「スナ」さんとは? いったいどんな人物だろう。「辺見庸ブログ」によく登場する。とても気になる存在なのだ。
40歳前の独身男性か。「けふも一生懸命はたらいている」。ときおり、辺見さんの部屋をおとずれては、ケーキやアイスクリームをほおばる。グチもこぼす。かたわらで、辺見さんと同居犬は聴いている。
「全面的にかわゆらしい」とまで、作家の辺見庸は書く。病院につきそってもくれる。パソコンのセッティングもしてくれる。スナさんは「実務的」に有能なだけではない。人間的な内面をもった人物なのであろう。熱いこころざしをもっている。辺見さんと同居犬の信頼をえている。
血縁ではない、3者の交流が「辺見庸ブログ」にはドラマティックに展開するのだ。うらやましい。それぞれの風景を脳裏におもい描けば、わが心はなごんでくる。彼らのうれしそうな笑顔も伝わってくる。ときに真剣な、かなしい表情さえも。
このような交流は、辺見庸の日々に魂の安息と歓びをもたらしていないだろうか。
発症してから18年が経過する。ときに「激痛」が身体をはしる。
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このたび、わたしは、辺見庸の『自分自身への審問』を角川文庫3刷で再読した。感動
は大きく、新鮮だった。巻末には、大道寺将司の「勘考し、覆考する」と、加藤万里の「解説」が掲載されている。作品群は今もしたたかに胸をうってくる。なお、単行本は2006年3月に毎日新聞社から刊行されている。
2004年3月、辺見庸は過労の果てに倒れた。脳出血をわずらう。病後の後遺症は軽くはなかった。1年4か月後、執筆を再開するが、連載中にがん手術をうけるのである。
半身の不随と深い麻痺。自由に歩けるようになりたい。右手で、箸を使い字が書けるようになりたいと思う。心はおびえ、ふるえる。そんななかで、辺見庸は気づいたことがあった。「やっとわかった」ことがあった、というのだ。
10日以上が過ぎた。初めての入浴。「お湯熱くないですかあ」若い女性介護士が、ていねいに体を洗いながら、やさしく声をかけてくる。「かつて味わったことのない至福」が体の奥からわいてきた。「泣きたくなるくらい感動する」。倒れる前にはこんな感動はしていないと、辺見庸はいう。
「セーキは自分で洗いますか?」彼女の「生真面目な問い」に「恥辱」はすこしも感じな
い。むしろ、好感した。それは「ほっこりと人間的だったから」だと、辺見庸は書く。
彼女は日に何人もの障害者の体を、おそらく安い給料で洗っているのだろうとも、考えるのである。
本書は5章から成立する。第1章の冒頭に描かれたこの風景は、とても感銘ふかい。描く、という、いわば描写力のきいた文章なのだ。「恰好つけずに」分けいった貴重な風景である。人のやさしさを心身で感じ、素直に人に感謝する。辺見庸にとって、人としてある種の歓びと安堵をおぼえる、初めての体験だ。内面に変化をもたらした出来事だった。
1999年7月、評論家の江藤淳が自死している。書き置きに「江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり」とあった。
辺見庸は、心身が不自由になったいま、江藤の自裁と言葉が「何だか身体的にとても切実なもの」になったという。さらに考える。「真に広い奥行きや思考の重層性を感じさせるほど佳い文章」ではないと。「形骸のように生きることはまったく実存の意味はないのか」とも。辺見庸は倒れたおかげで、形骸にすぎない人たちの多くを見かけ、近くで暮らしてきた。だから、江藤の言い方には抵抗がある。自分は「存在の殻」のような人たちの「内奥」に興味があるのだと、辺見庸は書く。
第5章の「自分自身への審問」のなかでも書いている。「限りなく形骸に近くなった実在の心性について、江藤淳には表現する責任のようなものがあった」と。自身は「拙いながらもなにごとか書く必要を感じている」と。
いつぞや、江藤について「週刊読書人」の編集者から、わたしはこんなことを聴いた。江藤の新刊著書のタイトルをまちがえて当紙に発表した。加藤典洋担当の書評であった。江藤から立腹の電話が編集者にかかる。〈訂正と謝罪文を第1面にかかげよ〉と。いかにも尊大な命令だと、わたしはそのとき聴いたものだ。
江藤には「劣性の自覚」などほど遠い。病後の身をこごめて生きるなど、高いプライドが許さなかったのかもしれない。体験と見聞と人たちへの関心の度合いが、2人の病後の生き方を決めているようにも思う。辺見庸の、江藤の自裁と言葉にたいする思索力、批評力は、するどくて、ふかい。作家、辺見庸を鮮やかにする江藤批判であろう。
辺見庸は病後のベッドで、さらに気づいたことがある。「己の心の喪明に鈍感だったこと」「必死でしがみつき、まさぐることのできるような存在を拒んできたこと」「無明長夜を独りでも歩けるとわれ知らず過信したこと」。
「こんな簡単な道理に気づくまで約六十年もかかるなんて!」辺見庸は自身の不明に気づき、悲嘆し反省するのだ。しかしこの先も、なにがしかのことどもを書き、よろけながら歩いていくと、宣言するのだ。本書最高の場面にちがいない。胸がしめつけられた。身につまされる思いで、わたしは、何度も読みかえしたものだ。
そして、辺見庸は今後も「改憲反対」「侵略戦争反対」をはっきり表明しつづける意思を述べるのだった。
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『自分自身への審問』は、辺見庸の病後の再出発を表明する、重要な著書だと思う。
わたしは昨年6月、辺見庸の『コロナ時代のパンセ』(毎日新聞出版)の書評を「信濃毎日新聞」に発表している。その文章のなかに書いた、辺見庸の今日まで一貫している、弱者、貧者へのまなざしにしても、『自分自身への審問』に源流があるのではないか。辺見庸の女性介護士との接触の風景を思いおこしてほしい。
病院内での、医者と患者の「見る」と「見られる」という、偏向的な関係への考察も、おもしろかった。人から魂の安息と歓びをうばう資本主義への批判も、具体的で、わかりやすい。時代と社会の病理の指摘についても、わたしは注目した。学ぶことが多かったのである。
おなじような、貴重な体験をしたからといって、だれにでも書けるものでもなかろう。書く力、描く力、批判する力を充分にそなえた作家、辺見庸にして構築できた作品世界にちがいない。
病後の辺見文学は、たしかに、厚みと深みを感じさせる。
多くの小説を発表している。人間とその内面がいきいきと描けている。
辺見庸は小説家であり、詩人であり、評論家であり、ジャーナリストでもある。ひとつジャンルの専門家には特定できない。辺見文学は多才な人の、書き、描き、論じたものであると、わたしは思っている。
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〔culture1088:220620〕