連作・街角のマンタ(第二部)    六月十五日(その2)

 

大学のキャンパスというイメージからすると、狭くて寸詰まりな正門アーチだったが、入って行くと石造りでヒヤリとした空気と壁の艶が威厳を漂わせた。文学部の校舎は別にあるようだったが、国文科が使う教室がそんな校舎の中らしいのが嬉しかった。

教室の作りは高校の時とたいした違いはない。しかし集まる学生の空気が解放的で高校生とは違った輝きのようなものがあった。俺は後部の机に着いて、大学の最初の授業を待った。

誰にとっても最初の授業で、見知らぬ者同士のはずなので、みんな孤独に座っているのかと思ったが、どういうわけかあちこちで学生の固まりが出来て、結構ワイワイしゃべっていた。人はこんなにあっさり親しくなるものか。それとも全国から集まる大学生といっても、それなりに親しいグループがあるものなのか。そんなことを考えていると、いきなり前のドアが開いてオッサン風のジャンバーの男が入ってきた。どう見ても教授ではなさそうだ。男は自分で文学部の学生自治会の者だと言った。そしてこのクラス、日本文学科で学生委員を二人選ぶから立候補してくれと言う。突然のことでみんな戸惑った感じだった。前の方で誰かが質問していた。その話によると、高校までの学級委員と違って、大学の学生委員会は学校生活を自治運営するらしい。面白そうな話ではあったが、自治運営というのがどんなものかわからなかった。みんなもそうだったのかどうか…。ともかく、教室がシーンとなった。オッサン風の男が再三立候補を促すのだったが、学生の声はなく、ジリジリした空気が流れた。

そんな空気の中で俺はたまらなくなって手を挙げた。こんな空気が大嫌いだ。俺自身よく思うことがあるのだったが、これは俺の悪い癖かもしれない。周りが一斉に一つの方向に向ったり、同じ色調になったりすると、思わずそれに反発したくなる。

高校に入ったばかりの時もそうだった。入学式での校長の挨拶で、我が校は長髪禁止です、と言った途端、ああそういう手があるのかと思い、その日から髪を伸ばすことにした。後で気付くと学校内に長髪の学生が四、五人いた。そして自分の髪が伸びたころ、彼らがチンピラ呼ばわりされているのを知った。俺もその仲間と見られているのに気づく。もっとも、その前になぜか彼らと親しくなっていたのだったが…。

その年の夏休み前、やはり校長が、駅前に新しく出来た喫茶店の名前を言い、そこに入ってはいけないと注意した。その注意でチンピラたちが店を知り、学校帰りにさっそく遊びに行ったものだ。

高校と変わらない四十人くらいのクラスだったが、大学生が一斉に黙り込んでいるのが息苦しい。けっこう自由な空気だったはずだ。何かを提案され、何の声も出ないのはおかしいのではないか。こんな時の沈黙は恥ずかしいではないか。そんな実感が起こる。もっとも、原因はそれだけではないかも知れない。俺がこれまで通った学校では、学級委員とかクラス委員というのは成績の良い者が教師の任命で成っていた。俺自身特別、学級委員になりたいと思っているわけではないが、教師からいきなり学級委員が発表されると、何かおかしなものが感じられて、わけもなく不満のようなものが残っていた。そんな不満が俺の中に積もっていた感じでもあった。大学ではそれが立候補制度だという。一度やってみようかとも思った。手を挙げるとオッサンの顔がほころんだ。

「新聞配りしてても出来ますか?」

「もちろん」

一拍置いて答えたオッサンの目が光った感じがした。声にも力が入っていた。

俺が手を挙げた後、窓際で手を挙げる女がいた。オッサンの嬉しそうな顔が続き、他に立候補者はいないかと声を掛ける。他に候補者が居ればすぐ選挙をすると言う。しかし他に手は上がらなかった。学生委員は二人でいいらしい。こうして俺は、何の計画性もなく、学生自治がどんなものかも知らずに一つのクラスを代表する学生委員になった。俺と一緒に学生委員になった女は大寺照子という名だった。

オッサンの名は小野田剛史。「後で都合のよい時自治会室に寄ってくれない。文学部校舎の地下だから」オッサンが二人に言ってそそくさと教室を出て行く。

その日からだいぶ経った後、自治会室に出入りする他の学部の男に聞いたのだったが、俺が新聞配達をしながら学生委員に立候補したのをオッサンはいたく感激し、喜んでいたらしい。そしてその理由も後でわかるのだったが、それはジャンパーを着たオッサンの労働者気取りの姿に繋がる思想性だったようだ。とはいえオッサンは、その後すぐ、自分の思い違いを反省することになったに違いない…。

授業が終わった後、明大通りの向かいにある文学部校舎に寄ってみた。地下だったが、そこに向かう途中、正門アーチのまわりや校門前、文学部校舎あたりにいくつかの立看板があるのに気づいた。最初ほとんど気にならなかったが、そこには「学費値上反対」とか「日米安保条約改定阻止」などの手書きの文字が躍っていた。これまで接したことのない世界だった。状況はよくわからないものの、自由な空気が感じられてウキウキした。そしてその時、学生自治会とはつまりこのようなことをするところなのか…と思った。

