被ばくと健康影響について (崎山比早子氏の岩波書店月刊誌『科学 2014.5』レポートより)

このほど岩波書店月刊誌『科学』の2014年5月号に掲載されました元国会事故調委員で高木学校の崎山比早子氏執筆のレポートです。A3サイズの紙2枚の短いものですが、難解な専門用語や統計・数理手法を使わず、コンパクトに一般の人にも理解できる言葉で、被ばくと健康影響についての重要なことが平易にかつ網羅的に書かれていて、非常にいいテキストになっています。放射能や放射線被曝に関心があり、かつ何が本当なのかよくわからないとおっしゃるみなさまには、ぜひとも一読していただきたい文章です(下記では、崎山比早子氏のレポートのほんの一部分の紹介しかできません。是非とも、岩波書店月刊誌『科学』(2014.5)をお買い求めいただくか、図書館等で原本に当たって、このレポートをお読みいただきたいと思います)。

 

私は常々、放射線被曝を認識・評価する際には、難しい専門的・定量的なことはいいので、その非常なまでの危険性を原理的に捕まえておけばいいと申し上げています。そうすれば、放射能や被ばく(特に内部被曝)に対して、(少なくとも物事に対して真摯な姿勢があるのであれば)安易で軽率な判断や態度はとれなくなるでしょう。私を含め、多くの人たちが、福島第1原発の汚染地域(福島県外を含む)に住み続けている人たちに対して、一刻も早く避難・疎開・移住してほしい、少なくとも妊婦や子供たちにはいち早く避難してほしい、と申し上げている理由がお分かりいただけると思います。決して「過剰反応」でも、物事を大げさに申し上げているのでもないのです。

 

その意味は、いみじくも崎山比早子氏がこのレポートで書かれている次のようなことです。

 

「放射線に安全量がないということは,図(略:当日資料p.44)に示すように、放射線のもつエネルギーの大きさが生体を形成している分子の結合エネルギーの大きさの数万倍にもなるため,放射線の飛跡がl本通ってもDNA等の分子に複雑損傷を起こす可能性があるためです」

 

つまり、放射線被曝とは、私たちの体を構成している分子という「物体の最小単位」が、それを成り立たせている力(エネルギー)以上の放射線の猛烈な力(エネルギー)で、叩き潰されてしまうということです。その力(エネルギー)の大きさの違いは(人間の体を構成する分子の結合エネルギーと放射線のエネルギーの大きさの違い)、何万倍、何十万倍もの違いであって、とてもじゃないけれど、生身の人間が耐えられるようなものではないのです。

 

そして、この放射線被曝については、少なくとも次の3つのことを合わせて認識しておかなければなりません。その1つは、放射線被曝には外部被曝と内部被曝があり、特に恒常的な内部被曝は非常に危険であるということ、これは、燃え盛る石炭の塊を、体の外に置いて温まるのが外部被曝、その石炭を口から飲み込んでしまうのが内部被曝と申し上げれば、よくお分かりいただけるのではないかと思います。

 

第二に、放射線被曝はDNAや遺伝子だけを破壊するのではなく、人間の細胞全体・体全体の生命秩序のようなものをぐちゃぐちゃに壊してしまうということです。遺伝子が正常に作用したり、細胞が正常に機能したりする、そのミクロの世界の様々な複雑なメカニズムが、放射線の猛烈な力(エネルギー)で潰されてしまうのです。これは、顔面に猛烈な勢いで飛んでくる野球のボールが当たったらどうなるか、を想像していただければお分かりいただけるのではないかと思います。顔面のDNAだけが壊れるわけではないでしょうし、顔面の遺伝子だけがおかしくなるわけではないでしょう(従ってまた、目下注目されている甲状腺を含めて、放射線被曝による健康障害はがんや白血病だけでなく、ありとあらゆる病気や障害の可能性が出てくるのです)

 

更に第三点目として、放射線被曝によって壊された遺伝子や生命秩序は、悲しいことに遺伝するということです。これは単に、遺伝子が傷ついて突然変異を引き起こすという単純なことだけではなく、上記で申し上げた生命秩序が破壊され、その破壊された状態が遺伝されてしまうということです。たとえば、具体的には「ゲノム不安定性」といって、被ばくした人の子子孫孫に、その子子孫孫が直接被ばくしたわけでもないのに、突然変異が起きる・多発する、という現象が、動物実験などで確かめられています。遺伝子やDNAが傷ついているわけではないのに、こうしたことが起きるのは、その遺伝子やDNAを取り巻く細胞内の生命秩序のようなもののどこかがおかしくなっているからだと思われます(この辺のことを、昨今では「エピゲノム」とか「エピジェネティクス」と言っています)。

