脱出願望から学園ラブコメアニメの世界に

この拙稿には、プライベートのホームページ「Mycommonsense」に掲載し、さらに「ちきゅう座」に掲載していただいた拙稿から引用したところも多いです。参考として拙稿の表題とurlを列記すれば十分かもしれませんが、いちいち参考をみにいくのも面倒かと思い、文中に組み込みました。

去年の春、母校(東京高専)の最寄り駅まで乗り換えなしで行けるところに引っ越した。引っ越すたびに終活よろしく身軽にしてきた。ええーいと思い切って捨てたことに後悔することもある。読みなおさなければと探してはみたが見つからない。あちこち書きうつす都合があるから図書館で借りてというわけにも行かずに買い直すなんてことも起きる。
夏も終わって秋口になっても、ちょっと前に買った合い物のズボンが見つからない。気に入っているマフラーは未だに行方不明だが、四季を一回りするころには衣類も大方整理がついてくる。やっと落ち着いたのはいいが、周りは何の変哲もない住宅街で池袋のようにぶらつくところがない。年も年だし穏やかな日々ってのも悪くはないなと思えるような性質じゃない。なにかやってないと落ち着かない。そこでトルコ語の独習に力をいれてと思ったが、若い時のように根を詰める気力がない。何か気晴らしはと考えても、これと思えるようなことは出てこない。そこでというと失礼になりかねないが、随分前から気になっていた母校にでも行ってみるかと思い立った。住まいの最寄り駅から京王線で一直線、一時間もかからない。ただ何か理由でもなければ、校内に入るのも憚れる。何かないかと考えあぐねていて文化祭を見つけた。文化祭の二日目なら部外者にも開放されているから堂々と入れる。

一九六七年に入学した東京高専の三期生。一学科定員四十名で三学科に三学年、最初から定員に満たないクラスもあれば退学者もいただろうから全学年あわせても三百人ほどしかいない。整地されて間もない小さな工業団地の外れの丘を切りひらいた校舎が三棟。グラウンドには工事の際にでた土砂の小山がいくつもあった。空き地が目立つ敷地に人目を気にすることのない男子学生がめだつ殺風景なところだった。
卒業したのが一九七二年だから半世紀ぶりになる。先生方も事務方にも知っている人はもういない。七十三歳で五十二年前(1972年)の卒業生、在校生の目にはシーラカンスのようなジジイで祖父の年。年を数えてみれば、爺さんが二十七歳でもうけた子供が同じようにニ十七歳で孫、そしてその孫が十八歳としたら、27+27+18=72歳になる。どう考えても、よくてただのお邪魔虫、相手にされないどころか塩をまかれかねない。それでも今の高専のありようをこの目でという思いから出かけていった。

六十年代には技術革新が進んで、工業高校卒では手に負えなくなってきていた。高卒に任せていた作業の、たとえ一部にしても大卒をあてるのはということで高専がつくられた(と想像している)。五年間で大卒と同等の専門教育をはいいが、促成教育とは丸暗記のような詰め込み教育にほかならない。与えられた課題の勉強が過ぎると自分で考える習慣が育たない。大勢順応型の扱いやすい指示待ち族世代が輩出される。
中学を卒業したら、即大学の教科書で一握りの優秀なヤツしか授業について行けない。なんとかついて行っても途中で息が上ってしまう。辞退する受験生も多かったのだろう、三期の機械工学科は三十七人で始まった。毎年三四人が退学して三四人が留年、そして似たような人数が上から落ちて来た。数学と力学ばかりの理系の詰め込み教育にうんざりして、クラスには逃亡願望が充満していた。なんとかしがみ付いて卒業したのはニ十六人だった。落第組が五人いたから、一年から一緒だったのは二十一人で四割以上がいなくなったことになる。

それでも高専がちやほやされていた時代で薄っぺらにしても高揚感はあった。あと一年もすれば卒業という段になっても就職活動というようなことはなかった。引く手あまたで学生が会社を選んでいた。逃亡する勇気もなく卒業して社会にでて見れば、高卒の置き換えとしての扱いだった。もうとっくに一線を退いたのに、学歴社会の下働きから始まったつまらない記憶が抜けきらない染みのように残っている。科学技術の進歩が四大では足りない、修士レベルでなければと言われるようになって久しい今、かつてのように高専出がちやほやされる時代じゃないのにと思いながら通用門をぬけて、先の階段を降りていて目にした光景は信じられないものだった。渦巻いていると思っていた逃亡願望なんかどこにもない。そこにあったのは、ネットでみてきた学園ラブコメアニメのような楽しさに溢れた若い人たちの世界だった。

受付でもらった文化祭の小冊子の表紙には既視感のあるアニメが描かれていた。ページをめくっていって経験したことのない違和感にうろたえた。それが緩んだとたん今の時代の暖かさに助けられたような気がした。六十九年だったと記憶しているが、東京高専にも学生運動が飛び火した。制服制帽廃止の要求から授業ボイコットに発展した。三月ほどだが校内でデモまでした。それは逃亡願望が形を変えたものでしかなかったが、反体制の思想が校内の空気を冷えた熱いものにしていた。今日日のラブコメのような空気が高専にあるとは思いもしなかった。