自治会室にはオッサンともう一人フランス文学専攻だという滝野という痩せた男がいた。部屋には作りかけの立看板やガリの印刷物が散らかっていた。何もかも手作りの感じが面白い。大寺照子の姿はなかった。彼女には彼女の都合があるというものだろう。

オッサンの話によると今年の自治会は学費値上反対闘争に力を入れ、学生の生活を守りながら安保反対闘争を闘う。そしてその闘いを大衆の闘いに合流し、社会の大きな変革の力にする。しかもオッサンが言うには、その大衆的力は独占資本、帝国主義によって抑え込まれており、我々はそうした勢力を打ち破る闘いをしている。それが「安保反対」なのだ。オッサンは初めて会った俺にそんな話を糞真面目に、熱っぽく話すのだった。俺にはまったく現実味のない空言だったが、そんな思い込みに、なぜか寂しい共感のようなものを感じるところもあった。こんな虚しい空言を糞真面目に語る奴がこの世にいたのか…。<これも大都会なのか>と。

実は、資本主義やその帝国主義については高校の経済の教師が番外編のような話として結構詳しく教えてくれた。あの教師もオッサンのような男だったのかも知れない…。そのおかげでオッサンの話もいくらかわかるのだったが、「今まさに学生がその前衛に立っている」と熱弁されると「ほんとかいな」と思ってしまう。こんな話は照れながら冗談に紛らわせて言った方がジワリとくるのではないか。

「そういう政治の話は俺よくわからないんだけど、学費値上は困るから、これから少しづつやりますよ」俺はそう言った。オッサンの演説を止めたかった。これも後で思うのだったが、オッサンが最初から俺にこうしたむき出しの話をするのも、もしかして俺を新聞配達労働者とする勝手な思い込みからではなかっただろうか。労働者に違いないが、俺はそんな思想は持っていない。オッサンが言う武装もしていない。オッサンには気の毒な話だけれど…。

オッサンの熱弁が止ったと思われた時、滝野が口をはさんだ。

「じゃあさあ、それはそれとしてそこにビラ作ってんだ。それ、日文の教室に撒いてきてよ。ぼつぼつ食堂に学生が集まるころだから、教室から食堂の方にも回るといいよ」

他に学生はいないので俺に言ったのだ。俺は一瞬その言葉を疑ったが、疑いようもない。軽々しいものだと思った。こいつは何を考えているのか…。チンピラ同志なら言いがかりにも等しい。喧嘩好きな奴なら「ワレ、わしゅう誰じゃ思うとんじゃ」と突っかかるところだ。

滝野が言う通り机の上には「学費値上反対」とガリ版で印刷したワラ半紙が積まれている。仏文の三年生だというので後輩への口調が身についているのかも知れないが、そうだとしたら余計に腹立たしい。上級生だからといって威張る根拠はない。

俺は一瞬返事に困った。店に帰る午後三時前まで時間は自由だ。しかしちょっと違うのではないか。俺はビラの山を見つめながら黙っていた。

「この後若手が来たらどんどん刷るから全部持って行ったっていいよ」

「滝野さんねぇ。悪いけど俺、そういう育ち方してないんです。何も知らないからって、いちいち指図しなくていいですよ。自治会が何をしようとしているか、どんな状況なのか教えてくれれば、何をしたらよいか俺は俺で考えますよ」

俺は思わず言った。こんな言葉は自分でも考えたていなかった。しかし、これが俺の生き方だったかも知れない。<そう、俺はずっとこうやって生きてきた。高校にいる時はこれが不良の証でもあった>。

滝野の顔色が変わっていた。しかし横にいるオッサンは腕組したままニヤニヤしていた。<もしかしてこのオッサンはわかっているのかも知れない…>空気が堅苦しいので俺は椅子を立った。そして、何も持たずに部屋を出た。

 

 

俺が大学に入ったのは一九五九年春。その頃まったく関心なかったが、入学式の直後にあたる四月十五日に社会党や総評、護憲連合などがつくる安保阻止国民会議(国民会議)による大きな抗議集会が行われていた。しかもそれはその年の十二月までに十回継続する予定だという。毎朝自分が配る新聞でもそれが報道されていた。これまでの俺の生活では想像したこともない全国レベルの政治的抗議行動だ。えらく大きなエネルギーが動こうとしているのが感じられ、これまたウキウキソワソワしそうな感じだった。

もっとも、オッサンこと小野田剛史たち自治会の中心的活動家はそんな国民会議の行動が生温いと言う。だから生温い抗議行動に刺激を与え、革命的な行動にするため全学連が先陣を切る。小野田たちはそれを<革命的前衛>と言う。

