透明なメルヘン:松本竣介の世界

4月9日から6月19日まで板橋区立美術館で開催されている展覧会、「絵画・時代の窓 1920s‐1950s」に行く。この展覧会には沢山の日本の画家の作品が並んでいたが、代表作とは言えない作品が一、二点飾られているだけという不満な点がある一方で、およそ40年に及ぶ絵画の歴史を概観できるという利点があった。こうした機会に日本の現代美術の流れに関して考えることも確かに興味深い問題ではある。だが、ここでは展覧会の中で最も気になった松本竣介の「鉄橋近く」という絵と、松本竣介の作品について述べていきたいと思う。

「鉄橋近く」という作品を巡って

そこに展示されていた「鉄橋近く」は木炭と墨によって描かれた作品であるが、この絵とまったく同じ構図を持つ油絵が二枚ある。一つは画面全体が青緑色によって描かれたもので、もう一つは黄褐色によって描かれたものである。新潮日本美術文庫の『松本竣介』の中で美術評論家の浅野徹は一連の絵の真ん中から少し右にある二つのシルエットについて、「これを人物とみた土方定一は時代の監視者としての竣介と解し (…)、一方織田達朗は「固有な国家意志の体現者」とみて「迎え撃つ者」と解した (…)」という二つの異なる考えを紹介している。さらに、「この絵の取材場所が山手線五反田駅近くの線路が目黒川をまたぐあたりと同定し、ふたつの黒いシルエットが人影ではなく、ベンチレーターか何からしいと指摘したのは丹治日良と洲之内徹である (…) 」とも語っている。土方と織田との考えの方向性は全く違うが、二つのシルエットを画家の、あるいは、時代精神のシンボルとして解釈している共通点がある。それに対して丹治と洲之内はこの絵が実際に何を描いているかという問題、すなわち絵と描かれた対象とのインデックス関係が問題となっている。ここで三つの見解の相違を細かく検討するつもりはないが、解釈という問題について一言述べておく必要がある。

記号が指し示すものが一義的に了解されることによって意味が開示されるケースが存在する一方で、記号が指し示すものが多義的に了解されてもなお意味空間の広がりが展開されるケースが存在する。言語記号を例に取るならば、われわれが普段会話する場合に用いる日常言語 (langage ordinaire) においては言葉の一義的意味が重要となる。それに対して、詩的言語 (langage poétique) においてはいくつもの解釈空間が広がっていく多義性が重要となる。どちらの意味作用も言語記号を用いるわれわれにとっては必要不可欠なものである。だが、こうした意味レベルの違いは言語記号のみに特異的に見られるものなのではなく、すべての記号に見られるものである。絵画記号における絵とその対象との関係を考えたとき、「鉄橋近く」に対する異なる観察がこの問題を解明するための一つのよい分析対象となる。唯一の正しい解釈があるのではなく、多くの解釈があるからこそ絵画記号の解釈空間は開かれていくのであり、そこには絵画とそれを見つめる者との対話関係が存在しているのである。

しかしながら、松本竣介の作風という問題を考えた場合に、この絵の別な側面に注目できるのではないだろうか。それは、向かって見て、左側の隅に小さく描かれている自転車に乗った人のシルエットである。絵の中心から外れてぽつんと一人描かれたこのシルエットは松本竣介の作品が持っている儚く淋しげな側面をよく表しているように思われるのだ。

水晶のような男

1912年に生まれ、13歳のときに聴力を失い、36歳でこの世を去った夭折の画家、松本竣介。岩手県で幼少年期を過ごし、宮沢賢治の詩や童話をこよなく愛し、池袋モンパルナスの時代に生き、数多くの友人に恵まれた。軍国主義一色に塗り固められつつあった1941年に雑誌『みずゑ』に「生きてゐる画家」を書き、軍部の圧力に抵抗した芸術家。松本竣介は短い生涯の中で様々な物語を織りなした。それゆえ、彼の絵画作品はその生涯と重ね合わされて語られることが多い。彫刻家の船越保武は追悼のための詩の中で、この友人を「水晶のような男だった」と述べているが、作品そのものの魅力と共に、彼の人生の中の多くの逸話が間違いなく松本竣介像を形作っている。画家の人生と作品とを重ね合わせることがよいことなのかどうかは判らないが、このセクションでは、画家自身と彼の作品とを共に知った私が、そこから導き出した三つのキータームによって (この三つは「記号の横断性」のセクションで語る事柄と深く関わるものである)、 彼の作品の印象を語ろうと思う。三つのタームは、 «ソリスト»、«透明性»、«エチュード» である。

松本竣介の作品の物悲しさは «ソリスト» としての孤独。実際に応答する声は聞こえず、心の中で声を重ね合わせるしかない孤独。私にはそう思える。聴力を失った疎外感があり、軍国主義の時代精神にまったく迎合できずに騒然とした社会に一人背を向けようとした画家。その姿勢は彼の絵の中にも見出せるものである。宇佐美承は『求道の画家 松本竣介』の中で、「議事堂の前には黙々と荷車を曳く男をおいた。丸の内にも、池袋の工場の前にも、横浜の月見橋にも、御茶ノ水の聖橋にむかう坂道にも人を描いたけれど、人はひとりぽつんと、ほんとうに淋しそうに立っていたり、歩いていたりした。人はひそやかな道を、どこからきてどこへいくのか、とぼとぼと歩いていた。ときには証人のように立ちどまっていた。この人たちは竣介だったのだろうか」と述べている。この一人、何処かに向かおうとする «ソリスト» としての姿勢は «透明性» へと通じている。

