自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(8)

著者: 童子丸開 どうじまるあきら : スペイン・バルセロナ在住
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バルセロナの童子丸開です。先日に引き続き新記事『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(8)』をお届けします。

つい先ほどですが、ドイツの検察庁は、Land de Schleswig-Holsteinの裁判所に対して、カルラス・プッチダモン前カタルーニャ州知事のスペインへの身柄引き渡しを要求しました。こちらのニュースによると、裁判所が、スペインからの要請とドイツの検察庁の要求を審査して最終的な処分を決定するのに、60日から長ければ90日かかる可能性があるということで、その間プッチダモン氏はNeumünsterにある刑務所で拘束され続けることになるでしょう。最終決定がどうなるかは分かりませんが、この間にもっと多くのことが起こりそうです。

 

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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-3/Suiciding_nationalism_in_Spain-8.html

自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(8)

これは『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)』の続編で、どちらも2018年の2月から3月にかけて起こった出来事を書き留めたものである。前回はカタルーニャの側から分離独立問題に焦点を当てたが、今回は逆に分離独立を阻止したいスペイン国家側で起こったことを中心に書いてみたい。

2018年4月2日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧
《脅かされる表現の自由》
《神聖不可侵な宗教、王室、統一国家》
《高まるスペイン・ナショナリズム》
《増え続ける「人権抑圧国家」スペインへの国際的非難》

【写真:マドリードでの現代美術展で、開会式の直前に撤去された写真作品「現代の政治犯たち」】
http://www.publico.es/files/article_main/uploads/2018/02/21/5a8d47045e056.jpg

《脅かされる表現の自由》

カタルーニャ情勢のこう着状態が続いていた2月21日、スペイン社会は新たな衝撃に揺れた。その日はマドリードの国際現代美術展ARCOの展示会初日だったのだが、その開会式の直前に、世界中で活躍するスペインの写真家サンティアゴ・シエラが出品していた作品が無断でギャラリーから撤去されていたことが明らかになったのである。その作品は「現代の政治犯たち」と題されるもので、現代スペインで刑務所に収監されている24人の囚人の顔写真を、大きなモザイク入りで並べ一人一人の人物紹介を施したものだ。多くがバスク州とナバラ州のETA関係の人物だ。ところが前日まで間違いなくそれらの写真を飾り付けてあった壁が、何もない真っ白けになっていた。

撤去の理由は、その「政治犯」の写真の中に、ウリオル・ジュンケラス前カタルーニャ州副知事とジョルディ・サンチェス元ANC(カタルーニャ民族会議)議長が含まれていたことである。この両者は共にカタルーニャ独立運動を中心的に担っていたが、現在はマドリードの刑務所で拘束中なのだ(当サイト、こちらの記事こちらの記事こちらの記事を参照)。当然ながらカタルーニャ独立派はこの二人を含む逮捕・拘束中の独立派幹部たちを「政治犯」と呼んで即時の釈放を要求し、スペインの司法当局と政府は「法を破った単なる犯罪容疑者」だと主張して独立派の要求を無視している。

西側世界の支配的な論調によると、「政治犯」はかつてのナチズムや共産主義に特徴的なものであって、現在の西欧では存在しない、or存在してはならないものである。「政治犯」がいるのならばその国家はきっと全体主義国家に相違ない、というのが、特にEUでは言わずもがなの了解事項となっている。そこにカタルーニャの独立派幹部が「政治犯」として名を連ねているというのであれば、はて、スペインは全体主義国家であったのか、ということになるだろう。スペイン国家としては、それはちょっとまずい。

この展示会の初日にはスペイン国王フェリーペ6世や中央政府閣僚なども招かれて盛大な開会式が行われる。主催者であるIFEMA(マドリード展示会協会)は「メディアの間で論争を引き起こしかねないものなので」と撤去の理由を説明するが、誰の目にも明らかに王家と中央政府の意向を忖度したものである。つまり主催者側の「自己検閲」に他ならない。当の写真家サンチアゴ・シエラは「これは国民の知性に対する尊敬の欠如だ」と厳しくIFEMAを非難した。