今の社会や政治の形や構造をひっくり返して新しいものにするのが革命であるなら、それはもちろん大賛成だ。しかし、その運動のやり方について、あれはダメこれはダメと言うのは幼稚な勝手に思えてならなかった。さまざまな人間がさまざまな立ち位置で、自分で出来ることをやればいいと、俺は思う。それが一つの大きな流れになればいい。<俺がたまたま全学連に居て、そこでやるしかないと思っているように>。

実は全学連についても、俺は自分が学生委員になり、学生自治会に出入りするようになるまで、その意味や内容を知らなった。それまでは、その言葉を新聞か何かで見たり聞いたりしたことがある程度で、最初の授業でオッサンこと小野田の呼びかけに応じて学生委員になった時も、俺はそれが全学連のシステムへの参加であったり、その活動への参加を意味することなどまったく知らなかった。

全国学生自治会総連合。略して全学連。全国各地にある大学に学生自治会がある。そしてそれらはそれぞれの学校の学部での選挙で選ばれた学生委員で構成さる。つまり俺もその一人だ。そのことに気づいた時<俺はなんて馬鹿なんだよ>と思った。<何も知らずにこんなデカイ組織に入ってどうするんだよ>と。しかし考えてみると学生の自治会活動が悪いわけではない。どんな場合だって自分で考えて自立することが大切だ。それがたとえ集団であっても同じだろう。自分たちの集団を自分たちで考えコントロールしていく。それがいい。そしてそこに自分が参加しておればそれにこしたことはない。問題はそれがどこまで実現するかだろう。そんなことを考えながら、文学部の自治会室に出入りすることが多くなっていた。

国民会議が呼びかけた通り、日米安全保障条約改定反対デモ(安保反対デモ)は月に一回のペースで続けられた。全学連のデモもその日にあわせ同じ清水谷公園とか日比谷公園に集まった。そんな全学連の中にも、国民会議を支持するグループと批判するグループがいて、小野田が言うとおり明治大学は批判するグループのようだ。しかしそれでもその隊列の中にいるというのが俺には面白くもあり好ましいことに思える。そんな思いには、<どんな時でも、どんな組織にあっても俺は常に自由だ。いつでも俺は自由に選択する>そんな思いがあったと思う。

デモが予定された前日や当日の午前中は教室に出かけて学生たちに参加を呼び掛ける。小野田たちはそれを情宣という。そのために自治会室でビラを作ったり立看版を作ったりする。その頃になると俺もビラを抱えて教室に行くことがある。と言っても、これは出来るだけやりたくなかった。ビラを配るだけならいいが、学生から質問されたりいろいろ注文されることがある。これが苦手だった。

「どうして安保反対なんですか」と真っ直ぐ問う奴もいる。日米安全条約について勉強したわけではないので真面目に答える事が出来ない。かと言って、わからないでは誰もデモに来ないだろう。

「米軍基地の中は占領されてた時期と同じなんだよ。そこで何があっても俺たちは何も言えない。何も出来ない。そんなのはおかしいじゃない」

いつだったか新聞の投稿欄で読んだ記事を思い出し、やっと答える。

「自治会はデモばかりでなく、歌舞伎を見に行く企画も考えてよ」などと言う学生もいる。それはそうだと思う。政治的思想だけがすべてじゃない。芝居やスポーツがあった方がいいだろう。しかしもし俺がそんなところに誘われたら行かないだろう。大勢で行く必要もないと思う。しかしデモは多い方が良い。少ないより多い方が効き目がありそうだ。そんな事を考え、屁理屈のような返事をしてやり過ごしている。こんなのが長続きするわけがない。第一俺としてもこんなことを長く続けたくはない。

そんなことで悩んだ時期もある。しかし、<俺は俺だ>と思い直す。知らないことを話す必要はない。出来るだけ新聞を読んで自分で考える。そして自分で思う事を正直に表現すればいい…と。

そんな情宣活動で忘れられないことがあった。黒井という東洋史の一年生だったが、最初自治会室で会った時は結構多弁な男だったのに、日を追うごとに沈黙勝になり、顔色が青ざめていくのだった。「人前で話すのが嫌だ」というようなことを話したことがある。情宣活動が重荷になっているような感じだった。俺と同じだろうとも思った。しかしもし本当に嫌なら学生委員を辞めればいい。まさか無理矢理されたわけではないだろうに…。同じ東洋史の三年生で小野田の次に活発な活動家の定岡に言わすと、情宣は最初のうち誰でも嫌なもので、すぐ慣れるらしい。しかしその年の夏休みが終わって再び学生が集まった時、黒井の姿がなかった。故郷に帰ったまま神経衰弱で入院したという話だった。そしてそのまま秋には退学したのだった。オッサンが新聞配達の俺に期待している話をしたのも彼だった。何のための大学進学だったのか。何が彼をそこまで追い詰めるのか…。自由は誰のものでもないだろうに。自分独りで勝ち取るしかないだろうに…。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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