彼の作品の «透明性»、確かにそれは孤独さゆえの «透明性» である。宇佐美は風景画の中の寂し気な人影についてのみ語っているが、自画像などの人物画においても、遠くを見つめるような眼差しを持った人物が描かれている。そこには容易に孤独な姿を見つけ出すことができる。だがそれだけではなく、目の前の誰かと視線を合わせることを避け、どこか別の世界を見つめ続ける清純な画家の視線も感じる。また、都市の幻想風景のように描かれた複数の人物が描かれた絵においても、人物は淡く、実体がなくなっていきそうで、透き通った空間へと向かって進んでいく途上にあるように思える。途上であるものは未完である。宇佐美は松本竣介を「求道の画家」と述べているが、それは未完であるゆえの «エチュード» としての求道ではないだろうか。

そう、完成途上にあるものは完成へと向かうための «エチュード» としてのトレースが印されている。もちろん、松本竣介の絵の一つ一つは完成されているのだが、そのあまりに短い生涯と作風とが彼の作品を完成や円熟という形容から遠く離れたものとしており、それこそが彼の絵の清浄さの源泉となっている。「様式の探究、技術の習慣的練磨、それは、作家であることのしるしです」と松本竣介は日記に書いている。彼は探究しようと望み、その途中で旅立った。だが、彼の «エチュード» としての作品には寂しげだがどこまでも透き通った世界が、メルヘンの世界が映し出されている。

記号の横断性

ジュリア・クリステヴァが提唱した概念である間テクスト性 (intertextualité) は、時間的にも空間的にも異なる言葉が対話関係を結ぶことが可能であるというミハイル・バフチンの考えを発展させたものである。バフチンやクリステヴァは言語記号を用いたテクスト内の連関性についてのみ言及しているが、間テクスト性という概念は絵画記号の問題を考える上でも有効な分析装置である。それだけではなく、異なる記号によって表現されたテクストの間にも間テクスト性は存在する。ある写真が一冊の本を生むことがあり、ある音楽が一枚の絵を生むことがある以上、そこには間テクスト性が存在する。しかし、ここではそうした創造という側面からこの概念を検討するのではなく、解釈の地平から見た松本竣介の作品の持つ間テクスト性について語ろうと思う。

松本竣介と宮沢賢治との関係性について語られることは多い。二人が岩手県と深く係っている点、画家が36歳、詩人が37歳という短い生涯であった点、明治の後半から昭和までの同時代に生きていた点、前者が生長の家の信者 (1936年に決別しているが)、後者が法華経の信者であって両者とも宗教的なものに影響された点、松本竣介が宮沢賢治の作品を愛読していた点などから二人の関係性がしばしば強調されている。しかし、そうした指摘は二人の人生を重ね合わせようという逸話的、伝記的、物語的連続を基盤とした間テクスト性について語っているのではないだろうか。私の個人的な印象では、松本竣介の絵画作品は宮沢賢治の詩や童話との類縁性に彩られているというよりも、中原中也の詩との連関性を強く意識させるものである。宮沢賢治の作品にはメルヘンとしての色彩がある一方で、義務的で、命令的な、使命を要求する宗教的倫理観が色濃く反映されている。そこにはメルヘンの持つ透明感よりも原色を塗り込むような強いタッチが存在している。だが、松本竣介の絵は遠くの世界を静かに求めており、それは激しい情念世界と正反対の、あくまでも澄んでいて、純粋なものだ。中原中也もそうした世界を求めていた。

あれはとおいい処にあるのだけれど

おれは此処で待っていなくてはならない

此処は空気もかすかで蒼く

葱の根のように仄かに淡い (「言葉なき歌」)

遠く離れた何処かにあるもの。その存在を信じ、それを求めて、作り上げられた二人のテクスト。二人が作り上げたテクストの清浄さはメルヘンの世界の持っている透明性だったのでないだろうか。二人の作品はメルヘンの世界を見続けることによって共鳴しているように私には思えるのだ。異なる記号を横断する間テクスト性。

透明なメルヘン。それが二人の作品を結びつけるテーマであり、二人の作品を結びつける私にとっての間テクスト性の第一テーゼであった。ここにあっても、それはあそこを目指し、上昇しようとする。現実世界には存在しないが、メルヘンの世界には存在する夜の陽射し、音のない河のせせらぎ、肉体の消えてしまった私が見つめる風景。

秋の夜は、はるかの彼方に、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射しているのでありました。(「一つのメルヘン」)

竣介の絵を見つめる私。中也の詩を口ずさむ私。私のイメージ空間の中で二つのテクストは交叉していった。

初出:「宇波彰現代哲学研究所」2016.06.06より許可を得て転載

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