資本の物神性」「資本の商品化」「株式資本」について(追加)

先に述べた「資本の物神性」、「資本の商品化」、「株式資本」の三つの概念の前提となる大事な概念を落としていました。「運動体としての資本」という概念です。資本は、機械や材料、労働力というDingではなく、「社会的関係」しかもG-W-G´という運動体としてのSacheであるということです。この「運動体」が物神性を孕み、また、商品化されるというわけです。このマルクスの「資本」概念は、いかなる経済学派の「資本」概念より優れている(現在でも!)と、私は思っています。

ほかに

ついでながらというと失礼かもしれませんが、ブルマンさんに一言。「逆転の論理」についてはおっしゃるとおり論理破綻していると思いますから、ここではくどくど述べる必要はないでしょう。問題は「宇野派の方法」です。

ブルマンさんの「宇野派の方法」のモデルには一つの変数が欠けていると思います。それは、「等価形態に立つある商品の他の商品と比べた社会的需要の大きさ」という変数です。「宇野派の方法」には「最もその使用価値が社会的に多く求められる商品が、反対に価値の担い手としてだけ求められるようになる」というパラドクスが含まれていると思います。すなわち、商品Aの社会的需要度>商品Bの社会的需要度>…というような差が与えられることにより、特定の商品が一般的等価形態として絞りこまれていく―こんなモデルになると思います。ブルマンさんは、間違いなく私より数学的能力があると思いますので、是非こうしたモデルを作成していただきたい。無責任な発言ですが是非是非!!

最後に

武田さん。この「ちきゅう座」で花崎さんと再会できる日を楽しみにしています。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/

〔study684:20151213〕