現在の菅政権は、今日の円高デフレからの脱却を主要な政策課題としている。また「みんなの党」の政治家達も日本銀行の金融緩和政策によってデフレ脱却を果たすことが、緊要な課題であるとの見解を提示している。これに対して本稿は、こうした政策課題は容易には達成されるものではないことを論じたいと思う。
昨今の新聞報道によれば、海外の商品市場において、コーヒー豆、大豆、砂糖、小麦、トウモロコシ等が気候変動による供給不足に対して需要が拡大しているため価格騰貴の傾向が見られるという。日本国内においてもこうした海外での諸商品の価格騰貴は、輸入価格を上昇させるため影響が及ぶことは確かである。メディアの情報では、こうした価格上昇の背後には、日本および世界における過剰流動性の存在、すなわち”金あまり現象”があるとみているようである。こうした過剰流動性とは私は過剰資金とみたいのであるが、これが国際的な商品市場において資本投下されるさいには、確かに商品価格は一時的に上昇する。だがこうした商品価格の上昇が輸入価格の上昇を通じて、日本にインフレ=デフレ脱却をもたらすかといえば、それはそれ程単純な話ではないだろう。
日本の消費者はある商品が一時的に高騰しても、これを買い控えたり、他の代替商品を購入することによって収入からの支出を増やさないように対応するからである。それ故にインフレーションの発生をもたらす通貨量の膨張は生じないであろう。実際現在、価格が上昇傾向にあるといわれる生産物は殆ど農業生産物または食料品であり、工業製品は下落傾向にあるからである。すなわち、デフレおよび通貨量の収縮は今後も進行していくとみてよいのではないか。
このように日本のような市場経済の社会においては総貨幣量は、物価水準・インフレ・デフレに関わるところの、いいかえれば商品流通を媒介するものとしての通貨[流通手段として機能する貨幣]と、商品流通から一時的に引きあげられ、ふたたび流通に投ぜられるものとして存在する資金としての貨幣(宇野弘蔵)[蓄蔵貨幣、支払い手段の準備金、国際通貨の準備金]に二分割される。因みに資金は価格水準ではなく、金利水準に関係するものとして存在する。このように今日、総貨幣量を通貨と資金に二区分して貨幣・金融現象を鳥瞰することが重要であるとみるのは、一方で金あまり現象があり、他方でデフレがあるというのは、金あまりを通貨過多と捉えるとすれば矛盾した説明に陥ってしまうからである。実際近代経済学の研究者によっては、今日の貨幣は全て通貨であり、しかもその通貨は紙であることによって、通貨(紙)発行の過剰、過小が物価の騰落を規制するという通貨(紙幣)数量説に陥っている議論が唱えられてもいるが、私見はこの議論にくみしない。
インフレについての論議はやや難解であるので以下ではデフレ論のみを取扱うことにしたい。今日のデフレ(物価低落)はなぜ生じているか。それはもとより今日の大不況下では商品が過剰に生産されており、需要が不足しているのが第1の要因である。だがそればかりではない。第2には企業は生産コストを低下させるために直接に自らが雇用する労働者の賃金を引き下げたり、海外に生産拠点を移して低賃金の外国人労働者を雇用することにより生産を行わせ製品を輸入するという方策を通じて、賃金コストを削減したり、または第3に技術革新を進展させることにより商品価値を低下させたりして、さらに円高による輸入商品価格の下落によっても商品価格を低落させているためである。その結果、商品価格と取引量によって規制される流通に必要な通貨量は収縮している。それ故に現実に流通する通貨量も縮小するのである。すなわち、デフレによる通貨量の収縮は、実体経済面における価格と取引量の縮小の反映なのである。