 

 

上記で申し上げたことが崎山比早子氏のレポートに書かれているわけではありませんが、同氏は、昨今の放射線被曝と健康問題に関するいくつかのトピックスを取り上げて、それらがいかに捻じ曲げられて一般に伝えられているかを、丁寧に上手にわかりやすく論じています。以下、同レポートの若干の部分を抜き出してご紹介しておきます。それから、原子力ムラ・放射線ムラが繰り返す「放射線安全神話」のインチキについて、これまでも私から重ね重ね申し上げてきましたが、このメールで改めて、そのおかしな点を整理して列記しておきます。ご参考にしていただければと思います。

 

<「放射線安全神話」のインチキはここが問題だ:田中一郎>

(1)原子力を推進せんとする政治力に押されて、(放射線被曝の危険性は原子力を推進するには“邪魔もの”です)科学が真実を捻じ曲げるという似非科学に転落し、科学とその担い手の科学者が原子力を推進する支配権力に完全に「包摂」されてしまっていること(「包摂」とは「包み込む」という意味で、原子力推進の支配権力の許容する範囲内でしか存在が許されない状態になっている、その結果、自発的に科学者が科学の似非化に資するようになる、くらいの意味です)。科学者は、いわばタチの悪い政治家に変質・変身してしまっているということです。

 

(2)似非科学の正体は、実証性を喪失した「ドグマ(何が正しいか、真実かは、原子力を推進する支配権力があらかじめ決めてある)の演繹的展開」であり、経験科学の否定です。たとえば、ベクレルをシーベルトに換算する実効線量係数、線量・線量率効果係数(DDREF)(一度に被ばくする場合と少しずつ長い期間で被ばくする場合の危険性の度合いを比較して数字で表したもの:ICRPは「2」=一度に被ばくする方が2倍危険であるという認識)、放射線被曝のガンリスク・非ガンリスクなどなどについて、その科学的実証的(実験等による)裏付けがないまま、先験的に「大したことはない、それほど心配はいらない」などと結論付けているのです。

 

(3)放射線という危険物に対する防護の考え方が出鱈目であること。たとえば、崎山比早子氏のレポートには「放射線感受性は年齢や個人によって異なることから,弱者を考慮した対策が必要です」書かれています。当たり前のことです。しかし、これが原子力ムラ・放射線ムラの放射線被曝論の世界に行くと、当たり前ではなくなるのです。たとえば、ICRPの放射線被曝の単位である「シーベルト」には、年齢によって放射線感受性が大きく違うという、今やだれでもが知っていることが反映されず、大人も子どもも、妊婦も胎児も、老人も若者も、みな同じように評価され、一本の数値で表されてしまいます。あるいは「生物学的半減期」なども、個々人によって、「そんなに違いがあるのですか」、というくらいに、大人であっても大きな個人差があるのですが、これも平均値(しかも、怪しげな、、本当に実証性があるのかどうか疑わしいような「似非平均値」)が用いられ、従って、長く体内に放射性物質を留め置いてしまう傾向のある人(生物学的半減期が長い人)は、それだけ多くの内部被曝をしてしまうということが無視されてしまうのです。

 

更に問題なのは、放射線被曝防護の世界では、「安全バッファ」の発想がゼロなことです。他の世界=たとえば化学物質や重金属などの毒物に対する防護学の世界であれば、動物実験等で得られた結果に「安全バッファ」(通常は1/100、100倍)を掛けて、上記で申し上げた人間の個体差やその他の不確実性を、この「バッファ」で包み込むようにして、安全方向へバイアスを掛けます。しかし、放射能と被ばくの世界では、こうしたことは一切しません。その典型事例が、飲食品の残留放射能に関する規制値です。100ベクレル/kgなど、どこにも安全性の実証的根拠などありませんし、安全バッファも設けられす、子どもや胎児など、放射線被曝に感受性が高い世代への配慮さえ、きちんとなされていないのです。

 

それどころか、今般の福島県の汚染地域への帰還・定住化政策で問題になった、個人個人が持たされる「ガラス・バッジ」問題のように、放射線被曝を軽い方へ軽い方へと導く「屁理屈」のような理由を付けては、よりぎりぎりまで、安全性の余裕を切り詰めて行こうとする「逆安全性バイアス」がかけられています。被ばくの影響を極力小さく評価し、被ばくの危険性を回避する・させる費用をできるだけ小さくする=すなわち、人の命と健康を守ることよりも、原子力を推進して、そこから利益をあげていくことの方がより重要なのだ、という、信じがたいまでに非人間的な、バカバカしいまでに原子力利権へのしがみつきが、かようなところに露骨に表れているのです。その総合的な表現が「ALARA原則」(「あらあら原則」とか「ありゃま原則」とも言います)です。

