“過ちは繰り返しません”

著者: 松井和子 まついかずこ : 元教育者
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戦争という、いつの時代にあっても無辜の民を殺す残虐な人間の行為が今も世界のどこかで起きている。が今度のウクライナでの戦争は、瞬く間に茶の間を席巻し、世界中を巻き込んだ。スマホなどが広くゆき渡った時代の流れだ。

米ロで応酬が始まるのを見て、大国支配を疎ましく思いながら、何が問題になっているのか、私は気になった。

2013年私はウクライナとベラルーシを訪れた。チェルノブイリ事故原発を訪ねるのが目的だった。夜のキエフの広場ではコンサートが行われていて老若男女多くの人たちが集っていた。しかし片隅にはバリケードの残骸があって、何かを感じさせた。周辺の線量がまだ高かった事故原発や近くを流れる川の対岸で避難せず暮らしを続ける老夫婦を思い出す。

緊張が高まるウクライナ情勢の報道では、「協定」や「合意」なるものをロシアが何度も繰り返し言っていた。それは、1989年東西ドイツの壁の崩壊と統一における協定1)、と2014年に始まったウクライナ東部紛争の和平合意2)だった。私は、これらを含めて、ウクライナの歴史を知らなければ本当の姿は捉まえることはできないと思った。

 

1991年ソビエト連邦が崩壊したとき、東欧の多くの人たちにとって、西側の世界はまだ見ぬ夢の世界、憧れだったに違いない。冷戦終了後に国際的な改革がなされることもなかったから、通貨価値の違いをはじめ、東欧諸国は経済的に大変だったのではと思う。そして新自由主義が広がった今の時代、世界中で富の格差が広がっている。人間が作り出し、為政者たちによる理不尽な行いもあったであろう。隣り合わせる民族同士が敵意を持たねばならない状況も生まれ、民族紛争も続いた。

インターネットに助けられ、アメリカの平和団体の呼びかけ、外交官としての経験を持つ孫崎亨さん、浅井基文さん、東郷和彦さん、そしてイギリス地理学者のデヴィット・ハーヴェイ(David Harvey)らの論考を目にし、読んだ。

本質を見誤らないで、多数の市民が声を揚げなければ、力を合わせなければと思っているうちに、ロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。

 

6日(日曜日)地域で開かれた「憲法カフェ」に出かけた。20人ほどが久しぶりに集まって話し合った。集まれない人たちのメッセージも多くあった。戦争の記憶がかすかに残る人、父親が戦死し苦労のなか母親に育てられ生きて来た人など、それぞれの生きざまが、ウクライナへのロシア侵攻を目にして犠牲者を想い、語った。

1910年韓国併合に始まる皇国日本のアジア侵略は、朝鮮・中国をはじめ多くのアジアの人たちのいのちを奪った。1938年~1943年まで中国・重慶の人たちを数年にわたって空から爆撃したその手法はアメリカに受け継がれ、日本各地が空爆された。本土で、沖縄で多くのいのちが失われた。そして今から77年前、戦争は終わった。世界で初の原爆投下を受け降伏した。日本国憲法はその証だ。戦中生まれの私は、武力による威嚇・行使、戦争に反対し、生きてきた。いま世界戦争の危機にあって、何をすべきか考えたいと痛切に思った。

 

今回この争いに関わる大国、ロシア・アメリカ・イギリス・フランスそしてとくにドイツ・日本に問いたい。強引なロシアの侵攻に、同じように武器でもって制裁を科すことで解決するのか。犠牲になるのはそこに暮らす人たち、罪のない子どもたちではないか。武器の提供で争いは増々エスカレートし、双方とも被害が増す。日本とドイツは、そのことをどこよりも知っているはずだ。学んだはずだ。歴史の教訓を伝えるべきだ。

1945年最初に日本の広島・長崎で使われた原爆・核兵器の脅威は、年ごとに増し、世界には膨大な核兵器が存在する。核兵器が人を脅かしている。ソビエト時代のチェルノブイリ原発事故も、日本の福島原発事故も、人の生活を破壊する核の恐ろしさを見せた。5大国のロシアによる核兵器使用言及は、危険も争いもなくならないことを証明した。人類を破滅させる道を私は選びたくない。

 

武器や力で脅したり、国を守らなければならない世界を変えよう。

人と人、国と国が、話し合い約束しあえるように、声を上げ知恵を出し合おう。

どのいのちも同じだ。対等だ。子どもたちに次世代にそう教えなくてはならない。

日本国憲法の精神・9条を、世界の国々に示し、武力による威嚇・行使、戦争のない世界 を呼びかけよう。

恐れ争う気持ちを、核兵器禁止条約に集結し、日本の批准を実現させよう。

2022年3月11日に  松井 和子

 

注1)米国もドイツもほかの主要西側諸国もドイツ再統一に対するソ連の同意を得るために、ソ連の安全保障に配慮することを示す必要があり、ベーカー、コール、ゲンシャーのほか、当時、ジョージ・H・W・ブッシュ米大統領を含めソ連首脳と接触した米欧首脳はこぞって基本的にベーカーらの発言を支持したことが分かっている。ゴルバチョフに対するそうした働きかけの成果が1990年10月3日の再統一となって結実した。  一連の公文書を詳細に検討した米ジョージ・ワシントン大学付属国家安全保障アーカイブ研究員のスベトラーナ・サブランスカヤとトム・ブラントンが2017年12月に発表した論文によると、米欧の指導者が東欧諸国のNATO加盟問題を検討した上で、NATOを単に東ドイツ部分だけでなく、他の国に拡大しないとの態度を示した。

Svetlana Savranskaya and Tom Blanton, “NATO Expansion: What Gorbachev Heard,” National Security Archive, The George Washington University, December 12, 2017.

注2)2014年に始まったウクライナ東部紛争を巡る和平合意。ロシアとウクライナ、ドイツ、フランスの首脳が15年2月にベラルーシの首都ミンスクでまとめた。ロシアを後ろ盾とする親ロ派武装勢力とウクライナ軍による戦闘の停止など和平に向けた道筋を示した。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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