その前日の2月20日にも表現の自由に対する重大な攻撃があった。スペイン最高裁が、マジョルカのラップ歌手バルトニック(芸名、本名ジュゼップ・ミケル・アレナス・バルトゥラン)に対して懲役3年6カ月の刑を確定させたのである。彼が2012年からコンサートやビデオを通して表現し続けているラップの内容が、「テロを高揚するもの」であり「王室を侮辱するもの」つまり「不敬罪」であるとされたからだ。そのラップの内容については次の項目の中で具体的に書くとしよう。実は今年に入ってバルトニック以外に、ラップの歌詞やSNSでのメッセージに対する同様の裁判は他にも数多くある。主だったいくつかの例だけを取り上げてみたい。

カタルーニャ州リェイダ市出身のパブロ・アセルは、2016年に作ったラップ作品で、やはりテロの高揚と王室への不敬、国家の体制に対する中傷と侮辱を行ったという罪状で検察庁から告訴され、この1月30日に裁判が始まった。検察は2年9カ月の懲役と4万5百ユーロ(約527万円)の罰金(払わない場合には懲役が5年になる)を求刑している。またその翌日1月31日に全国管区裁判所で、バスク独立過激派ETAのテロをツイッターのメッセージ中で賛美したとして、23歳のバスク人男性カイエト・プリエトに懲役2年、公民権停止10年と4800ユーロ(約63万円)の罰金という判決があった。さらにその前の1月29日に全国管区裁判所は、フェイスブックにフアン・カルロス前国王を非難するメッセージを書いた一人の男性に900ユーロ(約11万8千円)の罰金を言い渡した。また一人の男性が2012年と13年にツイッターに載せたメッセージが同様の罪状に当たるとして、この2月1日に全国管区裁判所で懲役1年の有罪判決が告げられたのである。

もう一つ重要な言論弾圧がある。2月20日にマドリードの地方裁判所判事アレハンドラ・フォンタナが、ジャーナリストであるナチョ・カレテロの著作「ファリーニャ(「粉」)」の出版停止を命令した。この本は、1980年代から90年代にかけてスペイン北西部のガリシア州で起きた麻薬密輸・密売事件の捜査を追うドキュメンタリーで、2015年に初版が出版されすでに3万2千冊以上が売れている。さらにはこの作品を元にしたTV連続ドラマさえ作られた。しかしその事件に関与したとして起訴されたガリシア州オ・グロべ市の元市長ホセ・アルフレド・ベア・ゴンダルが、「記述の一部に虚偽がある」として告発していたもので、裁判所は新たな版の印刷・販売を禁止し、著者と出版社に50万ユーロ(約6千5百万円)の賠償支払いを命じたのである。

ベア・ゴンダルは、2001年に麻薬密輸や資金洗浄に関与した容疑で、全国管区裁判所判事バルタサル・ガルソンによって起訴されたが、2006年に最高裁によって無罪とされた。しかしこの事件と最高裁判決には今でも疑問を持つ人が多い。ガリシアには独裁者フランコ以来の腐敗した保守政治の強大な流れがあり、現首相マリアノ・ラホイもそれに属しており市長選に立つベア・ゴンダルを熱心に応援していたようである。この事件自体に多くの謎が残され、さらにそれと政治家たちとの関係には闇に包まれた部分が多いのだが、それにしても、その捜査を記録する本を、記載事項の訂正ではなく再版自体を差し止めるというのでは、言論弾圧と言うしかないだろう。

もうひとつ、表現の自由に対する重大な意味を持つ侵害が起こった。アンダルシア州ハエン市に住む24歳の男性が、受難のキリスト像の顔の部分に自分の顔をはめ込んだ合成写真をインスタグラムに載せたところ、「信仰心を傷つけた」として480ユーロ(約6万3千円)の罰金を命じられた。それはこちらの写真にあるものだが、これでどうして有罪になるのか首をかしげる。しかし最近になってやたらと国家権力によるカトリック信仰の押しつけが目立っているのだ。もっともスペインの裁判所は、ゲイのドラッグ・クイーンによるカーニバルの出し物(こちらの写真こちらの写真)に対しては「信仰心を傷つけるものではない」として問題にしなかった。ゲイが相手ではちょっと…、ということか。

《神聖不可侵な宗教、王室、統一国家》

カトリック圏の伝統的宗教行事に「セマナ・サンタ」と呼ばれる神聖な1週間がある。新教のイースター(復活祭)とは異なり、イエス・キリストの受難を重要視した祭りだ。スペインでも各地でキリストのエルサレム入城から十字架上の死に至るまでの場面が再現され、各地域の特色を出した山車と独特のとんがり帽子をかぶった行列があり、世界から何十万人もの観光客が訪れる。有名なものは何といってもセビージャのプロセシオン(行進)だろう(こちらの写真こちらの写真こちらの写真こちらの写真)。

