大方の予測を超えた衆院解散に政財界人に限らず、多くの国民が驚いた。関心を抱かざるを得ないのは混迷を深めている日本経済が衆院選後にどうなるのか、その行方である。論議の的となるべきは目先の短期的な景気動向ではなく、中長期的な日本経済の姿、構図である。このテーマは21世紀・日本の真の豊かさ、幸福とは何かを改めて問い直すことでもあるに違いない。
時代がいま求めているこのテーマの一つは経済成長主義を批判し、脱「GDP主義」への転換を求めることである。さらに貧困や格差拡大をもたらしている市場原理主義(新自由主義路線)を打破していくこと、など課題は多い。(2012年11月17日掲載)
日本経済の変革を視野に収めた最近の著作として今松英悦、渡辺精一(注)共著<そして「豊かさ神話」は崩壊した ― 日本経済は何を間違ったのか>(2012年10月、近代セールス社刊)が目に付く。その大意を以下に紹介し、私(安原)のコメントをつける。
(注)今松英悦(いままつ・えいえつ)氏は1949年岩手県生まれ、毎日新聞経済部、論説委員などを歴任。金融審議会、財政制度等審議会の委員なども務める。現在、津田塾大学非常勤講師。著書に『金融グローバリゼーションの構図』(近代セールス社)、『円の政治経済学』(同文館出版)など。
渡辺精一(わたなべ・せいいち)氏は1963年埼玉県生まれ、毎日新聞大阪経済部などを経て、2003~2010年『週刊エコノミスト』編集次長としてマクロ経済、エネルギー分野などを担当。2012年毎日新聞川崎支局長。著書に『なぜ巨大開発は破綻したか―苫小牧東部開発の検証』(日本経済評論社)。
▽ 「豊かさ神話」の崩壊(1)― 乗り越える経済社会の4原則
20世紀型ともいえる「豊かさ神話」が崩壊したいま、その「豊かさ神話」を乗り越える経済社会の原則は、どのようなものなのか。本書は以下の4原則を挙げている。
* 脱GDP主義への道
原則の第一は国内総生産(GDP)を豊かさや幸福度の指標にしないこと。
石油危機の少し前に朝日新聞の連載記事「くたばれGNP」と題する連載記事が話題になった。当時はGDPではなく、GNP(国民総生産)が経済規模を量る指標として用いられていた。
いまGDPに代わる指標をつくろうという動きが見られる。経済協力開発機構(OECD)は、GDPに代わる幸福度を量る指標として「より良い暮らし指標」(ベターライフインデックス)を発表した。これは所得のみならず、住宅、教育、安全、環境、生活満足、ワークライフバランスなどの指標から構成されている。日本は所得や安全ではOECD加盟国の中で上位に位置しているが、ワークライフバランスは最下位に近く、生活満足や環境も下位である。
GDPには無駄な浪費も、環境破壊的な投資も含まれる。そのようなGDPを疑うことなしには、新たな経済社会は始まらない。
* 市場に翻弄されない社会に
原則の第二は、市場を制御する機構を備えた経済システムを構築すること。
適正な価格の決定や円滑な取引、さらに経済運営の効果を高めるために市場の役割は重要だ。ただすべてのことを市場にゆだねれば、バブルの生成や崩壊、過剰なまでの経済の金融化などの重大な弊害が生じる。例えば雇用や教育、医療など人々の社会生活にかかわる分野を市場による競争原理にさらすことは控えるべきだ。賃金にしても、人々が憲法の保障する「健康で文化的な最低限の生活」を維持できるものでなければならない。それなしには人々は先行きに不安を覚える。
リストラという名の人員整理や非正規雇用の促進、賃金引き下げには歯止めをかける必要がある。市場原理に絶対の信認を置き、自助努力を基本とした政策の結果が、いまアメリカや日本で深刻化している格差や貧困の問題だ。そこから脱出するには市場に翻弄されない社会を築いていかねばならない。
* 維持可能な発展を実現するシステムを
原則の第三は国内レベルだけでなく、地球レベルで「維持可能な発展」を実現できる社会システムをめざすこと。
維持可能な発展をめざすことでは、1992年の国連環境開発会議(地球サミット=ブラジルのリオデジャネイロで開催)で世界各国が考えを共有した。しかしそれから20年後の「リオプラス20」(2012年6月再びリオで開催)ではむしろ経済成長への道を追求することが前面に出た。
そこで、どうするのか。まず先進国は浪費型経済に終止符を打たねばならない。先進国はエネルギー過剰消費をすぐにやめるべきだ。豊かさや幸福度をGDPのみで測るのではなく、働き方や環境、時間の使い方なども加味すれば、モノの消費中心の生活態度から脱却できる。
原子力発電は即時に、あるいは遅くとも段階的に廃止すべきである。経済成長のために原発を維持、あるいは増設していくことは、地球を維持不可能なものにしてしまう。
維持可能性という点から食糧や農業も今のままというわけにはいかない。維持可能な経済社会という以上、食に直接つながる農業は地域を支える産業と位置づける必要がある。
*「小さな政府」政策との決別
原則の第四は「小さな政府」政策との決別である。
財政は国民の安心な生活のためにある。必要な財政規模の政府は、小さな政府論者が批判する「大きな政府」とは違う。「適正な規模の政府」なのだ。では健全かつ適正な規模の政府にするにはどうすればいいのか。まず予算のうち歳出の中身を抜本的に見直す必要がある。