学校教育には、かならず時間の遅れがある。社会や産業界が必要とする人材と思っても、その人材を育成する制度が出来上がったきには、時が必要とする人材が違ってしまっている。高度成長期にはっきりしたと思っているが、民間企業の基礎研究や開発基盤が整っていって、大学や官立の研究機関に頼る頻度が加速的に減っていった。もう数十年前から予算の足りない大学から産学連携なんてかけ声のもと民間企業からの委託研究――言葉をかえれば民間企業からの寄付のおねだりが当たり前になっている。
社会にでると、高専の詰め込み教育がべースとしている、教える側の工業技術や知見が十年、十五年、ときには二十年以上前の知識でしかないことに気がつくという、がっかりを通り越した現実に直面する。キャリア組ではMBAや修士が当たり前になった時代に高専卒では作業員に毛のはえた程度のチャンスしかあたえられない。チャンスは自分で掴むものだというご高説がきこえてくるような気がするが、経験からでしかないが、いくら努力しても手の届かないところにあることが一般的だと思っている。
詰め込み教育に疲れて、誰もが逃亡願望をいだいていた時代の高専の立ち位置が変わったとは思えない。AIなんていわれている今、定型化した作業は機械装置やコンピュータシステムに任せて、工員や事務員はただのオペレータ、いつでも誰かで置き換えられる存在になっている。半世紀前の卒業生より今の、学園ラブコメアニメの世界を謳歌している高専生のほうがはるかに厳しい状況に置かれている。

標準化が生み出す作業の定型化が、製造工程から物流工程や販売工程にまで広がり、ついには定型化できないと思われていた人の知的労働にまでおよんでいる。その背景にはコンピュータの進化がある。半導体の進歩が巨大なデータを扱うソフトウェアの進化を促し、限られた数の作業員で業務を遂行できるようになった。人に頼らざるを得ないかに見えていた複雑な作業をタスクごとに分解して、定型化する作業が急速に進んでいる。近ごろさかんに言われているAIとは定型化した作業をソフトウェアで処理することにほかならない。
作業を定型化できれば、熟練労働者を単純繰り返し作業をするだけの人たちで置き換えられる。作業を分解し定型化してソフトウェアを活用したシステムを開発する人たちと開発されたコンピュータシステムで定型化した作業をする人たちに勤労者(給与所得者)の二分化が加速している。
コンピュータの処理能力が限られていた時代までは、企業や組織内の業務を通して専門知識を習得した人たちが中産階級の主体をなしていた。コンピュータの能力の向上がもたらした社会構造の変化が顕著になってきた。コンピュータを相手に定型業務に携わるだけでは、専門知識を培うことができない。特別な知識や業務能力を持ち得ないということは、いつでも誰かに置き換えのきく人材であること意味する。当然のこととして、雇用形態も正規雇用から非正規や契約社員どころかパートやアルバイトに変っていった。かつては社会の中心を形成していた勤労者の多くが下層階級へと押し下げられ続けている。

現状の社会経済構造体制下では、競争社会のなかで能力を武器に生産性の向上に寄与し、そこから生み出される富の分配にあずかれる人と、あずかりえない、代替え可能な定型化業務に携わる大多数の人たちの経済格差が拡大するのを避けられない。半導体の進歩が続いてソフトウェアの進化がすすんで、経済格差はますます大きくなる。産業革命がもたらした経済格差が科学的社会主義思想を生み出したが、現在急速に進んでいるコンピュータの応用がもたらしている社会の分断は何を生み出すのか、生み出しているのか?まさか安っぽいポピュリズムまでということもないと思うのだが。

文化祭を見るかぎり、半世紀前には想像もできなかった青春を謳歌しているように見える。それが厳しい状況に置かれていることを知ってのことなのか、それともゆるブラックでいいじゃないかと達観してのことなのか?あるいは厳しい状況を知り得る機会がないから、あるいは実のある考えさせられる情報がないがゆえのことなのかわからない。ただ一つ言えるは今の時代を解きほぐす、そして次の時代への指針を提示する哲学の不在が学園ラブコメアニメの世界を生み出しているような気がしてならない。先達の思想を解説しているだけでは次の世界は描けない。巷は処理しきれない有象無象の情報で溢れている。人はその情報の波に飲み込まれて、次の社会への思いを描くのはAIでと頓珍漢なことを言いだす先生もいそうな気がしている。
一歩さがってみてみれば思想や哲学が入り込んだ袋小路がみえてくる。先達から受け継いだ思想や哲学はどれもが、先達が当時の今を直視して生み出したもので、歴史から引き出したものが主体をなしているわけではない。不勉強を棚にあげた話で申し訳ないが、今の思想や哲学はどこにあるんだろう。
2024/11/24 初稿
2025/1/20 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14066:250121〕