ところで、今年のセマナ・サンタはちょっとした緊張に包まれた。こちらの写真には半旗にしたスペイン国旗が写っている。場所はスペイン防衛省本部だ。軍関係の高官が亡くなったわけではない。セマナ・サンタはキリストの受難を記念する祭りだから「キリストの死を悼む」半旗だ、というのが防衛省の説明である。本部だけではなく、こちらの写真のようにスペイン中の軍の駐屯所に「キリストの死を悼む」半旗が翻っていた。防衛大臣のマリア・ドローレス・コスペダルによれば「これは去年から始めた伝統(??!)」らしい。しかし去年にはこんなことは話題にならなかった。防衛省と軍のあらゆる建物で「キリストの死を悼む」半旗を掲げるのは、間違いなく今年が初めてだろう。

そればかりではない。マドリードで行われた純然たる宗教行事に軍人が担ぐ山車が登場し、そこに防衛大臣コスペダルの他、内務大臣フアン・イグナシオ・ゾイド、法務大臣ラファエル・カタラー、教育大臣兼政府報道官のイニゴ・メンデス・デ・ビゴが出席していたのだ。明らかに「私人の資格」ではない。防衛省と国軍と中央政府が、公然と宗教行事を執り行っているのである。政教分離などクソくらえ!ということなのだろう。この政府と軍の奇妙な動きに、先ほど書いたキリストの顔の合成写真が犯罪とされたこととを重ね合わせると、21世紀からいきなり中世の宗教国家に引き戻されたような空恐ろしさを覚える。

さてここで、先ほどのラップの歌詞やSNSメッセージの内容を覗いてみよう。犯罪とされた表現は、王室への侮辱(不敬)に関するものと、国家機構への攻撃に関するものである。後者は主に「テロの礼賛」と「分離独立の奨励」で、総じて、多民族国家スペインの統一性とそのシンボルである王家に対する攻撃、ということだ。バルトニックのラップ歌詞、パブロ・アセルのツイッター・メッセージから、有罪の根拠にされた表現を取り上げよう。何せ数が多いうえに詳しい注釈を施すと膨大な長さになるので、ほんの一部だけの紹介に留める。( )の中に文字の色を変えて注釈を書いておくが、それでもやはり、スペインに住んでいないとやはり理解が困難かもしれない。

まずバルトニック。
★『ブルボン家の王とその乱痴気騒ぎ。象狩りをしたか、売女と遊んだか、知らねえよ。そんなことは説明できねえ。てめえの兄貴を標的にしたのと同じようにな。』
(「ブルボン家の王」はここではフアン・カルロス前国王を指す。「象狩り」については当サイトこちらの記事を参照。「売女」は、フアン・カルロスとの愛人関係を指摘されるドイツ貴族の女性コリーナ(Corinna Zu Sayn-Wittgenstein)を連想させる。「兄貴を標的に」は、フアン・カルロスが子供の時代に、池の上のボートの中で実の兄をピストルで撃ち殺した事件を指す。単なる事故だったのか、王位継承者となるための意図的なものだったのかは不明。)
★『奴は憲法があるから尊敬を受ける。そのかわり人権はどぶに捨てられてるぜ。』
(この「奴」は国王を指す。「憲法」は1978年に制定された現行憲法。当サイトこちらの記事およびこちらの記事を参照。)
★『内戦でもあるときにETA万歳と言ったら、奴らはそれで君を投獄するぞ。ウルダンガリンのようなクソ野郎だということじゃなくてね。』
(「ウルダンガリン」は、フアン・カルロスの王女クリスティーナの夫であるイニャーキ・ウルダンガリンで、夫婦そろって大型公金横領事件「ノース事件」の被告となった。ウルダンガリンは有罪判決を受けたが、現在は控訴中でスイスに住んでいる。当サイトこちらの記事およびこちらの記事を参照。)
★『カレロを殺したETAは素晴らしかったよ。汚い言葉で言ってやろう。アモナール万歳!』
(「カレロ」はフランコの後継者と見なされ1973年にETAに暗殺されたカレロ・ブランコ。「アモナール」は爆薬の一種。)
★『ニトログリセリンを仕掛けて国民党のバスをぶっ飛ばしてやれればなあ。』
(ETAがカレロ・ブランコを暗殺した際に、道路の下に仕掛けた爆弾で車ごと吹き飛ばしたことが連想される。)

