論壇は国民に影響を与えられるか(2) ― 奥武則著『論壇の戦後史』を読んで ―

著者: 半澤健市 はんざわけんいち : 元金融機関勤務
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 この状況のなかで『中央公論』1963年1月号に「現実主義者の平和論」が載った。筆者は高坂正堯(こうさか・まさたか)、ハーバード大留学から帰国した気鋭の京大助教授である。専門は国際政治で、同時期にハーバードの客員教授だった丸山真男と議論を重ねたが意見はあわなかったという。高坂論文は、加藤周一や坂本義和を意識したものであり、(非武装中立の日本)論への批判であった。高坂の立場は、理想主義者は権力政治への理解が不十分だというものであった。彼は、「核戦争になれば日本の防衛は不可能であるという坂本の指摘は正しいが、だからといってすべての武装がが無意味であるとはいえない」とした。高坂や永井陽之助をデビューさせたのは『中央公論』編集長だった粕谷一希(かすや・かずき)である。粕谷は、坂本との面談を望んだ高坂を坂本と引き合わせたが、結果を待っていた粕谷のもとに戻った高坂は「残念ですね。話が全然かみ合わない」と言ったという。

 《奥武則が「ポスト戦後」の時代と呼ぶ理由》
 現実主義が論壇に進出したものの、彼らが批判した「権力政治の理解の足りない」理想主義者が撤退したわけではない。ベトナム反戦、全共闘、それに寄り添った「『朝日ジャーナル』の時代」が続いた。
 一方で「現実主義者」は高坂からだけでなく、四方の物陰からせり上がってきた。
 一つは、『世界』が創刊時に排除したオールドリベラリストの系統を継ぐ者たちである。
その系譜を細かく紹介する紙数はないが、キーワードとして『心』、『自由』、『文藝春秋』、『諸君!』、『正論』、『WiLL』の誌名が挙がっている。奥は、現実生活派の『文藝春秋』の動きに注目している。たとえば『諸君!』について奥は次のようにいう。
 ■文藝春秋の『諸君』創刊は1969年7月号(誌名に「!」がついたのは70年1月号)。巻末の「創刊にあたって」で、池島信平社長は「世の中どこか間違っている――事ごとに感じるいまの世相で、その間違っていたところを、自由に読者と一緒に考え、納得していこうというのが、新雑誌『諸君』発刊の目的」と記している。「どこか間違っている」「世の中」の大きな部分が、池島にとって「革新」的な言論があふれる「論壇」だっただろう。巻頭には、福田恆存「利己心のすすめ」と清水幾太郎「戦後史をどうみるか」(後は、インタビュー)が並んだ。目次をみると、「どこか間違っている」の対象は、まず当時吹き荒れていた大学紛争と中国の文化大革命らしい■

 《「ポスト戦後」は「悔恨共同体」の消滅か》
 終章「ポスト戦後の時代―論壇のゆくえ」で、奥武則は、論壇の観点からは高度成長期を含めた時期を大きく「戦後」と捉えている。そしてその後を長い転形期と考えて「ポスト戦後」と捉えるのである。
 なぜそうなのか。国内外の状況の激変がそうさせるのである。「学歴エリート」の時代から「大卒グレーカラー」の時代へという大衆社会の出現、戦後左翼の希望だった中国における文革の混乱、大学反乱の帰結たる連赤のリンチ事件、日中国交回復の立役者田中角栄の失脚、ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一、米国の一極支配、9・11のテロ、アフガン・イラク戦争、自衛隊の海外派遣、これら世界の激動の時代は決して「論壇」の消滅を意味しない筈である。
 しかし戦後論壇の出発点は丸山真男に代表される「悔恨共同体」の意識であったというのが奥論壇史の組み立てである。

「悔恨共同体」とは何か。丸山の文章によって確認しておくことも無意味ではあるまい。奥はこの心情の消滅をもって戦後論壇の消滅と考えているのである。
 ■我々の国にはほとんどいうに足るレジスタンスの動きが無かったことを、知識人の社会的責任の問題として反省せねばなるまい。(略)われわれは日本の「驚くべき近代化の成功」のメダルの裏を吟味することから、新しい日本の出発の基礎作業をはじめようではないか。(略)「これまで通りではいけない」という気持は、非協力知識人の多くをもとらえていた、と思います。知識人の再出発―知識人の専門の殻を超えて一つの連帯と責任の意識を持つべきではないか、そういう感情の拡がり、これを私は「悔恨共同体」と呼ぶわけです。(「近代日本の知識人」、『丸山真男集』第一〇巻)■

 《「うなぎの寝床」を研究の成果と見たいが》
 本書の構成について少しややこしい話をする。
 本書の「元版」は2007年5月に「平凡社新書」として刊行された。その内容は、本書では「終章 ポスト戦後の時代―論壇のゆくえ」として収録されている文章で終わる本書の大半と、95年から96年に、戦後50周年特集として毎日新聞に連載された「岩波書店と文藝春秋―戦後50年 日本人は何を考えてきたのか」(毎日新聞社が1996年に出版)の編集体験、さらには月刊誌『論座』(朝日新聞社)の2005年4月号に書いた記事「〈論壇〉の戦後史―いくつかの雑誌に即して」の短縮版である「補章 戦後「保守系・右派系雑誌」の系譜と現在」から構成されている。さらに、本書には「付論 「ポスト戦後」論壇を考える」が付き、「あとがき」があり、最後に保阪正康の「解説―次世代への継承」があり、そのあとに「参考文献一覧」「関連年表」があるのだ。「付論「ポスト戦後」論壇を考える」は、アップ・トゥー・デート意識から、西部邁の自裁から白井聡の『国体論』までが出てくる。小熊英二、大澤聡、与那嶺準、佐々木俊尚、加藤典洋、大澤真幸、孫崎享らが現れる。奥の執拗な研究心には頭が下がるが、本書の姿に建て増しを続けて「うなぎの寝床」状になった旅館を連想しないわけにはいかない。

 《インテリの言説は生活者に届くのか》
 以上が三つのポイント論であり感想である。
しかし実をいうと私は、そもそも論壇は大衆社会の生活者に影響を与えうるかという素朴な疑いを感じている。「悔恨の共同体」の住人たちが発声した知識人たちへの言説は影響を与えたのかという疑問も持っている。平均80年の寿命をもつ日本人の生活感覚に、強い影響を与える知的言説は多くない。人びとは、家族に始まり多くは企業に終わる「生活共同体」のなかで、人生観や世界観や処世の技を学ぶのである。「うなぎの寝床」はそういう問題意識に注目して展開して欲しい。これが私の本音の感想である。(2019/01/22)

 ■奥武則著『増補 論壇の戦後史』、(平凡社ライブラリー、平凡社・2018年10月刊、1300円プラス税)

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