公共事業費はこれまでかなり圧縮されてきたが、ダム事業のように十分手の入っていないところがある。エネルギー関連でも原発の立地促進費や高速増殖炉もんじゅ向けの予算などは大幅に削れる。防衛費もアメリカ軍向けのおもいやり予算や自衛隊の攻撃型装備向け予算も本来おかしなものだ。
ただそれだけで必要なお金を捻出するのは容易ではない。そこで税金を払う能力がある法人や個人を優遇してきた税制を元に戻す必要がある。
小さな政府政策に歯止めをかけ、転換を実現していくためには地方政府とも言われる地方自治体を強化していくことも欠かせない。合併により自治体の規模を大きくするこれまでの政策を大転換し、身近な仕事を担っている基礎自治体といわれる最小の単位は、住民が実感できる規模まで小さくすることが必要だ。
▽ 「豊かさ神話」の崩壊(2)― 真の豊かさを手に入れるために
本書は末尾で「真の豊かさを手に入れるために」という見出しで、以下のように指摘している。
「失われた20年」と言われたバブル崩壊後の経済社会停滞の中で、成長神話がいかにむなしいものであったか。一方、所得を増やさなければ、豊かになれないという固定観念から抜け出し、それを乗り越えた社会を築いていくことは、上述の4つの原則に示されているように希望に満ちた試みなのだ。
経済成長率を高めれば豊かになる、幸福になるというわけではない。これまでのように過剰消費にうつつを抜かす必要はない。エネルギーの消費構造がその典型だ。東日本大震災以降、企業、家庭ともに消費量は低下しているが、それで大きな支障が出ているだろうか。電車やオフィスビルの中は、夏でも寒いことがいまも少なくない。
原子力発電を全面停止、さらに全面廃棄に持っていくことは、低エネルギー社会を築くことにもつながる。モータリゼーションもオール電化も過剰エネルギー消費社会の象徴なのだ。
人々の生活がどれほど自然環境に依存しているかをみると、先進国は資源供給や廃棄物処理で過剰なまでに地球を酷使していることが明らかになっている。仮に世界中がアメリカと同じ消費水準を謳歌するとすれば、地球が5つ必要とも言われている。こうした状況が維持可能なわけはない。
これまでの経済学では、いまの経済活動を継続していくという前提で政策が考えられる。ビジネス・アズ・ユージュアル(BAU)というこの前提のもとでは、状況は何も変わらない。それを打破し、真の豊かさ、幸福を手に入れる社会を築いていく活動こそがいま求められている。
▽ <安原の感想> 21世紀型豊かさ、幸せを求めて
大手紙(11月 16日付)の書籍広告欄に『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』が話題の新刊として紹介されている。その骨子は、「うまくいかないのは、運が悪いからではありません」、「誰に悩みを打ち明けるか、どんな所に身を置くかによって人生はガラリと変わる」など。ここでは個人レベルの主観的な幸せ論に重点がある。まさに従来型の幸せ論の具体例といえるのではないか。
これと比べて、著作<そして「豊かさ神話」は崩壊した>は、どのように異質なのか。すでに紹介したように新しい21世紀型豊かさ、幸せ観は次の4つの原則の上に築かれる。
*脱GDP主義への道
*市場に翻弄されない社会に
*「維持可能な発展」を実現するシステムを
*「小さな政府」政策との決別
これら4つの原則は以下の3つの「道」原則に集約することもできるのではないか。
*脱GDPへの道
*脱新自由主義(=脱市場原理主義)への道(=市場に翻弄されない社会に、「小さな政府」政策との決別 ― の2原則を脱新自由主義というひとつの組み合わせとして捉える)
*「維持可能な発展」=「持続可能な発展」(Sustainable Development)への道
ここでは脱新自由主義への道と「持続可能な発展」への道に触れておきたい。
まず脱新自由主義とは、あの悪名高き新自由主義路線による異常な格差、貧困をどう是正していくかを指している。すなわち日本経済社会を担う主役である労働者、サラリーマンたちの賃金を含む労働条件を悪化させながら、他方、一部の企業経営者報酬や大企業の内部留保を巨大化させるアンバランスにどうメスを入れるかである。新自由主義路線の根本的な変革・改善なくして、日本経済の再生はあり得ない。
もう一つ、地球環境保全のための「持続可能な発展」への道は人類生存のためにも重要である。ただ最近は地球環境保全への熱意は薄らいできており、初心に返って、これをどう再活性化させるかが今後の課題である。なお本書は原語Sustainable Developmentの訳語として「維持可能な発展」で一貫させている。これも理解できるが、「持続可能な発展」の訳語が一般的ではないか。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(12年11月17日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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