続いてアセルのツイートから。
★『マフィアのブルボン家がサウジアラビアの王家とパーティーしてやがる。こいつらがカネをつぎ込んでISISが続いている。』
(「ISIS」は、もちろんあの聖戦主義「イスラム国」。ISISが当初からサウジアラビア、イスラエル、米国、トルコによって支えられたことは広く知られている。当サイトこちらの記事を参照。)
★『スペイン国家は、王室の友人の犯罪者たちに、イエメンを爆撃できるように兵器を売っている。知るべきだ。』
(スペインがサウジアラビアに輸出する兵器で無数のイエメン人が死んでいる事実も有名。当サイトこちらの記事参照。)
★『王家が王宮から教訓を垂れている間に、間違いなく大勢の年寄りたちが路上で凍えてるんだ。』
(国王による毎年恒例のクリスマス・メッセージのことを述べている。もちろんスペインには大勢のホームレスがいる。)
★『またもう1年、マフィア的で中世的な王家が、公共のカネを使って知性と尊厳を侮辱しやがるんだ。信じられないよ。』
★『国家警察の暴力に報復した人たちを誇りに思う。』
★『君が警察官を殺したら?奴らは石をひっぺがしてでも君を探すだろう。国家警察が人殺しをしたら?まともな捜査などしない。』
★『国家警察はフランコの力で刑務所に入れたが、今じゃ、全国管区裁判所の判事のように刑務所に入れやがる。』
(全国管区裁判所はAudiencia Nacionalだが、アセルはこれをナチとかけてAudiencia Nazi-onalと書いている。)

これらが刑事犯罪とされるのだろうか? 少々激しく汚い表現だが事実に基づいて正当な感覚で書かれている。これで懲役刑と高額の罰金刑だというのなら「表現の自由の抑圧」などという生易しいものではあるまい。もう立派な全体主義と言ってよいかもしれない。

しかしそれにしても、78年憲法によって守られるブルボン王家と統一国家スペインに対しては、僅かの疑いも批判も許されていないようだ。前の項目で書いたように、カタルーニャの独立派政治家を含む「現代の政治犯」を自己検閲で取り外されたことを見ると、王家と国家の統一性は既に社会的に広く「アンタッチャブル」な存在となっているようだ。これに国家、特に国軍によるカトリック信仰の高揚が加わる。いつの間にかスペインは、何ともグロテスクな国になり果てたようだ。

《高まるスペイン・ナショナリズム》

先日、プブリコ紙がツイッターのメッセージの中から興味深いものを選んで載せた記事をざっと眺めていると、そのツイートの中に次のようなものがあった。『月給700ユーロで1日12時間働いて、カネを払えないから電気を止められて、子供らに食い物を与えられない。でも、スペインを誇りに思うんだ。なぜならプッチダモンが逮捕されたから。』日付は2018年3月25日、ドイツでカタルーニャ州前知事カルラス・プッチダモンがスペイン司法当局の逮捕要請に基づいて逮捕された日である。

700ユーロはおよそ9万1千円で、スペインの勤労者の平均的な収入より低いが、実際には、特に若年層で最も多い階層だ。もちろん一家の収入がこの程度ではどんな田舎に行っても生きていくのが困難である。当サイトこちらの記事でも書いたように、このツイートに書かれている状態がスペインの下層労働者の実態だろう。ただ、このメッセージが本当にこのような生活を送る人からのものかは疑わしい。発信者はこれを書くことで、当サイトこちらの記事で私が述べたように、スペインの下層労働者たちが雪崩を打ってスペイン(カスティージャ)・ナショナリズムにからめ捕られていく状況への警告を発しているのではないか、と思われる。

人間は知性ではなく、その時々の感覚と感情に基づいて生きるものだ。当サイトこちらの記事でも書いたことだが、感性に直接的に訴えるナショナリズムのために命を捨てることすらできる。物質面で悩みと苦しみが大きくなるほど、人間は感性的な満足感に向かって突っ走っていくだろう。特に自分がある集団に所属していることを…その実体があろうが無かろうが…「誇りに思う」という感情は、人間をして、あらゆる理屈ばかりか死の恐怖をすら乗り越えさせてしまう。このナショナリズムのような集団的な情念に、国家権力が意図的にある方向性と形を与えるなら、それは他者と自らを破滅させる大量破壊兵器にすらなりうる。太平洋戦争時の日本がそうだったはずだ。

