高市政権の短命を予測する
今年の夏の暑さは尋常ではなかった。体温を上回る高温のなかに外出するのは、それなりの覚悟が必要だった。そこにこの急激な気温低下である。北国からは初雪の便りが届いている。野遊びに出かけたくなる「秋晴れ」、読書に気分が向く「夜長」など、古来日本人が楽しんできた時季が失われつつある。そう、秋は無くなりつつあるのだ。
この気候変動を肌で感じながら思い出す話がある。第一次安倍政権下、強行採決によって教育基本法に変更が加えられ、教育目標の一つとして「愛国心の涵養」が盛り込まれた。全国の小中学校教員の間では、どのような「愛国心」教育が可能かという戸惑いが広がった。
その折、ある地方の女性教員の公開授業が全国の注目を浴びた。その教員は、日本の四季の写真とハワイの自然の写真を並べて、四季の変化に富む日本の「素晴らしさ」を強調し、日本が愛するに値する国だとする授業を行ったのである。あの教員は今頃、何を考えどのような授業をしているのだろうか。「季節が失われた日本は愛する価値がなくなった」と教えているはずもないだろうが。
公開授業のなかで、「ハワイの自然景観にも、それなりの美しさがあると思うのですが」と、一人の女子児童が疑問を呈していた。あの賢そうな顔つきをした子は自信を取り戻しているだろうか。
筆者は教育に従事してきた者として、愛国心を声高に叫ぶ者、ましてや他人に愛国心を強要する政治家にロクな者がいたためしがないと考えている。大げさな物言いをする政治家も信用できない。今般、首相に任命された高市氏も「世界の真ん中で咲き誇る日本」という安倍氏の使った、つまらないセリフを繰り返している。江戸後期の本居宣長・上田秋成の論争を知る程度の教養ある人の口からは絶対出てこない言葉である。
陳腐な右翼思想
政治記者の間で高市氏は「言葉は踊っているが中身は乏しい」という評価が共有されているらしい。安倍政権の時代、党内で女性ながら存在感を示すには、安倍氏の喜ぶような「右翼的な勇ましい議論」をすることが必要だったのだろう。杉田水脈氏の奇矯な言動を思い出せばよい。したがって、高市氏の政治姿勢を「ビジネス似非保守(右翼)」と揶揄する向きもあるらしい。
実際、彼女の主張の多くは、右翼雑誌などに見られるもののコピーでしかない。深い思考や歴史的洞察を経たうえで表明される思想には、その人なりの独自性があるものだが、彼女の主張は見事なほど極右の言論人が撒き散らす言葉の羅列になっている。
彼女のウエブサイトには「政府歴史見解は、早急に見直されるべきだと思う」と題する、小泉元首相の談話を批判する文章が掲載されている(2005年04月28日更新)。そのなかでは、日中戦争から太平洋戦争に至る日本の軍事行動について以下の通り正当化している。
「満州事変に到るまでの張作霖・学良親子の条約違反、日本人に対する挑発行為、米国の中立非遵守、支那事変に到るまでの国民政府軍による辛丑条約違反と挑発行為、太平洋戦争に到るまでの米英両国から国民党政権への爆撃機供与や経済的援助、ABCD包囲網による経済的封鎖、ことに石油の全面禁輸といった挑発行為に鑑みると、日本の行なった戦争を『侵略戦争』と総括するには無理があります」
まるで右翼の入門教科書のような文章だ。一つひとつの歴史認識上の間違いを指摘するまでもないが、要するに1937年に始まり45年に日本の敗戦で終わったアジア・太平洋戦争は、自存自衛の戦争であり、日本に責任はないとの主張である。その先に彼女の靖国参拝があるわけだ。高市氏には今後とも是非、自らの信念を貫いてもらいたい。
高市氏の悪手―維新との連立
長い目で見れば、自民党政権は戦後一貫して対米従属下で経済成長に邁進する政策によって国民の支持を維持し続けたが、1990年代には、冷戦終結と高度成長の終焉によって、構造的に存立基盤を失う過程に入った。1993年にはいったん自民単独政権が終わった。社会党は一足先に消滅してしまったが、自民党もその後を追うはずであった。
