やや旧聞に属するが、1月27日、ドイツ連邦議会主催の「ナチ犠牲者のための追悼式典」が行われたという。なぜ1月27日かというと、ポーランドのクラクフ郊外にある、ナチが作った最大の絶滅収容所、アウシュヴィッツ強制収容所が、1945年1月27日に旧ソ連軍に解放された日だったからである。ナチによるユダヤ人大量虐殺がなされた象徴的な場所にもなっているからだという。
追悼式典のことは、「ベルリン通信」の池田記代美さんの「連邦議会で行われたナチ犠牲者のための追悼式典」というレポートによって知った。
(『みどりの1kWh』https://midori1kwh.de/2022/02/13/13180 2022年2月13日)
1996年、「想起に終わりがあってはならない」と当時のロマン•ヘルツォーク大統領(在任期間1994-1999) が、犠牲者を追悼する記念日の制定を提案してから始まったというから、そんなに古いことではない。以来、ドイツでは官庁が半旗を掲げ、各地のナチの加害の歴史を継承する記念館、記念碑を中心にさまざまな行事が行われる。
2021年1月27日、アウシュヴィッツ強制収容所跡地で開催された追悼式典は、コロナ禍のためオンラインで開催された。
一方、国連は、ホロコーストには、国や民族、宗教をこえて全人類に普遍的な教訓があると宣言し、教育の場でとりあげていこうと加盟国によびかけ(第60回国連総会決議 2005 年11月1日)、アウシュヴィッツが解放された1月27日を「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」に定めている。そして各国、各地で、追悼行事が行われるようになった。
UNIC国際連合広報センター
https://www.unic.or.jp/news_press/info/11945/
日本ではというと、この日に何かなされているのか、その報道というのにもあまり接したことがなかった。この日の追悼行事というのではなく、以下のような関連施設で、ナチによる差別や大量虐殺の暴挙を後世に伝えるべく、さまざまな展示や行事がなされていることがわかった。
ホロコースト記念館(広島県福山市聖イエス会御倖教会内、1995年6月~)
=HOME= of HEC (hecjpn.org)
アンネ・フランク資料館(兵庫県西宮市アンネのバラの教会内、1980年~)
http://www.annesrose.com/
NPO法人ホロコースト教育資料センター(東京都品川区、1998年~、2003月資料館閉館移設)
https://www.npokokoro.com/https://www.npokokoro.com/
杉原千畝記念館・人道の丘(岐阜県八百津町、2001年3月~)
http://www.sugihara-museum.jp/
人道の港敦賀ムゼウム(福井県敦賀市、2008年3月~、2020年移設リニューアル)
https://tsuruga-museum.jp/
しかし、私は、ドイツでは、連邦議会において追悼式典が続いていることに驚いた。冒頭の池永さんのレポートによれば、今年の式典では二人の来賓がスピーチをしている。
一人は、幼少時からナチによるさまざまな迫害を体験し、チェコのテレージエンシュタット強制収容所から生還し、アメリカに渡った女性アウアーバッハーさん(87歳)で、ナチに殺害された150万人の子どもたちのことを忘れないで欲しいと訴えている。もう一人は、イスラエル議会の議長ミッキー・レヴィさんで、ナチ時代の帝国議会が1934年3月「全権委任方」を採択し、自ら立法権を内閣に手渡し、ナチの独裁政治を可能にした歴史を振り返って、600万人というホロコーストの犠牲者を数字で理解するのではなく600万の命と物語があったことを思い起して欲しいと訴えた。このように、生き延びた体験者の話を聞くことを議会自らがしているところに、ドイツと日本の大きな違いをまざまざと見せられる思いであった。
日本の国内外における戦争犯罪に対する責任追及は、自らの手でなされることがなかったことが、アメリカ従属の、今に至る日本の戦後史を決定的なものにしてしまったのではないか。昭和天皇の責任論や退位論が活発になされていた敗戦後を思い起すべきではないか。事件や不正が発生して、閣僚や官僚がようやくその職を辞任しても、罪に問われることはなく、どこかで生き延びている。会社の幹部がそろって頭を下げて、一件落着といったケースがあまりにも多すぎる無責任体制が怖い。
今のプーチンとその指令に従う人々の責任はどうなるのだろう。考えることをやめてしまう恐ろしさ、いわゆる「凡庸なる悪」という「言葉」に逃げ込んではならないと思う。
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私たちがワルシャワとクラクフを訪ねたのは、2010年5月であった。その年、ワルシャワは、ショパン生誕200年ということで盛り上がっていた一方、「カチンの森」事件から70年ということで、さまざまな行事が企画され、街角にもあちこちに追悼の写真とメッセージが展示がなされていて、いささか驚いたことを思い出す。
初出:「内野光子のブログ」2022.3.8より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/03/post-1019e9.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11833:220309〕