自著を語る:『最高裁裁判官国民審査の実証的研究──「もう一つの参政権」の復権をめざして』(五月書房、2012年)

著者: 西川伸一 にしかわしんいち : 明治大学教授
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  通常国会がはじまり、民主党政権は混迷の度を深めるばかりである。消費増税法案を通すために、会期末の6月には解散総選挙は避けられないという予想も、現実味を帯びてきている。総選挙の重要性はいうまでもない。だが、それと同時に実施される最高裁裁判官の国民審査も、憲法に保障された貴重な国民の権利行使である。

 国民審査の形骸化を指摘して、その制度の廃止を唱える意見は長くそして幅広く存在してきた。これに対して、本書は国民審査制度の誕生から今日に至るまでの歴史を振り返った上で、それを「もう一つの参政権」として実質化することを主張したものである。

 直近の2009年の国民審査を前に、「一人一票実現国民会議」が投票価値の平等に反対の裁判官に×印をつけようと、全国紙を中心に大量の意見広告を出した。その結果、「一票の不平等を容認」と名指しされた二人の裁判官には、審査対象となった他の7人の裁判官より顕著に多い×が付けられた。争点を明確にすれば、有権者は明確に反応する、言い換えれば、国民審査には恐るべき潜在力が秘められているのではないか。

 そもそも国民審査は世界的に珍しい制度である。なぜこの制度が日本国憲法に規定されたのか。当然そこには、GHQの民主化政策が大きくかかわっている。司法部を国民により近い存在にする一方、その独走を抑えるために、司法部をコントロールする手段を国民に担保する。こうしたねらいで、GHQはこの制度を採用したのである。アメリカの一部の州で実施されていた裁判官の州民審査が制度設計の参照にされた。

 周知のとおり、国民審査はやめさせた方がよいと思う裁判官に×印をつけ、やめさせなくてもよいと思う裁判官には何も書かない、という投票方式をとっている。審査対象の裁判官氏名は投票用紙にあらかじめ印刷されている。これを記号式投票という。投票用紙に意中の候補者氏名を自書する日本の投票方式(自書式)からすれば、国民審査の投票方式は例外的である。

 この投票方式を決めるにあたって、当初は総選挙と同じ投票用紙を用いて、総選挙と国民審査の欄を設けてそれぞれ氏名を自書させる自書式が想定されていた。つまり、罷免を可とする裁判官がいない場合は何も書かずに投票することになる。ところが、罷免を可とする裁判官が何人もいた場合、有権者はその氏名をすべて覚えておかなければならず、有権者に過剰な負担をかける。そこで記号式が採られることになった。また、誤記を避けるため総選挙とは別の投票用紙が用いられることになった。

 要するに、記号式にもかかわらず罷免を可としない場合はなにも書かないというのは、自書式1票制から記号式2票制へ変更されたことに由来するのである。

 これまで国民審査は全部で21回施行されてきた。このうち最も個性的な回次は第9回(1972年)である。審査対象となった下田武三判事と岸盛一判事に対する組織的罷免要求運動が、盛り上がりをみせた。元駐米大使の下田は、その在職中や最高裁判事に就任してからの奔放な発言が問題視された。また、岸は最高裁事務総長時代に、青年法律家協会に属する裁判官をそこから退会させる工作に深く関わっていた。社会党、共産党、総評などが組織を挙げて、これら両裁判官に×印をつけようと運動した。

 その結果、下田の×票率は15.17%に達した。これは審査を受けてきた150人を超える最高裁裁判官の中で最も高い罷免要求率である。岸も14.59%で下田に次ぐ歴代2位の数値である。

 国民審査に対して、各政党とりわけ革新政党はいかなる方針で臨んできたのか。方針が最も一貫しているのは共産党である。第1回(1949年)から第17回(1996年)まで審査対象裁判官全員への×印投票を党の方針としてきた。ところが、第18回(2000年)を前にして方針を転換し、それ以降は党としての投票方針は示さないことになった。

 一方、社会党・社民党は全員に×印を求めるときもあれば、一部の裁判官だけに×印をよびかけることもあり、一定していない。細川政権以降与党だった時期は罷免要求方針自体を示さなくなった。いままた罷免要求路線に戻っているがまったく形式的である。

 その社会党の強力な支持基盤であった総評は、きわめて戦闘的な罷免要求運動を展開していた。それは以下の機関誌『總評新聞』の記事からも明らかである。     出所:『總評新聞』1972年11月24日付。

 1969年に保守派の石田和外が最高裁長官に就任して以降、最高裁はそれまでのリベラルな判例を次々に覆していった。公務員の争議行為についても制約が強められた。官公労組合を傘下に擁する総評はこうした動きを「司法反動」として、強く批判したのである。国民審査はそれを表明する絶好の機会だった。しかも、総評は労働基本権にかかわる裁判を多数抱えていた。

 ところで、「本土」復帰なった沖縄県の有権者が国民審査に投票するのは、第9回からである。そして沖縄県の有権者は「本土」の有権者とは異なる投票行動を示してきた。それを一言で表せば、高い全般的罷免要求率(投票総数に占める各裁判官に投じられた×票の合計の比率)と低い投票率である。沖縄県における総選挙投票率は全国平均から大きくはずれることはない。しかし、国民投票のそれはいずれの回次でも平均を著しく下回っている。すなわち、沖縄県の有権者は投票所で意識して国民投票を棄権しているのである。それが高い全般的罷免要求率となる構造的原因をなしている。

 さらに、1995年の沖縄米兵少女暴行事件の翌年の第17回国民審査では、県内6町村で全般的罷免要求率が5割を超えた。沖縄本島北部の国頭村(くにがみそん)では、なんと86.95%であった。同村の投票率は58.76%であったから、同村の有権者全体の過半数が審査対象裁判官全員に×票を投じたことになる。国民審査の2か月前には、米軍用地をめぐる代理署名訴訟で最高裁は沖縄県敗訴の判決を言い渡している。その怒りがこれだけの×票となって現れたのである。

 また本書は国民審査公報についても分析している。国民審査公報とは、総選挙時に選挙公報とともに発行・配布されるものである。審査対象裁判官が自ら経歴、最高裁での裁判歴などを書いている。有権者が審査対象裁判官について知る唯一の公的媒体である。かつては字数制限があったり、顔写真が掲載されていなかったりと、国民への周知手段の体をなしていなかった。第19回(2003年)から字数制限が撤廃され、顔写真が載るように改正された。その前後で記載内容にどのような変化が生じたか、個性的な記述にはどのようなものがあるかなどを紹介した。

 最後に、国民審査は今後どのようにすべきなのか。憲法改正により廃止するという主張も繰り返しなされている。しかし、私は国民と最高裁を架橋する制度として、これを存置すべきだと考える。最高裁が国民と乖離してしまうことを抑止する制度的保障としてその意義は小さくない。「もう一つの参政権」ととらえ直して活性化を目指すべきではないのか。とはいえ、現行の投票方式は国民審査の形骸化を促進しこそすれ、それを充実させるものにはなるまい。1970年代に野党が主張したように、○×式投票方式に改めることを提案したい。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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