現代の不換(金兌換停止下の)通貨体制のもとで、貨幣供給はいかなるメカニズムを通して行われているのか。現代の貨幣は、日本銀行が供給する現金貨幣(日本銀行券・日銀預ヶ金・政府の補助貨幣)と商業銀行が供給する預金貨幣(銀行の当座預金・普通預金のような要求払い預金)とに分たれるが、前者は2割程度、後者は8割程度である。日銀は銀行に対して現金を貸し出し、銀行はこの現金借入れを基礎にして企業に対して預金通貨で貸付ける。通常の場合、銀行は当座預金を設定するという形で貸付ける。企業は、労働者に対する賃金の支払いにあたっては日銀券のような現金が必要となるので、預金の借入れを受けた後に、賃金支払い部分は日銀券で払い出しているのである。企業は他の企業との取引(原材料や製品の取引)においては全て当座預金に充てて振出す小切手によって行っている。その限りにおいて当座預金(および普通預金も同様)は通貨として機能している。だが銀行の預金には単に通貨として機能するのではない預金もある。
それは、企業は銀行から借り入れた資金を自らの再生産過程に投入し、新商品を生産しこれを売却するのであるが、その新商品の売り上げの価格には、固定設備の償却基金や蓄積資金、準備金等が含まれており、これらの新しく生み出された資金は、再生産過程の終了に伴い借入れ資金が銀行に返済されるに伴い、銀行に預入されるからである。銀行への返済還流と預金還流がこれである。後者は企業による貯蓄(経営者による貯蓄もこれに含めうる)である。これに対して労働者、消費者等が支払われた賃金の一部を銀行に預金した場合もそれは資金として銀行に滞留する。それ故銀行の預金には、通貨として機能する部分と資金として機能する部分がある。もっとも資金として機能する部分は、銀行の要求払い預金から各種定期預金 ー もっとも最近の定期預金には通貨として機能する部分もあるとも捉えうるが、それはともかくー へ転換されたり、信託銀行の貸付信託、投資信託、証券会社の投資信託、郵便局の定額預金等々の多様な金融資産に自在に変換できるものである。
以上でも示唆したように、今日の日本の主な貨幣金融現象は、デフレ現象と過剰資金現象との二つであるとみられる。しかもこの二つの現象は相互に関連している。デフレは、実体経済が活性化せず収縮しているために生じているのであり、これによって流通に必要な通貨も収縮し、余分となった通貨は資金化するから資金過剰が生じているのである。例えば今日では大企業は賃金コスト削減のため労働者に支払う賃金を低下させているが、これによって通貨の収縮が生じ、他方では企業は余った資金を蓄積にあてるか、または設備の減価償却に備えようとして内部留保資金を拡大させているが、これによって金融機関の資金が増大しているのである。このような関係は、みんなの党の政治家達には全く理解されないものとなっている。彼等は日銀の金融政策緩和によってデフレ脱脚が可能であるかの如く論じている。それは日銀が金融緩和政策をとれば、現金通貨(日銀券、日銀預ヶ金)が増大し預金通貨を含めて通貨量が拡大し、その結果、物価が上昇すると数量説的に捉えているのであろう。金融緩和策によって一時的には通貨量が増えることはありうるが、それは短期的事象にすぎず、一定期間を経過すれば企業家や労働者(消費者)によって増加した通貨は預金化され資金化されるのである。
さて次に資金過剰現象についてさらに敷衍しておこう。日本の金融機関に滞留している過剰資金は、一部は投機マネーとして金融機関によって海外の商品市場に投下され、輸入商品価格の引上げ要因となる点については既に言及した。ここでは日本の金融機関における資金の過剰によってより注目すべき論題が生じてくる点に論及しておきたい。それはいうまでもなく金利の低下である。ここではわれわれが金融機関において資金過剰が発生しているといっているのは、資金の需要に対して、資金の供給が圧倒的に多いためである。金融機関に対する企業側の資金需要が少ないのは、既に述べたように不況により実体経済が収縮し、停滞しているためであるが、この点をさらに推し進めていえば、実体経済において利益があがるような投資機会が企業に見出せなくなっているためである。そのために、資金の需給関係によって金利は低下しているのである。金利は決して日銀の金融政策によってコントロールされるようなものではありえないのである。