7月29日夜、国会議事堂前はおびただしい人々で埋まり、「原発再稼働反対」の声が 議事堂周辺にこだました。最高気温が33度を超えた日曜日の炎天下、「脱原発」を政治家と政府に訴えようと国会議事堂につめかけた人たちだった。私の記憶では、これほど多くの人々が国会周辺に押しかけたのは、1969年から71年にかけて行われた沖縄返還運動以来のことである。
これは、首相官邸前で毎週金曜日に「脱原発」を訴える抗議行動を続けている「首都圏反原発連合」が呼びかけた「7・29脱原発国会大包囲」と称する行動。電子メールやツィッターでこれを知った人たちが、この日午後3時すぎから日比谷公園に集まり始め、集会を開いた後、国会に向けたデモ行進に移り、議事堂正面に向かった。有楽町駅や新橋駅、国会周辺の地下鉄駅から直接、議事堂正面に向かう人たちもみられた。
午後7時前には、議事堂正面前の歩道は人、人、人でぎっしり埋め尽くされ、一部は車道にあふれた。
国会包囲2 反原発を訴える女性たち
集まった人たちは、ごく普通の老若男女といった感じの人々だった。7月16日に東京・代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」の時よりも労働組合旗や団体旗が少ない印象で、まるで地域の夏祭りや盆踊りに出かけてきた人たちが、そのまま国会周辺に集まってきた印象だった。あるいは、朝晩、ターミナル駅で出会う人たち、または電車内で出会う人たちが、そのまま国会周辺に移ってきたという感じだった。
労組や団体による動員でまとまってやってきた人たちというよりは、家族や夫婦、友人同士、あるいは1人でやってきたという感じの人たちが圧倒的に多く、中には幼い子どもを肩車にのせた父親もいた。ノースリーブでミニスカートの若い女性、イヤリングやピアスをしたり、浴衣姿の若い女性もいた。
夕闇が迫ってくると、紙コップにろうそくを立てたキャンドルに灯がともされた。そして、赤、青、黄、緑といった色鮮やかなペンライトが、身動きできない人並みの頭上で打ち振られた。
人々は、議事堂に向かって声を張り上げ続けた。「再稼働反対」「再稼働なくせ」「大飯をなくせ」「今こそ廃炉に」「原発反対」「原発なくせ」「戦争反対」……。人々のシュプレヒコールは1時間以上続いた。
大飯原発を再稼働させた野田首相、野田内閣に対する批判も目についた。議事堂正面前の車道に「野田政権打倒」の文字が掲げられた。「野田NO!」と書かれたプラカードもあった。
国会包囲3 原子力発電反対を掲げる学生団体ののぼり
私には、原発による放射能汚染への不安と怖れ、大飯原発を再稼働させた野田政権への憤りが、普通の市民の間に急速に、しかも静かに広がりつつあるように思われた。歩道にいた若者が隣の友だちにこう話しかけたのを耳にした。「すごい参加者数だね。この流れは、もう止められないと思うよ」
国会包囲4 廃炉を訴えるプラカード
この日は日曜日とあって、国会議事堂には国会議員は不在。夜空に浮かぶ議事堂にも灯がともらず、ただ黒い塔が無言でそびえるのみだった。おびただしい人々による「脱原発を」という叫びも、国会議員や大臣には届かなかったと言える。
が、こうした市民の声に耳を傾けない政治家はやがて、しっぺ返しを受けるのではないか。参加者が掲げるプラカードの一つに「自民党と民主党の議席をゼロにして原発を止めよう」「自公民は原発をやめろ」「原発推進の国会議員は全員ヤメロ!」と書かれたものがあったから。
国会包囲5 市民の怒りは深く
午後7時半、人々は帰り始めた。地下鉄の駅まで長い列が延々と続いた。
警視庁によれば、この夜、国会議事堂前に集まったのは約1万4000人とのことだ。主催者は、延べで20万人が参加したと言っている。
国会包囲6 登場した「野田政権打倒」のスローガン
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔eye2011:120731〕