私は、常識的に、政治状況を保守対革新の図式で見ている。硬直したものの見方だとの批判もあろうが、無原則よりはよほどマシだろう。保守と革新を分けるメルクマールは、私の場合なによりも憲法理念への親和性である。人権・平和・民主主義こそが基本のキ。そして外交は反安保。経済政策は企業ではなくすべての個人の生活を平等に豊かにすること。個人の尊厳と平等の実現に徹しているか、歴史を曲解せず真率に向き合うか。
保守の極に自民党があり、革新の極に共産党がある。
保守も幅は広いが、安倍政権の反憲法的姿勢は最悪なもの。また、北極星のごとく浮動の極に位置していた共産党が、最近ものわかりよくやや原則性を稀薄化させているのが不満だが、これに代わりうる政治勢力はない。
この両極間の各々の位置に、幾つかの中間政党が消長を繰り返してきた。かつては、革新極に近い位置に社会党という護憲の大政党があり、保守に近いところに民社党があった。ヌエのごとき公明党は、革新に近い位置に生まれて一貫して保守の側に移行を続けた。今や完全に自民党の補完勢力になり下がっている。
社会党が保守化して民主党になり、保守化に抵抗したグループが社民党として残った。その民主党が長期低落の自民党の受け皿となっていったんは政権の座に着いたが、人心が離れて政権を失った。いまや求心力を失って、保守側と革新側の両極からの引力が働いて、政党としてのまとまりを失いつつある。
さて、問題は都民ファーストの会なる地方政党の位置決めである。もちろん、その出自からして保守陣営に属するものであって、中間政党ではない。これまで、民心が自民党を見限って保守の危機が訪れたとき、自民離れ票の受け皿となったのが中間政党であった。自民から流れ落ちる票が革新まで行き着く前に、中間政党が掬い取るイメージ。都民ファーストの会は、同じ保守陣営として、もっと上流で自民批判票の受け皿となったと言えるだろう。
それでも、自民の大敗は、反憲法的姿勢極端な安倍自民に痛打を与えたという意味で、今回の都議選の意義はあつたものと思う。
都民ファーストの会には、綱領らしい綱領はなく、政策らしい政策もない。実績ある議員はいないし、政治理念での結集体でもない。要するに、時運に乗り風に乗りたいだけの時局便乗願望者の寄り集まりに過ぎない。誰が見ても、この政治集団に未来はない。先行き短命なことは明らかと言えよう。
いま、小池都政と都民ファーストの会の看板は、唯一「情報公開」である。外はない。今のところ、過去の都政のしがらみにとらわれない立場だから、遠慮なく情報公開の立場を貫くことができる。しかし、小池都政にもすぐに苔が生える。しがらみが巻き付いてくる。そのときにも、行政の透明性の確保、情報公開の徹底を貫けるだろうか。
そんな都民ファーストの会が今回都議選で200万票を獲得した。得票率にして36%である。恐るべき風と驚嘆せざるを得ない。いつものことながら、「民主主義とはなんだ?」「こんなものが民主主義か?」と考え込まざるを得ない。
今日、「本郷・湯島九条の会」事務局長から、以下の連絡が入った。
「都議選がおわりましたが、『都民ファーストの会』会長・野田数氏は改憲右翼・国民主権否定どころか、大日本帝国憲法復活論者であり、わたしたちは『臣民』と言って憚らない人物です。小池知事は日本会議に所属しており、わたしたちはファシストに都政を売り渡してしまったのです。
今後の対策を『本郷・湯島九条の会』として建てようと思います」というもの。
今なすべきことは次の2点であろう。
まずは、可及的早期に小池都政と「都民ファーストの会」の化けの皮を剥がす批判の努力をすること。そして、もう一つ。この風のやんだあと、熱に浮かされた人々の小池離れ票を、自民に戻してはならない。革新の側に票を移行させるよう努力すべきこと。言うは易く行うは難し、ではあるが。
(2017年7月6日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.07.06より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=8811
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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