年明け早々、NHKの会長人事が大もめにもめた。ドタバタのあと新会長は決まったものの、透明さを欠く、いかにもにわか仕立ての人事であることが、いかんなく世に知れ渡った。もめた直接の原因は、この人事を担うNHK経営委員会、とりわけ小丸成洋委員長(福山通運社長)の不手際にあった。しかしその背景に、経営委員会の運営に関わる制度上の問題があることは否めない。今回の事態で、経営委員会のあり方があらためて問われることになるだろう。
うわさになった「条件」
経営委員会はNHKの最高意思決定機関。経営に関わる重要事項を決定し、執行部の職務の執行を監督する。会長の人事も委員会の専権事項だ。十二人の委員は、各界有識者から国会の同意を得て首相が任命する。今回の会長人事は、福地茂雄現会長が一月二十四日で退任するのに伴うもので、十二月末には慶応義塾前塾長の安西祐一氏が、委員会からの就任要請を内諾したと伝えられていた。
ところが、安西氏が就任の条件として副会長の選任や会長用の都内の住居、会長交際費などについて言及したとのうわさが、たちまち関係者の間に広がった。一部の経営委員は安西氏の資質に疑問を呈し、委員会として安西氏を承認することが難しくなった。そのため、一月十一日の経営委員会を前に小丸委員長が安西氏に就任要請の撤回を伝え、安西氏は経営委員会に対する不信を表明して就任を拒否する意向を明らかにした。
安西氏は副会長人事などを就任の「条件」として提示したことは否定した。しかし住居や交際費について「問い合わせた」ことは認めており、これが今回の混迷のきっかけになったことは確かのようだ。しかもこうした動きのなかで、安西氏を熱心に推していた小丸委員長が「安西氏とは面識がなく、人物をよく知らない」ことを認めたために混乱に拍車がかかった。結局、会長候補の人選作業は十二日の経営委員会で振り出しに戻り、文字通り泥縄で次期会長候補の人探しが行われた。
経営委員会のお粗末
NHK内部には局内の人材の起用を求める声もあったとされるが、経営委員会の大勢は外部からの起用を念頭に数人の候補を検討していた。しかし慎重に行われたはずの検討作業の結果が「条件」をめぐるうわさのためにあっさり覆され、就任要請を撤回する事態に追い込まれて、経営委員会の作業のずさんさが明らかになった。
会長の住宅や交際費を含む問題が「条件」であったか、ただの「問い合わせ」であったか、真相はわからない。が、こうした問題が交渉の場に出たこと自体、当事者がNHKの会長職の責任の重大さをどこまで認識していたのか、疑問を抱かれても仕方がない。安西氏の言うとおり、うわさが「曲解」であるとしても、その種が自身の「問い合わせ」にあったとすれば、会長候補として思慮の不足を指摘されて当然だろう。しかしこれも、安西氏個人の責任というよりは、候補者の背景について十分な検討もなく就任を要請し、うわさに驚いてこれを撤回するという、一貫性のない経営委員会のお粗末さに原因がある。
一連の騒ぎの背後に、別の思惑が隠されていたのではないかとの見方もある。安西氏の会長就任を快く思わない人たちが意図的に「条件」をめぐるうわさを広め、「安西会長」の芽をつんだ可能性も十分考えられる。その思惑が具体的に何を目指そうとしていたのかはわからない。しかし狙いが「安西会長」の実現を阻むことにあったとすれば、「うわさ」で経営委員会の人選作業を揺さぶったこの人たちの狙いは奏効した。それは経営委員会のおざなりな仕事に付け込まれた結果といえるだろう。
個人的つながりで即決
十五日の緊急経営委員会で新会長に決まったのは、JR東海副会長の松本正之氏。この日まで正式に候補にあがったことのない同氏に委員会として面接することもなく、その日のうちに全会一致で決断したという。松本氏が急浮上したのは、小丸委員長が古森重隆前委員長(富士フィルムホールディングス社長)に相談、古森氏と交遊のある葛西敬之JR東海会長に紹介されたためという(『読売新聞』一月十六日)。推薦理由には「国鉄改革に成功した」「性格の明るいスポーツマン」「警察に出向したことがあり清廉潔白」などが挙がっているが、放送やジャーナリズムに関わった経験などは含まれてない。
三年前の会長人事では、安倍晋三元首相に近い古森委員長(当時)が個人的に親しい福地会長(アサヒビール相談役)を選んで、政治的中立性が問題にされたことがあった。今回もまた財界人の個人的なつながりで選ばれたことになる。過去のNHK会長人事が今回ほどの混乱を招くことがなかったのは、政治家と官僚が水面下で事前に一定の合意をまとめあげ、経営委員会はそれを追認することで片付いたからとされている。自民党五五年体制の下では、郵政族議員や郵政官僚(現在は総務省官僚)がNHK案件などには大きな影響力を行使していた。
しかし民主党政権が誕生し、族議員の影響力も衰えて、放送行政に対する政治家や官僚の関心の度合いや関与の仕方に変化が出ているらしい。かつては政権中枢や官庁の意向が色濃く反映したNHK会長人事にも、現在の民主党政権はそれほど強い関心を持たず、総務官僚にも政治家をさしおいて人事の調整にあたるほどの意欲はないという。それが、経営委員会も有力候補を絞り切れず、「うわさ」にあたふたと対処する理由の一つになっているとも言える。
「政治不在」が混乱招く?
会長人事の混迷をめぐる一連の新聞報道などを見ると、混迷の原因を「政も官も(会長人事に)尻込み」(『日本経済新聞』一月十四日)していることに求めているものが少なくない。ウェブサイトのなかには「政治不在」が混迷の「元凶」だとして、「民主党政権の責任」を指摘するものもある(http://diamond.jp/articles/-/10746?page=1)。政官の「尻込み」や「政治不在」を強調するこれらの指摘には、NHK会長人事に従来通り政官が関与することを期待していると思われかねない危うさがある。政官にとってはそれが好都合かもしれないが、国民にとってはそうではあるまい。
NHKは言うまでもなく、受信料に支えられた公共放送だ。受信料を負担する視聴者はいわば「株主」であり、同時に受益者でもある。その組織の最高責任者である会長人事は、視聴者にとっても重大な関心事だ。しかしこれまでの経営委員会での会長人事をめぐる議論が、そうした視点に立って行われてきたとはとうてい思えない。会長人事についていま最低限必要なことは、候補者選びと決定の過程を透明化することだ。候補者の職業上の経験や放送事業に関する識見を明らかにする。できれば公聴会などを通じて複数の候補者の主張を競わせる。そして委員会としての評価を公表すべきだろう。そのためには、経営委員会の制度そのものの改革が必要になる。
政権交代で生じた「政治不在」や「政官の尻込み」はむしろこうした改革にとって好機と考えたい。公共放送の運営を政治家や官僚の影響のもとから切り離し、真に民主的な、視聴者による、視聴者のためのNHKに生まれ変わらせる絶好の機会ととらえるべきだろう。松本新会長の任務は、NHKの改革を推し進めることにある。単にコンプライアンスの徹底を図ることだけでなく、本当に政治から独立し、名実ともに公共の利益のために奉仕する放送機関に、NHKを再生させることである。放送も鉄道も「公共性という価値観は同じ」という新会長の率いる改革の中身がどうなるか、「株主」としてはしっかり見届けねばならない。
初出:新聞通信調査会『メディア展望』2月号(第589号)の「メディア談話室」より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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