伊達火力発電所反対運動の時のことです。反対運動を担う一角が有珠地区の漁民でした。多くの学生たちが連帯活動の一環として漁師の仕事(養殖ホタテの稚貝を籠に入れて、それを海に安置したりするなど)を手伝いにやって来ました。その中に学生ならぬ北大退職後の花崎さんもいたのです。慣れぬ作業で学生たちはくたくた。花崎さんもきっとそうだったでしょう。
ある時、学生団体が自分たちの方針を、援漁に参加している学生たちに押し付けようとしました。と、その時、温和そのものの花崎さんが「押しつけだろ。やり方が相変わらず変わらない」(はっきりとは覚えていません。こんな意味だったと思います)と烈火のごとく怒りました。私も含めてみんなびっくり。しーんとなりました。花崎さんの思想・生き方がよく表れているエピソードですね。
この有珠地区にはアイヌ民族が多かったのです。後に花崎さんがアイヌ民族の問題に向かって行ったのも、この有珠地区との関わりがあったものと思います。私の今いる貴州も少数民族が多いところです。町に行くと民族衣装のおばさんたちをよく見かけます。彼らは大昔今の長江中・下流地域に住んでおり、漢民族に追われて現在の地域にやって来たと言われています。彼らの先祖が小さな舟にお米を載せて海に出て、漂流の末にたどり着いたところがのちに「倭国」と呼ばれるようになった島国かもしれません。
40年以上も前の話です。私のヒゲにも白いものが目立ちます。記憶も薄れていますが、花崎さんが怒った時の光景は今でも忘れません。