配送なくして、食べることはできない――『土に生きる』第8号を手にして(9)

著者: 野沢敏治 のざわとしはる : 千葉大学名誉教授
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発行日は1981年5月31日。

1981年という年を年表で見ると――土光敏夫による第2次臨時行政調査会が始まり、俗にいう「小さな政府」路線が敷かれる。閣議で生産者米価が60キロ1万7756円と決定する。審議会の答申を受けて米価が引き上げられるのも84年まで。消費者米価の方が低く決定されて食管財政が行き詰まるという逆ザヤ現象が問題。13年後の1994年には食糧管理法が廃止される。今では60キロの生産者米価は1万前後!この年の経済成長率、名目で7.0パーセント。他の先進諸国が病を抱える中で日本だけが好成績を維持する。10年後にバブルが崩壊することなど誰も予想もできなかった。この年に荒畑寒村、西尾末広、神近市子、市川房江、吉野源三郎、蜷川虎三、没。今の若者でこれらの人の名を知っている人が何人いるだろうか。この年も1つの時代が終わったと感じさせる。

どんな会も免れない宿命

どの会にもサイクルがある。始まりがあれば終わりが来る。寿命がある。またどの会もやがて、初期の熱情は薄れ、とにかく維持するのに苦労するようになる。それらは法則だと言ってよい。本会も始めて7年になると。特に消費者の間でマンネリ化が進む。最初のころの新鮮さや緊張は無くなる。三芳の野菜は市販品に比べて、大きさは劣らなくなり、種類も多くなると、「貴重な薬草」を食べるかのようにしていた感激はなくなる。そして今の状態が当たり前のようになってくる。会は大きく成長するが、会を意義があまり感じられなくなる。会の中で創設者と他の会員との間に意識の違いが出てくる。創設者がいつまでも責任を負い続けることになり、若い会員の中から後継者が育ちにくくなる。三芳に作った「みんなの家」の建てまえに会の幹部以外に消費者の姿なしという状況になる。共同購入に対しても、三芳との提携を大事にしようとする慎重論と三芳以外の他の近くの農家との提携を探ろうとする積極論との違いが出てくる。役員が会員に主体的に考えてもらうことや委員の選出を頼むと、会員は上から下へおろされると感じてしまう。

どうしたらよいのか。その1つの解決策がこれ――消費者側で三芳に3畝の土地を借りて実験的に米を作ってみる。

今号は配送をめぐる問題を特集している。配送は以前の号でも取りあげられていたが、本号がまとめて検討している。

配送は生産の延長

配送がなぜ問題になるか。配送は生産と消費をつなぐものだが、それは生産者が担当している。通常は専門の流通業者に運送を頼むが、有機農業運動の場合は生産者が配送することが多い。消費者の主婦には主婦時間というものがあるから、自分で運送することはできない。また業者に頼むと、生産者は自分で価格を決めることはできず、中間マージンを取られてしまう。本会の場合、問題は運送の距離と時間にあった。房総半島の南端近くから遠く東京は三多摩や神奈川の横須賀まで、タコメーターで300キロから400キロというかなりの遠距離である。本来は地産地消であるべきだが、以前に見たような経緯があって――三芳の野菜を四ツ葉牛乳に上積みして運んでいたので、時間が余分にかかって野菜が痛んでしまった――こうなったのである。

配送の契機はそうであるが、和田博之が配送を次のように意味づける。まだ生産者側が配送を担当しないでいた時のことである。「自分の作ったものを他人に配ってもらうという事が抵抗というかねえー。いってみれば、自分の子供を他所へ出すのに親がついていきたいという気持と同じじゃないかなあ―と思うんです」。自分の作った物に自分のアニマがつきまとう。ある消費者もこの和田の感覚を次のように裏づけている。和田がどこかの団地で八百屋の店員が野菜の箱をポンポン投げているのを目撃した時に独りごとをしたらしい。「馬鹿やろう、あんな事、やってる」。高橋光明も第10号で述べているが、本当に良いものができると、出荷するのが惜しくなる。永久保存したくなるらしい。