この10年間、未曽有の経済危機の中でカタルーニャ独立運動が不自然なまでに盛り上がるにつれ、スペイン(カスティージャ)・ナショナリズムもまた急激に膨れ上がってきた。ただ、ほんの1年ほど前までは、それはまだ明確な形をとって現れてきてはおらず、個々人の感情的な言葉の中でバラバラに発揮されてきただけだった。しかし、前の項目で述べた「宗教、王家、国家の統一性」は、スペイン国家が、フランコの時代と同じように、このスペイン・ナショナリズムに与えたがっている形であるように感じる。

ところで、今年2月19日、表現の自由への抑圧が一気に表面化しているときにだが、スペイン人の歌手マルタ・サンチェスが、歌詞を持たないスペイン国歌に自作の歌詞を付けて歌って話題になった。スペインの国歌には、フランコ独裁時代にナショナリズムを高揚しフランコを讃える歌詞が付けられていたが、1978年に憲法が作られ新しい体制になってからはメロディーだけが演奏されるようになった。ちょうど以前のソヴィエト連邦がスターリンの死後に国歌から歌詞を取り去ったのと同じである。国対抗のスポーツの大会などでただメロディーを聞くだけで飽き足らない人は「ラー、ラ、ラー、ラ…」と声を出している。特別にナショナリストではない人でも、他の国の人々が大きな口を開けて歌っているのを見ると、何となくさびしく感じるのかもしれない。

このマルタ・サンチェスはマドリード生まれだが、実際には米国マイアミに住んでおり、ラテンアメリカを中心に活躍している。彼女の作った歌詞を拙訳を施してみた。外国に住んでいる有名人の金持ちのくせに、と反発する向きもあるのだろうが、TVニュースなどで見る限り「悪くないね」という反応が多かったようだ。

『私の祖国に、愛する大地に、私は戻る。ここは心のふるさと。いま、私はあなたに歌おう。私の中でどれほどあなたを誇りに思っているかを、だからこそ辛抱できたことを、言いたいから。行くたびに私の愛は膨らむ。でも、あなた無しでは生きていけないことを忘れないで。心の中で赤と黄の色が輝く。言い訳はしない。偉大なスペイン、ここで生まれたことを神に感謝する。最後まであなたを誇る。あなたの娘として、誇りを持ち続ける。あなたの太陽の輝きを隅々まで満たそう。そしてもしもう戻れない日が来たら、最後の休息のための場所を私に与えて。』

奇妙なことに、スペインでナショナリズム(nacionalismo)というと、カタルーニャやバスク、ガリシア、カナリアなどの分離独立主義を指す。指すというか、政治家や評論家やジャーナリストはそう言っているし、必然的に人々もそう意識している。TVや新聞やラジオは「ナショナリスト」を「スペインの敵」という意味で使っている。スペイン人にとって「スペイン・ナショナリズム(nacionalismo español)など存在しない。というか、全く意識できないのだ。私のような外国人には明らかなのだが。

恐ろしいことに、それを全く意識できない、意識させられないうちに、国家権力によってそれが束ねられ形と方向性を持たされようとしているのである。すでに、当サイトのこちらの記事でも述べたように独裁者の時代を彷彿とさせるような光景に出くわすこともある。このようなことが、ラホイ国民党政府とスペイン国家の望むところなのだろうか。

《増え続ける「人権抑圧国家」スペインへの国際的非難》

最初に述べた今年2月20日から21日にかけてのスペインでの出来事は国際的に大きな関心を引いた。2月21日の米国ニューヨークタイムズ紙は『Spanish Artwork Denounced Political ‘Persecution.’ It Was Ordered Removed.(政治的「処刑」を言い渡されたスペインの芸術作品。それは撤去を命じられたのだ。)』と題する記事で、開会式直前に撤去された写真や有罪判決を受けたツイッターのユーザー、再版を差し止められたナチョ・カレテロの著作などの表現の自由に対する抑圧の実態を紹介した。またロシア国営RT(ロシア・トゥデイ)も、バルトニックとパブロ・アセルのラップやツイートに対する厳しい有罪判決と、それに抗議する人々のデモを紹介している。

