りよがりでもない。教員としての職責のあり方を突き詰めて考え、自分自身の教員としての生き方を裏切ることができないという重い決意で、不起立に至っている。そのことの重さが裁判官にも伝わったのではないかと思う。

 情報や論理については「書面を読めば分かる」ものでもあろうが、肉声でなくては伝わらないものもある。人の精神の奥底にある懊悩や、それを克服しての決意の重さは、文字では伝わりにくい。原告お二人の陳述は、聞く人の胸に訴え、人の心を動かす真摯さに溢れたものであった。法廷にいる皆が、人の精神の崇高さに触れたと思ったのではないだろうか。以下は、その抜粋の要約である。

(1) 原告Y教員 意見陳述要旨

 私は十代後半から二十代にかけて、「死」という絶対的な無に帰す人生に意味も、目的も見いだせずただ恐怖ばかりが募り苦しみました。その恐怖の中で、命は有限という点で平等なのだと気づきました。それまで、人間はみな平等と言われても、能力も、資産も、容貌も生まれつき大きな差があり、全く不平等だと思っていましたが、「無限・永遠」を対比させれば、寿命の長短は意味を失い、死ぬべき命を今生きているという共通点があるばかりです。そして、私は一人ではない、同じ運命の他者が与えられている。他者と共に生きる時、人生の意味や価値を見いだすことができる、と考えるようになりました。このような思いに至るにはキリスト教との出会いがあり、信仰を与えられたことが大きな転機となりました。大学2年の時に洗礼を受け、教師という職業も信仰によって選びました。「神と人とに仕える」生き方ができる仕事だと思ったからです。

 教員になって二年目、初めて担任したクラスの生徒が夏休み中に自死してしまいました。遺書はありませんでした。わかったのはただひとつ、私の目には彼の悩みや苦しみが何一つ見えていなかったという事実だけです。担任の仕事とは「今」「気づかなければならない一人」に気づけるかどうかなのだ、と激しい後悔の中で肝に銘じました。「ひとりの命、ひとりの存在をできる限り大切にする。あとで後悔しても遅いのだから」これが私の教師としての良心です。

 「君が代」の「君」は象徴天皇制における天皇を指す、と政府は説明しました。「君が代」はこの「君」という特別な存在を認める歌です。神の前に特別な一人、はあり得ない。すべての人は、「神から与えられた限りある一つの命」を今生きている。この絶対的な平等ゆえに互いの命を尊重しあうことが可能になると私は考えます。
クリスチャンは神から与えられている他者に区別を設けず隣り人として尊び、愛せよと教えられています。私は天皇賛歌であった「君が代」を国歌として歌うことはできません。特別な一人のために、国民がたった一つの自分の命を捧げて、たった一つの相手の命を奪うべく戦ったのは、ごく近い過去の出来事です。命に軽重はあり得ないのに、そこに特別な存在を設けるとき、ひとりひとりの命の絶対的なかけがえのなさが、見失われていきます。同時に、「他者と共に生きる」ための接点をも失ってしまうのです。クリスチャンとして教師として、「目の前の一人の生徒がすべて」と念じてかかわろうとしてきた私の良心に照らして、「君が代」は相容れないのです。

 私は教師として自分の無力さを痛感しています。ひとりの生徒を理解し、関係を築くために必要な、優しさも、想像力も、共感する力も、忍耐力も、なにもかも足りない私に、あるのは信仰だけなのです。その私に、職務命令は、上司という人の命令に従うのか、信仰を持ち続け神に従うのか、と迫るのです。

 私はこれまでも、都教委は個々人の思想、良心、信仰などの心の自由を「命令」で支配、強制してはならないと訴えてきました。しかしこれまでの判決では「10・23通達に基づく職務命令が信仰を持つ者にとって間接的な制約になるとしても、職務上の理由があるのだから、内心の自由の侵害には当たらない」とされてきました。クリスチャンにとってこの命令がある種の踏み絵だとしても、信仰を捨てて踏み絵を踏めとは言っていない、[心の中で何を信じてもけっこうだが、職務命令に従って踏み絵を踏んでください。『教育公務員として上司の命令に従わねばならない』という立派な言い訳が立つのだから、外形的な行為として踏み絵を踏んでもあなたの内面の信仰には何の問題もないはずだ」というのです。遠藤周作の小説『沈黙』でキリシタンに[形だけ踏めばよいのじや]と勧める役人と同じです。しかし信仰を持つ者は心と行動を切り離して言い訳をするとき、自ら信仰を捨てたと自覚するのです。だから踏み絵は切支丹弾圧に有効だったのです。