 

(注)ALARA原則(As low As Reasonably Achievable:合理的に達成できる範囲で、できる限り低く)

田中一郎 ⇒ 他人様を勝手に汚染・被ばくさせておいて「合理的に達成できる範囲で、できる限り低く」はないでしょう。それに、その「合理的に達成できる範囲」は誰がどのようにして決めるのですか? 要するに、この一見もっともらしく見える「原則」なるものは、簡単にいえば、「加害者側は放射能汚染や被ばくの責任は最後までは取りません」「加害者側が適当なところで線を引いて、放射線被曝防護の手当を打ち切ります」「その理由は、被ばくさせられた被害者を完全に救済しようとしたら、コストがべらぼうにかかって「合理的でないから」です=要するに加害者側にカネがかかりすぎるからだ」ということを意味しているのです。

 

(4)放射線防護学や放射線生物学は、先端生命科学を無視して、数十年前の陳腐化した旧式議論を繰り返す、素人だましの似非科学に転落しており、およそまともに人間や生物の放射線被曝の実態研究・実証研究をしたことがないし、先端科学を取り入れたこともないという有様です。ここで先端科学とは、エピジェネティクス(エピゲノム)論、先端的ガン理論・がん研究、遺伝学、分子生物学(DNA研究を含む)、細胞生理学、毒性学などです。放射線被曝といえばDNAの破壊と修復問題であるかのごとく論じる、まさに今から50年以上も前のセントラルドグマ・アホダラ教です。

 

そして、許しがたいことには、原子力ムラ・放射線ムラは、放射線被曝の危険性が実証科学的に明らかになることがないよう、政治権力を使って研究者や科学者を包摂しながら、先端科学を含む本当の意味での放射線防護学や放射線生物学、つまりは科学的な被ばく研究を、ことごとく妨害し続けてきたのです。およそ放射線被曝研究に、自由な研究の風土や文化など存在しておりません。全ての実験、全ての研究、全ての論文が、放射線被曝が危険極まりないものであることを実証してはいけない、明らかにしてはいけない、こととされているのです。その意味で、原子力ムラ・放射線ムラは、単に似非科学者の集合体であるだけでなく、真の科学の営みを妨害し破壊する「ガイチュー」集団だと言えるでしょう。

 

 

以下、一部抜粋します。

「第4回東京電力福島第原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」におけるヒアリングを受けて」(崎山比早子『科学2014.5』)より

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「住民の被害の状況については未だ先の見えない避難所生活が続いています。その原因は「政府規制当、局の住民の健康と安全を守る意志の欠如と健康を守る対策の遅れ,被害を受けた住民の生活基盤回復の対応の遅れ,住民の視点を考えない情報公開にある」と結論しました。この状況は報告書提出後1年半以上経った今日に至っても変わっていません。」

 

「政府関係者が100mSv以下ではリスクがあると科学的に証明されていない」という場合,引用されるのが広島・長崎の寿命調査です。しかし,その14報では図(図1. 当日資料p.48)に示されるようにLNTモデルが実際のデータにいちばんよくあい,線量あたりのリスク(点推定値)は200mGy以下のほうが全線量域のリスクよりも高いのです。このことから著者らは放射線が安全なのはゼロの時のみだと結論しています」

 

「この図を見て100mSv以下はリスクがゼロと言えるでしょうか?  政府が帰還の目途にしている20mSvもリスクがないとはいえません。

しかも20mSvというのは年間の線量であり,5年住めば100mSvになるのです。図〔略、当日資料p.50)は非がん性疾患も線量に応じて増加することを示しています」

 

「このような広い層からの要望に応え,福島県以外でも被ばく線量年間1mSv以上の地域の住民に対し健康に対する権利が保障されるよう強く要望するものです。さらに現在の健診は福島県が主体となっているため不具合が多発しています。日本医師会の提案のように厚生労働省に一本化して体系的な健診体制を整えて下さい」

 

「さらに,2012年以後発表された論文では,イギリスでの小児CT検査による白血病,脳腫蕩、自然ガンマ線の累積被ばくに応じた小児白血病の増加、オーストラリアのCT検査による腫瘍の増加から,数mSvで発がんリスクの増加がバックグランドに隠れることなく示されており,彼らがそれを知らないはずはないのです。」

 

「そして,「生活していけるか」は専門家が決めることではありません。そもそも被ばくを受忍するかどうかを決めるのは住民であるべきです。この専門家会議のメンバーに被害を受けた住民が一人も入っていないのは著しく正当性を欠いています。」

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
〔study615:140521〕