(2020年11月16日)
首相である菅義偉が目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」が語られている。実は、これがよく分からない。
首相就任演説では、「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います」と言った。
この文脈での「自助」とは、自助努力・自己責任のことだ。「自分のことは自分でおやんなさい」「うまくいこうと、失敗しようと、そりゃご自分で責任を」という突き放し。一人ひとりの自助努力の環境を整備し調整をするのが政治の役割なのだろうが、このことは語られない。
「共助」とは、「家族、地域でお互いに助け合う」ことのようだ。ここでも、政治や行政の出番はない。そう覚悟せよと宣言されているのだ。そして、自助・共助に失敗してセーフティーネットが必要となったときに、初めて政府の出番となる。「セーフティーネットでお守りをする」だけが、政府の仕事だというのだ。
いやはや、たいへんな政治観であり国家観。この首相の頭の中には、「セーフティーネット」以外の行政サービスは皆無なのだ。所得の再分配も福祉国家思想もない。あるのは、ケイタイ料金値下げと不妊治療助成程度のもの。そんなことで、「国民から信頼される政府」であろうはずはなく、「こうした政府を目指」されてはたまらない。
さらに、「絆」は皆目分からない。誰と誰との、どのような支え合いをイメージしているのだろうか。それを教えてくれるのが、「菅首相と慶應卒弟のJR“既得権益”」なる「文藝春秋」12月号の記事。「菅義偉首相の実弟が自己破産後、JR関連企業の役員に就任していた」という。なるほど、そういうことなのか。
菅義偉の実弟は、51歳で自己破産した直後にJR東日本の子会社(千葉ステーションビル)に幹部として入社しているそうだ。異例の入社の背景には菅首相とJR東日本との蜜月関係があった。ノンフィクション作家・森功の取材記事。
なるほど、絆とは麗しい。「菅義偉とその誼を通じた者との間の絆」であり、「菅義偉とその支持者との間の持ちつ持たれつの絆」なのだ。かくて、権力者の周りには“既得権益”のおこぼれに蝟集する輩が群れをなす。腹心の友や、妻の信奉者やらに利益を振りまいた前任者のあの体質を、現政権も継承しているのだ。
そしてもう一つの絆。IOCやら、スポンサー企業やら、電通やら、森喜朗らとの麗しからざる絆。嘘まみれ、金まみれ、ウイルスまみれの、東京五輪絆。
本日(11月16日)菅は、「来年の夏、人類がウイルスに打ち勝った証しとして、また東日本大震災から復興しつつある姿を世界に発信する、復興オリンピック・パラリンピックとして、東京大会の開催を実現する決意だ。安全安心な大会を実現するために緊密に連携して全力で取り組んでいきたい」と述べたという。
国民には冷たい菅だが、オリンピック開催に向けては、なんという暖かいサービスぶり。しかし、そんなことを言っておられる現状か。もっと地道に、もっと真面目にコロナと向き合え。無理にオリンピックを開催しようとすれば、却ってウィルスの蔓延を招いてしまうことになる。来年の夏、人類と政権の愚かさの証しを見せつけられることになる公算が高い。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.11.16より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=15936
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10290:201117〕