さらに2月22日にアムネスティ・インターナショナル(AI)は2017年の1年間に世界で起きた人権抑圧の報告を出したが、その中で昨年のスペインで起きた表現の自由に対する不当な抑圧に警告を発した。これには今年に入ってからの出来事は含まれていないが、この報告を発表したAIのスペイン代表は当然のようにそれらに触れている。またアムネスティは昨年10月1日の住民投票(当サイトこちらの記事)の際の武装警官隊による市民襲撃を人権弾圧として告発している。ラ・セクスタTVはこのAIの告発を報道した際に、ラホイ政権による2015年の刑法改正以来、王家に対する不敬で告訴された件数がそれ以前の3倍~4倍に急増したことを伝えている。

衝撃的だったのは、3月13日言い渡されたストラスブールの欧州人権裁判所の判決である。これは、2007年9月にカタルーニャ州ジロナ市に住む2人の青年が訴え出ていたものである。彼らは、不敬罪に反対する集会で国王(当時)フアン・カルロス1世夫妻と独裁者フランシス・フランコの写真を焼き捨てたため、15か月の懲役と2700ユーロ(約35万円)の罰金という有罪判決を受けた。上級審でも、憲法裁判所でも、彼らの上訴は却下されていたのだ。しかし欧州人権裁判所は、スペインの裁判所が表現の自由を抑圧しているとして、彼らに無罪判決を出し、逆にスペイン国家に対してそれぞれ7200ユーロ(約94万円)の賠償をするように命じたのだ。この国の憲法裁判所は文字通り「面目丸つぶれ」といったところだろう。

それはちょうどカタルーニャで独立派の州政府作りが難航している最中であり、カタルーニャの各地でこの判決を記念して、うっぷん晴らしもあっただろうが、国王の写真が焼かれまくったことは言うまでもない。そして今後、先に述べたようなラップ、ツイート、写真、本などの件を次々とストラスブールが審査するならば、もうスペインの刑法や司法機関の判断など、国際的に全く信用されないものに変わるかもしれない。

その前日の3月12日に、アムネスティ・インターナショナルは「表現の自由抑圧の口実にされている」として、「テロの高揚」という刑法の項目を廃止するように、スペイン政府に呼び掛けた。さらにストラスブールでの判決の翌日、再びニューヨークタイムズ紙がツイッターを使ってこの判決を伝え、「スペインは表現の自由への抑圧を積み重ねている」と警告を発した。また先ほど書いたラップ歌手のバルトニックだが、いまだに裁判所は刑務所への収監手続きをできないままであり、彼は各地でのラップのコンサートでスペイン国家の強権主義を告発し続けている。そりゃ投獄できないだろう。スペインの司法機関は国際的な監視を気にしまくっているのだ。

「表現の自由」に加えて、当サイトこちらの記事で書いたように、「政治的・市民的自由」への抑圧についてジュネーブにある国連人権理事会がプッチダモン前カタルーニャ州知事の訴えを認めた。今後、「表現」や「政治・市民的活動」だけでなく、経済面・生活面を含めての「スペインの人権抑圧」が国際的な組織によって告発され非難され続けることが大いに考えられる。

いま、再び建築バブルが膨らんでおり、それに加えて当サイトこちらの記事こちらの記事に書いたような観光ブームに便乗した住宅価格と家賃の急激な値上がりが進んでいる。不安定な短期契約の仕事に携わる中下層労働者が、当サイトこちらの記事にあるように、武装警官隊によって自宅から強制的に排除される件数がさらに増えるかもしれない。水道・電気・ガスといった人間生活に基本的な要素が手に入らない「エネルギー貧困」の問題も深刻化するのではないか。これらもやはり「人権抑圧」に違いあるまい。

さまざまなことがもはや「国内の問題」ではなくなっていくだろう。もしもスペインが「EUの鬼っ子」として国際的な支持と信用を失うなら、スペイン・ナショナリズムはどのようになるだろうか? ナショナリズムのような情念は、外部から攻撃され傷つけられるほど、ますます内に向かって頑強に打ち固められていくだろうが…。まあ、いまのところ、あまり考え過ぎない方が無難かもしれない…。

【『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(8)』 ここまで】

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4322:180404〕