なぜ日本の言論空間は親和的なのか――「親ロ的言説」を生む条件
ロシアの情報戦は、外部から一方的に侵入してくるものではない。むしろ、その成否を左右するのは、受け手の社会がどのような言説的条件を内包しているかである。
日本の言論空間は、ロシアの認知戦と不思議なほど高い親和性を示してきた。これは偶然ではない。
1 反米・反覇権という正統な批判の遺産
戦後日本には、強固な反米感情と覇権批判の伝統がある。ベトナム戦争、イラク戦争に象徴される米国の軍事行動は、国際法や人道の観点から厳しく批判されるべきものであり、その批判は正当である。
問題は、その正統な批判が、しばしば唯一の批判軸として固定化されてきた点にある。
反米であることが、即座に批判的であり進歩的であるかのように受け止められる環境では、別種の帝国主義や権威主義に対する批判が相対的に弱体化する。
ロシアの情報戦は、この構造を巧みに利用する。
米国の過去の犯罪を指摘すること自体は正しい。しかし、それが現在進行形の侵略や暴力を免責する論理へと転化するなら、批判はその力を反転させてしまう。
2 冷戦期ソ連理解の残滓
日本には、冷戦期に形成された独特のソ連理解が残っている。
それは、ソ連(ロシア)を「交渉可能な合理的国家」「安全保障上の懸念をもつ大国」として捉える視角である。
この見方自体が誤りだとは言えない。だが、冷戦終結後もその枠組みが更親されないまま残存した結果、
- ロシアの体制変化
- 権威主義の深化
- 周辺国への暴力的介入
といった現実が、過去の理解枠の中で過小評価されてきた。
その結果、ロシアの行動はしばしば「予測可能」「理解可能」「交渉の余地がある」と語られ、被害を受ける側の経験や主体性は後景に退く。
3 地政学リアリズムの過剰化
近年、日本の言論空間では「地政学」が一種の万能鍵として用いられる傾向が強まっている。
大国は勢力圏を求め、小国は翻弄される。国際政治とはそういうものだ、という冷笑的な現実主義である。
しかし、この地政学的語りが過剰化すると、
- 国際法
- 主権
- 市民の生存権
といった規範的要素が「理想論」として切り捨てられる。
ロシアの侵略は「仕方がない」「予想された行動」と説明され、責任の所在は曖昧になる。
ここでロシアの公式ナラティブと、日本の一部言論が接合する。
暴力は非難されないのではない。ただ理解という名で希釈されるのである。
4 逆張りが評価される言論市場
日本の言論市場には、主流と異なること自体が評価される構造がある。
大手メディア批判、世論への異議申し立ては、しばしば批判的知性の証と見なされる。
しかし、反主流であることと、批判的であることは同義ではない。
ロシアの情報戦は、この混同を巧妙に突く。主流に反対する言説が、その内容を吟味されないまま流通するからだ。
第2回の結論
日本の言論空間がロシアの情報戦と親和的なのは、外部から操られているからではない。
日本社会自身が、利用されやすい条件を内在させているからである。
次回は、こうした条件のもとで、どのような言説が、どのような人々によって再生産されているのかを具体的に検討する。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14629:260118〕











