最近在日のミャンマー人の間で、スーチー氏の面変わりが話題になるという。ロイター通信による一番左の1995年(50歳)の写真は、父アウンサン将軍にそっくりなのに驚かされる。加齢によるのはもちろんだが、ミャンマーという国の民主化への歩みの困難さが、その険しい面貌の変化から窺われる。
一昨日(1/31)のイラワジ紙にタイ在住のモンモンミャなる寄稿子による、スーチー氏擁護論が掲載されています。M・ウェーバーの「職業としての政治」のなかの片言隻句に依拠して所論を展開していますが、西側のシンパ識者と同様の陥穽にはまっているやに見受けられます。それによれば、NLDが合法化される以前、つまり自宅軟禁時代のスーチー氏は非職業的(voluntary)な政治家、人権活動家であったが、議員になり事実上国のトップの地位に就いて以降は職業的政治家になったのである。したがって活動家時代の「心情倫理」家―社会正義の実現という動機の正しさを政治行動の軸とし、その結果の如何は問わない―から、行為の結果責任を重視する現実政治家へと転身したのは、政治という「責任倫理」の世界への適合であり意義のあることだとするのです。しかしそれにしても今日の国際NGOらの活動家を、ウェーバーが第一次大戦後の左傾急進化した若者らを批判した際に使用した心情倫理家呼ばわりするのは行き過ぎでしょう。今日の国際的なNGO活動は、普遍的な人権概念をただ振り回すだけのものではありえず、国民国家の敷居を超えつつ、しかし人権活動を実りあるものにするには国情に応じた活動の特殊化具体化を図り、結果倫理をも追求するのが現在の在り方です。
それはともかく、今ミャンマー政治の中心的な問題は、スーチー氏が人権活動家か現実政治家かなどということにあるのではありません。スーチー氏が政治家であることはあまりに当たり前であり、問題はトップの職業的政治家として適切な近代化・民主化のビジョンと戦略、政策的方向性を示し、指導力を発揮しえているのかどうかなのです。『独裁体制から民主主義へ』の著者ジーン・シャープ博士は、2011年の「アラブの春」の思想的バックボーンとなったと言われる非暴力闘争の第一人者です。その博士が、2011年3月のイラワジ紙によるインタビューで、スーチー氏は a strategist(政治戦略家)でなく a moral leader(道徳的指導者)である、と述べています。つまり裏返していえば、ミャンマーの民主化闘争の勝利に必要なのは大きな計画的政治戦略であり、スーチー氏が人権指導者から本物の政治家に飛躍できるかどうかは、それをもちえるかどうかにかかっているとしたのです。
残念ながら正直スーチー氏はそうなっていないのが現状です。政治は一面技術であり、なかんずく運動や組織の構築や運営にかかわる政治技術の習得の条件に恵まれなかったことは、やむを得ないこととしてここでは問わないでおきましょう。しかし最大の問題は、自前の政治戦略を彫琢することなく普遍的人権主義から現実政治に跳び込んだものの、山積する課題を前にして悪しきプラグマティックな対処療法に陥り、ある面で途方に暮れてしまっているのが現状でしょう―ヘーゲル流に言えば、普遍的人権思想から政治戦略と政策という中間的媒介項なしにいきなり現実に跳び込んで立ち往生しているのです。スーチー氏の西側擁護者には、とかくミャンマー政治・社会や人々の意識に関する構造分析を欠落させて、スーチー氏の人格論に問題を収斂させる傾向がありますが、それはスーチー氏の政治的関与の仕方とある種共鳴し合っているところがあるのです。ともかくミャンマー社会の政治経済社会分析に基づく近代化・民主化の独自戦略が不在であれば、政治経済社会情勢を評価する基準もなく、行動の原理にも指針にも欠けるところとなります。これでは組織を強大化することも、人を育て上げることもできません。もちろんこれはスーチー氏ひとりの責任であるばかりでなく、NLD内外の民主化勢力全体の問題性です。
仄聞するところ、民主化勢力内ではスーチー離れが少しずつ進行中ともいいます。しかしそこにはスーチー氏に全面依存していたところ、うまくいかないので泥船から沈む前に脱出しようとする安易な気分が窺われます。またスーチー氏への批判は彼女を窮地に追い込み、国軍クーデタへの誘因になりかねないとする西側擁護者のスーチー擁護論も、結局スーチー氏へ全権委任せよという無責任な選択に世論を導き、真の国民的課題から目を逸らさせてしまいます。
要は政府としての、民主化勢力としての主体性を確立することが枢要なのです。経済政策ひとつとっても、国際金融機関や国際援助機関、はたまた外資頼みだけでは、偏頗な国づくりに陥るほかありません。ちなみにヤンゴンのアウンサン市場のある歴史的中心街は、いま日本のディベロッパーによって高密度高集積の都市再開発が押し進められ、あと数年もすればどこの国の都市なのか分からなくなるでしょう。お隣のタイでも、チャオプラヤ川流域の美しい水郷地帯は、国際資本による乱開発の結果、猥雑な大都市バンコクに様変わりしてしまいました。2000年代、バンコク市内を徒歩であてもなく散歩していると、柳川や倉敷を髣髴とさせる水路がところどころビルの影から眼前に突如現れ、そのエキゾチズムに溢れたアジア的原風景にうっとりする機会がまだ残っていましたが、いまはどうでしょう。日本資本はインフラ整備が得意なことが売りですが、しかしそのブルドーザーのごとき都市再開発の進撃から、おそらく東洋一の緑多きヤンゴンの歴史的な街並みを守る方が歴史的に意義ある行為だと思います。
いずれにせよ、たびたび繰り返すようですが、国軍との無原則な妥協一本やりを改め、2020年の総選挙に向けて半軍政・半民政からの脱却の出口戦略を再構築する以外ありません。そういう問題意識を持ったアクティブたちが政党政派、宗教宗派の壁を乗り越え、ブレーントラストを形成して政治戦略の再構築に力を尽くしてほしいと念ずるところであります。
2018年2月2日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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