*60年安保闘争から既に50年がたち、今の若い方の間には「60年安保」やその時代状況が一体何だったのか判りかねるという方々が増えていることと思われる。それ故、この特集を読み、理解していただくための一助として、以下の年表を添えて参考資料としたい。
1955.08.29 安保改定対米打診
重光外相、ワシントンで安保改定を打診するが、ダレス国務長官が拒否
1955.08.05~ 砂川闘争
1956.10.13 立川基地拡張をめぐる反対闘争、拡張は阻止された。57.07.08の第2次砂川事件では東京地裁で米軍駐留を違憲とする伊達判決が出る。
1956.10.19 日ソ国交回復
.12.18 日本、国連に加盟
1957.06.21 岸首相訪米、日米共同声明
安保条約検討の日米安保委員会設置を決める
1958.09.11 藤山外相、ダレス国務長官と会談
安保条約改定で合意、10.04マッカーサー大使と改定交渉開始
.10.08 警察官職務執行法改正案を突如国会提出
警察国家復活と猛反対が起こり、11.22審議未了で廃案
.12.10 共産主義者同盟(ブント)結成
島成郎書記長、全学連主流派を指導、安保闘争の中核に
1959.03.28 安保改定阻止国民会議が発足
社会党、総評、原水協など13団体が幹事、共産党はオブザーバー、全学連は安保改定阻止青年学生共闘会議の一員として参加
.03.30 砂川事件で伊達判決
検察最高裁に跳躍上告、12.16最高裁、伊達判決破棄、差し戻し。米公開公文書から、マッカーサー大使と田中最高裁長官、藤山外相と密議が明るみに
.04.10 皇太子結婚式
.04.15 国民会議第1次統一行動
.06.02 参議院選挙
自民党非改選議席を合わせ、参議院で絶対多数を確保
.06.12 第2次岸内閣
.06.25 国民会議第3次統一行動
全国で350万人が参加、全学連も24大学20万人が参加とそれぞれ発表
.09.13 社会党大会
安保闘争方針の対立で西尾末広ら33人が離党、60.1.24の民主社会党結成
.09.26 伊勢湾台風
死者、行方不明5098人
.11.27 国民会議第8次統一行動
全学連主流派を中心とした請願デモ隊2万人、警官隊の阻止線突破、国会構内で集会
国会デモは請願権の行使、旗、プラカードなし、請願書を届ける形をとる
.12.11 三池闘争始まる
活動家の指名解雇に反対、無期限ストに~60.11.11、総資本対総労働の対決
1960.01.16 岸訪米阻止羽田闘争
全学連主流派約700人が空港食堂を占拠、篭城、唐牛委員長ら78人が逮捕
.01.19 新安保助役調印
渡米した岸首相、アイゼンハワー米大統領がホワイトハウスで調印式
.02.06 安保批判の会、諸組織への要請
清水幾太郎、中島健三、亀井勝一郎、滝沢修らの同会が全学連羽田闘争と関連して「国民のエネルギーをくみ上げよ」指導部を批判、
.02.19 衆議院安保特別委で新安保条約審議開始
.03.16 全学連臨時大会
共産党系(全学連反主流派)を排除、ブントの指導体制確立
.04.18 韓国李承晩大統領辞任
学生デモが起爆剤、国民的辞任要求デモで独裁政権が崩壊、米国亡命(05.29)
.04.26 国民会議第15次統一行動
連日請願デモが続く、26日は8万人。焼香デモと批判する全学連主流派6000人は国会正門前の警官隊阻止線を突破、国会内突入を図る。唐牛委員長ら幹部17人逮捕
.05.09 U2機撃墜事件(05.01)
フルシチョフ・ソ連首相米スパイ偵察機U2機撃墜で、発進基地攻撃と 警告、厚木のU2機を新安保の戦争巻き込まれと関連付け、安保特別委で追求
.05.14 国民会議、非常事態宣言
請願署名者1350万人と発表
.05.16 衆院安保特別委公聴会終了
