中野@貴州さん
私も内田さんの本に接してまず感じたのは、同じことなのです。
それは内田さんそれに廣松さん、もっと広く言うと宇野派以外人々は資本論の理論領域を「理想的平均」を想定した「資本一般」の範囲を扱うものとしている点に中野さんや私の感じる違和感の大元があるのです.
資本一般としてしまえば、そこのは非対称性や恐慌として頂点に達する不均衡は元からありえない。
対称性が原理で、対称性の破れ=非対称性はその外側で説かれるべきであるとみているからです。
だから非対称性を内包した対称性ではありえないです。
しかしこういう方法論では外部的に非対称性が説かれると、それが原理の対称性と機械的形式的にしか折り合いをつけられなくなるという、大きな困難が待ち受けることになる。
やはり原理的に非対称性を包含した理論を再構成すべきだと思われます。