本会の生産者は配送を自分たちの生産の延長と考えている。生産の延長の配送、それは単なる物理的な手間のことでなく、生産者の心持の延長でもある。消費者はこういう生産者の気持を知って受け止めねばならない。そうでないと物は廻っていかない。

前に地産地消と言ったが、それですべて良いのでないことに注意。本会の場合はとても地産地消と言えないが、通常の流通では食品はあっちへこっちへと動かされ、合計するとかなりのエネルギーが使われている。それに比べると、本会の配送はそのようなエネルギーを使ってはいない。また三芳は近くに館山市をもつ。生産者はその館山と地産地消できるが、それが形だけのことに終わっては何にもならない。館山でポストを作る消費者の意識は高いが、その廻りの人たちは三芳の農産物を自分で取りに行くのでなく、自分の都合のよいところで手に入れたがっている。そういう人たちは地産地消を売り物にする普通の商店にいけばよい。

配送のシステム

最初は各地区に週に1回配送していた。それが2回となり、3年目に3回となる。夏野菜が自然農法である程度できるようになると、その成長の速さに合わせて3回に増やすことができた。この週3回の配送体制は今日まで続いている。毎週の月・水・土にそれぞれA・B・Cの3コースに分かれて配送する。だから生産者全体としては週9回配送する。消費者全体も週9回受け取るが、それぞれのポストは毎週1回だけ受け取る。生産者は2トン・トラックを2人で交替して運転する。運転は免許をもつ者が行なう。1人当たり1日・8千円の手当てが支払われる。生産者は月3千円の保険料を負担する。

私が2008年に和田から聞き取りをした時には、配送は週3回であるが、火・木・土と配送日が一部変わっていた。27軒の農家で800名強の消費者会員に配送している。これだと生産農家1戸あたり30家族の消費をまかなう計算になる。専作農家だと少品種で多量生産できるから、もっと多くの消費者家族の台所をまかなうことができる。本会の農家の場合は多品種少量生産だから、100ほどもの品目(加工品を含む)を栽培している。ちょっと驚いてしまう。

ある時の配送の実際――うれしいこと、がっかりすること

配送の過程を少し細かく追ってみよう。本会の消費者であっても配送がどうなされているか、よく知っていないことがある。

消費者側の中野芳彦が配送するまでの準備について記録している。1980年12月20日のことである。10時10分ころから軽トラックが集荷場に入ってくる。セロリの出荷の際は硝酸塩の検査をする。当時、硝酸塩の毒性が新聞等を騒がせていたが、さすがに意識のある三芳の生産者である。入荷した野菜は品目別に積まれていく。集荷場での仕事は次の4つに分けられる。①生産事務――配送日に次回の配送の品目と量の申し込みを受け付ける。その結果を配分係に伝える。②配分係――当日までにポストごとにユニットの数や実績をもとに配分して伝票を作成する。伝票を当日配送係に渡す。③配送係――伝票を手にした者が荷を各コース毎に揃える。荷を車に積み込む。そのさいに水仙やプチトマトのなった枝を心づくしとして添えていた。④生産会計――配送の事後処理をする。

生産者は配送以外に係を作っている。生活係、資材係、「みんなの家」係、縁農係、車輛係。そして運営委委員会がある。

集荷場での仕事を見ていてはっきりすることがあった。全量引き取りは文字通りのことでない。伝票を作ると、消費者家族当たりあるいは1人当たりに何がどれだけ配送されるかが分かる。出荷量が多すぎるか少なすぎるかが分かる。生産者側はそのことに対応して畑での作付を調整する。原則は全量引き取りであるが、生産者は自主的に出荷を調整していたのである。

配送ルートでの実際は次のようであった。生産者の話から窺えることであるが、これだけでも長距離で大変な時間がかかることが分かる。

月・Aコース

11時45分、集荷場発――午後5時、田無(現在の西東京市)の事務所着――その後10のポストに配送――配送が終わって10時30分に現地を出る――三芳には夜2時過ぎに着く。全部で休憩や食事を入れて14時間強の配送時間。

