ちきゅう座で、菅政権を巡って小さな論争が起きている。 この論争は、今のところ数人の論客間で、政権の評価を巡る価値観の相違として表れている。 しかし、実相は、現下の日本が置かれた状況への認識の相違が存在すると、私には、思われる。
実相は、ちきゅう座への投稿にも明らかである。 年の暮には、東京山谷支援の記事が載り、大阪西成とともに、景気の乗降によって生活どころか命までもが左右される日雇労働者の置かれている現状から日本経済の今は窺われよう。 また、都教委による教師弾圧の記事によって、未だに、民主主義がこの国に根付いていない現状を知ることが出来よう。
日本経済の実状は、嘗て徴税の実務に就いていた私には、底辺の労働者への矛盾の皺寄せと生活苦、そして、零細企業の選別淘汰される現場で観た悲劇として、トラウマとして身に纏わりついている。 菅首相が、夫人とともに暖かい夕食を摂る頃に、ボランティアが配食した冷たいパンを命の綱にするホームレスが居る。 居た堪れない現実に、その昔、老人政治家を一刀両断にした青年将校に似た思いが、己が脳裏に去来するのを認めることに躊躇はしない。
私が菅政権に当初望んだことは(そして多くの国民が望んだことは)、菅政権は、少なくとも破綻に瀕した国家財政を立て直す方針を確立し、同時に国民の生活を将来ともに保障し得る道筋を示し、国家の防衛と外交に自律的な目標を示すことであった。 これは、言うは易く行うは、勿論のこと、並大抵のことでは無い。
しかし、この政権が、実行しつつあることは、その昔に青島幸男が喝破した「財界の男妾」の如く、大企業の減税であり、その反対に、一般国民への負担転嫁である。 新規産業の創造をする知恵と力量に欠け、国家に縋り、税金を掠め取るしか能の無い企業を救済しても財政赤字が増大するだけであるのに。 能の無い経営者等は、その経営する企業とともに消えて無くなるのが筋であり、国家が為すべきことは、労働者の再教育と生活の保障である。
尖閣諸島事件では、そもそも国家統治の責めにある役職者としての自覚に欠けていると思わせるに充分であり、国境警備の最前線にある海上保安庁職員の自尊心と矜持に唾を吐き、自身が目指す政治主導の言葉に違い「官僚」に責任を押し付けて、依って立つところの「法治国家」の基礎を揺るがした。 対外的には、中国への従属的・迎合的な姿勢が際立つ結果になり、今後の外交と国防に問題を残してしまった。 この問題でも、政権内の不一致が観られるが、あらゆる面で、寄り合い世帯の政党である民主党には、政策の一貫性が存在しない。
書き連ねるときりが無いので、以上の二点に集約したのであるが、失言等は、日常的なようであきれ果てる。 本日、都合良く西岡参議院議長の政権批判論文が出た。 大方は、同意出来るものと思われる。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011010600636
首相と官房長官を酷評=月刊誌で「国を任せられない」-西岡議長
時事ドットコム
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion291:110108〕