 この問題に関してお互いに祈り合うクリスチャン教員の会もあります。採用試験に合格し、赴任校も決まっていたのに、任用前の打ち合わせで国歌斉唱を命じられ、採用辞退したクリスチャン青年にも会いました。そして、この職務命令はまた、自分の考えで立たない、歌わないという生徒をも追い詰めるのです。少数者に踏み桧を強いる職務命令は教育現場をゆがめ、社会を変質させていきます。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を思わずにはいられません。この訴訟では、「内心の自由とは、信仰者が信仰に従って生きぬく自由である」ことを認めていただき、戒告再処分の取り消しをお願いいたします。

(2) 原告I教員意見陳述要旨

 私は、10・23通達後、国歌斉唱時に自分はどうするかということを何度も考えました。ここで通達とそれに基づく職務命令に従ったらずっと自分を責め続けることになる、一生後悔し続けることになる。そう思って、自分の信念に従うことを選択しました。

 「日の丸・君が代」を称えることは、侵略戦争による加害の過去と向き合わないことを意味し、ささやかでもこれに抵抗することが、日本をまた同じ過ちへと進ませない一肋となるだろうと思います。また、私は象徴としての旗や歌に敬意を払うことは一種の宗教的行為だと思うので抵抗があります。そもそも卒業式入学式で国旗・国歌への敬意を表明する必要はないはずだと思っています。

 私は国語の教員として、どんな作品を読んだり書いたりするときにも精神が解放されていることが大切だと思い、教員が権力者とならないように心がけてきました。抑圧は学習の妨げになると考えています。学校は違う意見、様々な考え方があってもお互いに尊重し、許容し合える場であってほしい。私が「君が代」強制の圧力に屈しないことが、生徒たちの生きる将来の社会が自由と権利の守られる社会になることにつながると思っています。

 私は2005年の卒業式・入学式における不起立でそれぞれ戒告処分、減給処分を受け、2013年7月に勝訴判決の確定で減給処分が取り消されました。ところが、同年12月、減給処分が取り消された件について、再度戒告処分されました。減給処分取り消しの喜びもつかの間、新たに戒告処分されたことは衝撃でした。処分取り消しが確定した、13年9月の最高裁判決文には「謙抑的な対応が教育現揚における状況の改善に資するものというべきである」という裁判長の補足意見が付けられていました。判決が出てわずか3ヶ月後に再び処分を行うことは「謙抑的な対応」の対極にあるものです。

 戒告というと軽い処分のように聞こえるかもしれませんが、経済的不利益も伴います。しかも、東京都の処分規定が変わったため、経済的不利益は取り消されたかつての減給処分より重くなっています。減給処分の取り消しによって減給された給料は戻りましたが、処分に伴う不利益がすべて解消されたわけではありません。担任を外されたり、異動で不利な扱いをされたりしたことなどはもとに戻せません。そこに更に、新たな処分によって不利益をこうむりました。再度の処分の時期がちょうど勤続25年の休暇取得の時期と重なり「懲戒処分を受けた日から2年を経過しない者」は取れないと、延期になり、前の処分から8年も後の再度の処分の理不尽さを感じました。

 10・23通達後、卒入学式で「君が代」斉唱を全員にやらせることが生徒の利益より優先していて、学校教育の中で優先すべき順位が狂っていると思うことが続きました。卒業式への出席が危ぶまれるくらい心身の具合が悪い生徒の側に、担任か養護教諭がついていたほうがいいのではないかという意見が、「指定された席からの移動は国歌斉唱が終わってからにしてください」と認められませんでした。また、処分発令後に受講を強制された服務事故再発防止研修の個別研修を「授業のない日にしてほしい」という要望は、「授業は変更の理由にならない」とされ、検討すらされませんでした。生徒の状況や課題よりも国歌斉唱時に起立できるかどうかのほうが優先されるようになってしまったのです。

 2017年3月の卒業式は私が卒業生担任として臨む最後の卒業式でした。夜間定時制高校の生徒は心身の健康や家庭のことなどで厳しい問題を抱えている生徒が多く、卒業までの4年間を通い続ける大変さは並大抵のことではありません。
私はそんな生徒たちの卒業までの頑張りを称え、祝福したいと思いました。

 3学期に入ってからは、管理職から何度も「卒業式では起立してください」と言われました。悩みましたが、やはり起立することはできないと思い、そのことを卒業式間近の学年会で話しました。起立することはできないと思っていた気持ちに迷いが出てきたこともあり、何とか打開策はないものかと考え続けましたが、良い策があるわけがありません。結果的に卒業式当日は式に出ることができませんでした。生徒には申し訳なかったと思います。

 「君が代」を強制する理不尽をご理解いただき、処分取り消しの判決をお願いします。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.2.8より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=18523
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11743:220209〕