同・Bコース

集荷場――田無――横須賀――三芳に夜2時30分、帰着

同Cコース

420kmの運転距離

水・Aコース

ある日の行程338キロ・運転時間8時間45分。配送は休みを入れて13時間余。

集荷場発午前11時30―45分の間に出発――スタンドで燃料の補給――京葉道路に入り市川鬼高のパーキングエリアに寄る。午後2時30分・30分の間に軽食と休み――首都高に入る――4時ころ第1のポスト――第8のポストまで配送――6時前後に事務所に到着して食事その他――事務所を6時30分発――2つのポストに配送――8時に出て夜12時30分三芳に帰着

同・Bコース

300キロ強の行程

同・Cコース

400キロの行程、三芳に午前1時30分―2時に帰着

以下の1)と2)は消費者が配送者に同乗した時の記録である。これを見ると、たまたまの例であるが、配送の際の生産者と消費者の触れあいの実態がある程度分かる。

1)外地邦子による198012月中旬の記録。

午前11時30分、集荷場発――午後3時、高速道路の湾岸道路で浦安に――三鷹周辺に入り、第1のポストに4時20分着。運転者によると初めて人が出てきて荷の確認ができる。里芋がないので車の中を捜す。消費者から2回分の空箱を受け取る――第2のポスト。ここでは毎回荷受けがあるが、今日は会話は特になし――第3のポスト。ここも初めて荷受けがある。消費者に今後も荷の確認をお願いする――第4のポスト。荷受けの人たちがいる。彼女たちだけになって、明日の分け方を話し出す――第5のポスト。5時50分着。荷受けはあるが、特に生産者との会話はない――第6のポスト。ここも荷受人はいるが、生産者との会話はない――第7のポスト。荷を団地の一角に置く。勤め人が多いので、荷受する人がいない――第8のポスト。家に明かりがついていて、すぐに人が出てくる。子供も手伝う。配送者はうれしくなる。お茶を誘われるが時間がないので断って、事務所へ――第9のポスト。荷受人はいる。空箱が整理されている。生産者と顔なじみなので会話がある。お茶をもらう――第10の最終ポスト・夜の10時15分着。会員が待っていて、その場で荷を分ける。

10のポストのうち、荷受けをしないポストが1つ、今回初めて荷受けをしたポストが2つ、荷受けをするが生産者と特に会話をしないポストが4つ、会話もありねぎらいもあるポストは2つのみ。こういう現状!

2)中野芳彦による1220日の土・Aコースの記録。

午前11時10分、集荷場出発――12時15分、上総湊着。ドライブインで食事――12時35分発――13時15分、木更津港着。フェリーに乗る――14時40分、川崎着。小さい路に入る――第1のポストに15時15分着。5人が待ちうける――第2のポストに15時45分着。6人が待ちうけ、すぐに配分にかかる。紙袋と空き箱を受け取る。質問などはない。お茶とお菓子をいただく――大渋滞に巻き込まれる――第3のポストに17時10分着。2,3人の出迎えあり。ここはNHKの社宅の人たち。ミルクコーヒーをもらい、お歳暮で酒2本をもらう――そこを17時25分に出てすぐ第4のポストへ。ここは昭和海運の社宅――第5のポストへ。2,3人の荷受けあり。男性が珍しく1人いる!――第6のポストに18時04分着。品目ごとに1戸分の目方を出し、自分で量って持ち帰る。夕食をいただく――第7のポストに19時18分着。白菜が珍しくて感激している――20時05分。西光が丘の吹きさらしの団地――第9のポストに20時45分着。遅くなったので待ちかねたという顔つき。夜も遅く寒いので分配に懸命の感じ――第10のポストに21時22分着――第11のポスト――最終ポストに22時過ぎに着く。夜遅く寒いので分配は楽でない――翌1時15分、三芳着

このコースは外地が体験したコースと比べると、消費者の荷受けは多いが、

生産者と消費者の間の会話は多いとは言えない。

ついでに土曜日の他のコースについて生産者の話から分かること。

土・Bコース

配送車は12時30分、三芳着

土・Cコース

湾岸コース――豊島まで直行して荷を一括降ろす――10時帰着

生産者の帰宅時間はほとんど翌日まで食い込む。だから配送の次の日は半日くらい眠くて仕事にならないらしい。人によっては配送に備えて前日は作業を軽めにする人もいる。

配送にかかる年間のコストが計算されている。

スタンドの支払い、2,778,619円。回数券及び立て替え金、972,150円。保険料、2,179,141円。車検及び修理、1,236,600円。車両購入15,00,000円。その他、145,750円。計8,512,260円。