こうした今日の異常ともいえる程の金利-とくに短中期金利-の低下は、日本国民の生活に多大の影響を与えている。とくに高齢者の生活への影響は決して少なくはない。日本国民の一人当たりの貯蓄残高は1000万円以上といわれている。(但し債務残高をさし引けば1000万円以下となる)高齢者一人当たりの貯蓄残高はこれ以下ではありえないであろう。但し、20年以上も以前であれば、1000万円の貯蓄は銀行の定期預金や信託銀行の貸付信託の形で保有していれば、年間数10万円の金利がついたであろうが、今日では異常な低金利状況によって、限りなく零に近い数値での金利しかえられないという状況にある。僅かな年金でしか生活しえない貧困な高齢者が増えつつあるのも当然であろう。少子高齢化社会に突入しつつある今日のわが国では、社会保障政策としては、年金の問題が突出して議論の対象となっている。だが資金過剰が解消されるような健全な資本主義のシステムについては殆ど議論されないのはなぜであろうか、不可思議である。
デフレ問題についてさらに付言しておきたい。デフレは消費財価格を引き下げるから、消費者にとっては、暮らしが安価となり好ましい。だが企業側、生産者側からみれば、デフレにより製品価格が引き下げられ利益が減少するから、経済活動は不活発となり、経済環境は停滞的となる。それ故に菅政権は、経済を活性化し雇用や成長を促進するためデフレ脱却を第一の政策課題として掲げている。だが本稿で論じたようにデフレ脱却は政府の政策によって解決できる程容易なものではないことは明らかであろう。また今日のデフレは円高によってももたらされているのであるが、円高も同様に政府の政策によって、一時的にはとも角中長期的には解消されるようなものではない。今日の円高の要因は、一面ではギリシャの経済破綻の影響によって外国為替市場でユーロが売られユーロ安となり、他面ではアメリカ経済が容易に大不況から脱出しえないためドルが売られドル安となり、欧米の投資家によっては円が比較艇安定的な通貨であるとみなされて、市場で円が買われているためであると説明されている。それ故に当分の間は、円高デフレは続くのではあるまいか。
最後に既に述べたような、不換通貨=紙幣説に対しては反対であるという私見について、それが19世紀の30~40年代にイギリスで展開された通貨論争において、通貨学派の主張(今日のマネタリズムの源流)に対して主張された銀行学派の主張(マルクス、ケインズ、ケインジアンの源流)に依拠している点について敷衍しておきたい。銀行学派は金兌換制下の中央銀行券も預金通貨も全て金債務の信用貨幣として捉えたのである。世界的に1931年には金本位制の停止や、第二次大戦後のIMF体制における1971年の金ドル交換の停止等の国際貨幣制度の変遷はあったが、私は今日の日本の日銀券や預金通貨は信用貨幣であると捉えている。日銀が日銀券を発行するさいには金債務としてではないにしても、債務証書として発行しているのである。それは、国際通貨がドルである以上、ドル(外貨)債務証書とみなしてよいのではないかというのが私の見解である。ドルも1971年のIMF体制の崩壊によって金との交換性を失ってしまったが、これによってドルが紙になったとみるのは、ゆきすぎで私は何等かの意味で(価格標準の問題)ドルは(そして円も)金と関連をもつものであると考えている。それは現在のドル相場がさらに暴落して米国自身が国内インフレ抑制のために為替安定化のための国際会議を招集せざるをえなくなったとき、金との関係の設定を提案せざるをえなくなることを予見するものである。このように私が今日でも金を重視するのは、宇野弘蔵が1967年公刊の『経済原論』(岩波書店)において、通貨管理の時代においても価値尺度たる通貨は金であると論じていることに依拠している。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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