.05.19 新安保強行採決、警官隊国会導入
衆院安保特別委で質疑打ち切り、採決動議、新安保条約、地位協定、関連法
を強行採決。清瀬議長の議場着席を阻止する社会党議員を警官500人が排除、
国会会期延長を議決。
国会周辺は緊急動員で3万人のデモ隊で埋まる
.05.20 衆院本会議単独可決
午前零時06分衆議院本会議開会、自民党単独採決で新安保条約など3法可決。
国民会議「岸内閣打倒、国会解散」の声明発表。
国会周辺デモ隊は未明にいったん解散するが、午前には自然発生的に国会デモが始まる。全学連主流派。首相官邸突入を図り、警官隊と衝突。
この日を境に運動は安保改定反対から岸退陣へと質的に変化、さらに大きな国民的運動に拡大する
~.05.25 連日岸打倒デモ、国会から渋谷南平台岸公邸まで
デモの層は労働組合、学生にとどまらず、各界各層に広がり、一般市民も加わった。東京だけでなく地方からの上京するデモ参加者も増えた。
デモの渦は集合地点となった日比谷公園、清水谷公園から解散地点の有楽町、
東京駅周辺にまで広がる。
.05.26 国民会議第16次統一行動
総評加盟労組の時限スト職場大会参加200万人、国会請願でも17万5000人
夜銀座街頭でジグザグデモ。
.06.04 安保改定阻止第1波実力行使
ゼネスト規模の抗議行動、統一行動参加者560万人、一般市民も参加した国会デモ13万人。
.06.10 ハガチー事件
アイゼンハワー米大統領来日準備で羽田に着いたハガチー新聞係秘書をデモ隊が包囲、ヘリコプターで脱出。共産党は安保闘争を反米闘争と位置づけ、このデモは共産党系全学連反主流派が主役。
.06.14 総評、羽田デモ中止決定
19日のアイク来日時の羽田デモ中止、13日社会党は自民党政治休戦党首会談
に応じるとの決定と並んで、アイク来日阻止の戦列が乱れる。
.0615 全学連国会突入、樺美智子の死
安保改定阻止第2波実力行使211単産、580万人参加、社会党アイク訪日抗議デモ取り止め。
国会周辺、午前10時ごろから10万人が国会デモ、夕刻右翼集団が安保批判の会の隊列を襲撃、負傷者80人。
午後5時ごろ全学連主流派8000人が南通用門に集結、国会突入を図る。警官隊に激しい投石、門を破壊、阻止車両を引き出す。警官隊放水車で対抗するも、学生構内に入る。
午後7時過ぎの警官隊の警棒使用の実力行使で一旦学生は門外に押し出される。その際の激しい衝突の混乱の中で樺美智子が死亡。
この抗議集会で学生は再び国会構内に入る。午後10時ごろ学生集団が国家正面に移動を始めた際、警官隊に包囲攻撃される。午前1時過ぎ国会周辺の学生集団に催涙ガスが打ち込まれ、警官隊の襲撃を受ける。
逮捕者174人、救急車収容の負傷者だけで555人。バリケード用車両24台
炎上または破損。
6.15事件の審理に当たった東京地裁は判決の事実認定で警官の実力行使は「職務権限を越えた違法なもの」と断定した。
.06.16 アイク訪日延期要請
岸は臨時閣議で延期要請を決定、同時に首相辞任の意も固める。
全国各大学で抗議集会、国会前では全学連など1万人が抗議デモ。
.06.17 7社共同宣言
在京7新聞社が「暴力を排し、議会主義を守れ」の宣言を17日付け朝刊
に掲載。安保闘争は一転後退局面に。
.06.18 新安保自然成立前日
安保改定阻止第3波実力行使、国会周辺を33万人のデモが埋める。全学連主流派3万人国会座り込み、反主流派2万人警視庁デモ。
岸、自衛隊の出動を赤城防衛庁長官意打診するが、同意を得られず。自然承認の瞬間を弟佐藤蔵相2人だけで官邸で待つ。国会を囲むデモ隊も座り込んで同じ時を待つ。
.06.23 岸辞任表明
新安保条約批准書交換、岸閣議で辞意表明。
.07.19 池田内閣成立