しかしその後、紆余曲折を経て、自民党は公明党と組むことにより、再び息をつくことができるようになった。公明党と組むことにより、選挙の際にはまるで枡で量ったように正確な数字の票が期待でき、両党を合わせれば絶対的安定多数の議席を確保することができたのである。公明党は衰弱する自民党にとっての生命維持装置であり続けたのだ。
しかしその慢心もあって、自民党は「裏金作り」という悪習に染まった。完全な犯罪行為であり、公明党に対しては裏切り行為であった。また。この問題が表面化してからの国政選挙では自民党が大幅に議席を失ったばかりか公明党も側杖を食って議席を減らした。ついに、この夏の参院選挙では両党合わせても過半数を得られず、政権維持自体が見通せない事態になったのである。
この状況のなかで選出された新総裁の高市氏は、長く依存してきた生命維持装置を自らの体の一部になっていると勘違いし、さらなる維持装置を求めようと、公明党への挨拶もせずに少数政党の間を走り回った。公明党にしてみれば、自民党の不祥事に付き合わされて自身も体力を大きく削がれるという迷惑を蒙ってきたのに、高市氏の軽率で自分勝手な姿を見せつけられた。さすがに嫌気がさした公明党が連立解消を突き付けたのも当然であろう。
高市政権の今後については、永田町の政治観察者たちに委ねたいと思う。小論では、ごく基本的なことを指摘して、この政権が短命であることを予測して終わりたい。
政治指導者として必須の能力は、自らの仲間(党)に対して目標を明示しつつ、考えを異にし、また思惑の異なるメンバーの間に一定の方向性を生み出す調整能力が求められる。高市氏にはこの調整能力が決定的に欠けている。その能力の欠如を自覚していない一方で、やたらと発言が独り歩きするのが彼女の行動パターンのようだ。
それを示すエピソードは多々あるが、彼女が県連支部長を務める奈良県の知事選挙は代表的な事例である。2023年実施の知事選挙でみせた彼女の不始末振りは、その能力欠如、責任感欠如を絵に描いたような姿であった。彼女は総務大臣だった経緯から総務省出身の官僚を地元の県知事選候補として呼んだのだが、現職知事が再選に意欲を示していたため候補者の一本化が困難になった。しかし彼女は県連の会合からも逃げ続け、調整努力を放棄したため自民党は分裂選挙となり、トンビ(維新)に知事の座を奪われるという失態を犯したのである。県連の党員たちの間にも深い亀裂を残した。
以上の経緯もあり、高市氏が総裁に選出された段階でも「維新とは絶対に組めないはず」と思われていたのである。ところが周知のとおり、公明党に三行半を突き付けられるや、政権党に残るためにはN国党や保守党などの少数政党にも、底を攫うように誘いをかけたうえ、維신にも飛びついたのである。
飛び付かれた維新側は、国会に議席を持たない党首(一地方知事)が国会の中を闊歩しながら「国会の議席定員の削減が連立の必須条件」という奇妙な要求を突きつけた。そのような異常な事態のなかで連立が成立した。出鱈目で手抜きの建付けの家は、ちょっとした風雨や地震で崩壊する。公明党が生命維持装置だったとすれば、維新は高市氏が首班指名を受けるための瞬間的蘇生装置でしかない。維新という信頼性も怪しい蘇生装置では安定政権を維持することは至難の業であろう。
かつて日本人にとって死の病であった結核では、しばしば死の近い患者が急に元気になって、場合によっては幻覚も手伝って奇妙に生き生きとする場面があったという。筆者には、世論調査の支持率の高さもあって奇妙に高揚している高市自民党政権は終末期の症状を呈している姿にしかみえない。
「リベラル21」2025.10.30より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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