配送のプラスの面と問題点

主人は喜んで配送に行く

配送はただ運ぶ人と受け取る人との関係ではない。生産者は配送が「楽しくてしょうがない」と言う。女房連中も主人は喜んで出かけると言っている。それは「食べている人達の顔がうかぶから」である。遠方で時間もかかるのに配送をするエネルギーはここから出てくる。生産者はポストで食べる人と直接話ができ、野菜のでき具合の反応を聞いて次の生産の参考にする。特定の野菜が多く行くことがあるが、消費者はその時には生産者から調理法を教えてもらう。反対に生産者が調理法を教わることもある。上の配送の記録からもうかがえるように、三芳に来たことのある消費者は言葉にいたわりの気持ちがこもっていて、それが生産者の身にしみる。配送の苦労は消費者が喜んで食べてくれることで吹っ飛んでしまう。配送していて、夜遅いので荷受ができないという手紙がおいてあったり、張り紙があってお茶が置いてある時などは、心地よい。

立場の違いはここでも

東京の街中では路が狭く、一方通行の所が多い。そこに車を止めて荷降ろしをしていると、後ろから車が入ってくることがある。生産者は消費者から「いいのよー、東京っていつもそうなのよ」と言われても、あせってしまう。その時はいったん荷降ろしを止めてもう1度廻ってポストに戻る。こういうことが続くと少しイラついてしまう。

ポストに荷受けする人がいなくて荷の確認ができないと、伝票と品物とが合わない場合がある。コースによってはほとんどのポストが留守のことがあり、がっかりしてしまう。そんな時は、嘘か本当か、わざと荷を多くしたり削ったりするらしい。それでも文句が出たことはないという。荷の確認をしていないのか。

配送者と受取人との間でどうしても立場の違いが出る。そういう時にこそ相手の立場を分からねばならないのだが。消費者は配送が遅れるとじりじりして、つい「遅いじゃない!」ときつく言ってしまう。寒空で待つことは楽ではない。それに対して生産者の方はわざと遅くしているのでないと言いたくなる。また消費者は生産者に箱を早く返そうと思って荷をパーっと空けてしまうが、それは生産者からすれば、あまり気持のいい景色ではない。

配送を受ける側が雑になり、細やかさが無くなり、普通の消費者の会になっていないか?和田博之が第10号で代弁しているように、生産者は配送先がたとえ遠くても消費者との対応で満足すれば遠くは感じない。でもそうでないと、近い千葉への配送であっても普通の八百屋と変わりなくなり、疲れる。

問題は相手の立場を知らないことで起こりやすい。相手の立場を知るには相手から説明を受けるとか、相手の作業を自分で体験するとか、想像力をつけるとかである。そうしていくと、消費者が荷受けに出ないという事態は次第に改善されていく。

配送の合理化を邪魔するもの

露木和子が消費者側で配送の合理化を考えることがあった。これまでも配送と配分を合理化するためにユニット制の導入などがなされてきた。露木は配送のポストの単位は最低10人以上の消費者にし、それ以下のポストは他のポストと統廃合することを考える。でもうまくいかない。

その理由……家に幼児がいて夜に荷を受け取りに行けない、ポストまでの距離が大変長くて不便である、外に仕事を持っているので家の近くにポストが欲しい、等。

反対にポストが広い範囲にわたっているので分離してほしいという要望もある。それにこんなこともある。人間関係でぎくしゃくしたので別れたい!

こうして合理化しようとしても、ポストにはそれなりの理由もあり、バッサリと切ることができない。たいていは既得権を主張して反対されてしまう。われわれはよほどの緊急事態でも起きない限り、大きな眼で事態を見ることはできないのである。

2008年現在では配送はボックス方式となり、新入りの若い人には宅配もしている。意識のある消費者はこんな「おんぶにだっこ」でよいのか?と思ってしまう。こういう状況を利用して便利な流通を開発する運動体が出てくる。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study571:130106〕