醜い日本人、どこまでもミャンマー軍事政権擁護 ――フィクサー渡辺氏の異様なふるまい

 昨年の2.1クーデタ以後、国際社会からの軍事政権の暴力支配への轟轟たる非難のなか、プーチン・ロシアだけは鉄面皮にもミャンマー軍事政権との関係を深めてきた。その範囲は、ミサイル・軍事車両、重火器・戦闘機といった兵器類の売買だけでなく、最近は石油製品の輸入、自動車産業の導入から原発開発にまで及んでいる。中国ですら、表向きは暴力の応酬をやめ、和平交渉を望むとする態度をとっている。ところが、いま軍事政権とロシア並みの、突出した友好関係を保っている日本の団体がある――その名は「日本ミャンマー協会」。拓殖大学閥の元中曾根派出身議員で、郵政大臣まで務めた渡辺秀央氏が、会長として日本の有力企業や政治家などの会員を束ねている。彼は半文民政権のテインセイン大統領(2011~2016年)とのコネを最大限生かし、ヤンゴン郊外に日本の官民一体のプロジェクト=「ティラワ経済特区sez」を実現させた功労者である。先行開発区域(ゾーンA:約400ha)では、JICAが国費でインフラ整備を行ない、そのあと日本の製造業大手が入居し、すでに多くの企業が操業を行っている。(ただし、クーデタ以後半数以上の企業が一時的な操業停止や操業縮小に追い込まれた)
 その渡辺氏であるが、クーデタ後もミャンマーをなんどか訪れ、トップのミンアウンフライン総司令官ら要人と面会し、臆するところがない。世界でおそらく唯一であろう、軍部の政権掌握は、NLD政権が総選挙の不正に対処しないので、「憲法の規定に沿って正当な手続きで行われたもので、クーデタではない」と、公言してはばからないのは。しかもクーデタへの国民的抗議運動から多くの犠牲者が出たことに、遺憾の意を表することもない。さすがに三菱商事やトヨタ自動車、伊藤忠や東京海上日動火災らはレピュテーション・リスクから、2022年3月に協会から脱退した。そのためクーデタ前は140社余りだった会員は、クーデタ後は一挙に半減したといわれている。一説によれは、窮地に陥った渡辺氏を資金面で支えているのが、日本財団の笹川陽平氏だという。笹川氏はミャンマーでのハンセン病の根絶や学校施設の大量建設などで功績も大きいが、国軍との見えないつながりがあると目され、ミャンマー内外のミャンマー人には(日本人にも)警戒されている人物だ。
 こうした経過のなか、最近になって再び渡辺氏はミャンマーを訪問。11/28に首都ネーピードウで「ミャンマーに平和、発展、繁栄をもたらすための多大な協力」に対して、ミンアウンフライン総司令官から名誉ある(?)ティリ・パーンチの称号を授与された直後、軍の代理人政党「連邦連帯発展党USDP」のトップであるウ・キンイー氏と面談している。おそらく来年に軍が予定している総選挙対策に一役買うべくしゃしゃり出たのであろう。スーチー氏やNLDらを獄に閉じ込めて、軍事政権から合法政権への取り繕いを狙った総選挙である。まさしく「毒喰わば、皿まで」を地で行く破廉恥ぶりである。一時は民主党にも所属したことのある渡辺氏、世界の孤児となりつつある軍事政権にこれほどまでに肩入れするのには深いわけがあろう。渡辺氏自身は、軍部と深くかかわる理由について、ミンアウンフライン総司令官から受けた、ミャンマーに真の民主主義をもたらすという個人的な保証を信じているからだという。いま日本政府の腰が据わっていない状態だとしても、将来の民主化まで自分とミンアウンフラインが友情でつながっていれば、両国の関係は揺るがないとまでいうのである。なるほど自分をミャンマー投資ブームの寵児に押し上げてくれ

軍の代理人である連邦連帯発展党(USDP)の議長であるウ・キンイーを励ます渡辺会長。イラワジ
たミャンマー軍事政権に恩義を感じているのであろう。ただしそんなきれいごとばかりではあるまい。本年6/28の「東洋経済」によれば、渡辺氏自身も国軍傘下の企業(企業舎弟というのがお似合いだ)「ミャンマー・エコノミック・コーポレーション」(MEC)の関連会社と合弁でJMDPなる企業を立ち上げ、ヤンゴン郊外の軍所有地で、大型ショッピングセンター建設を計画していたという。その土地の賃借料は約3億円、当然それは軍の懐に入る予定であった。しかし国連人権理事会が、JMDPは「軍と関係ある企業」と名指ししたため、イオンモールはプロジェクト参加を取りやめたという。いずれにせよ、ティラワ経済特区を起点とする開発利権は、渡辺氏にとって権力の源泉であり、それを守るためには軍部と手を組んだ方が確かだと腹をくくったのであろう――そこには国軍の力への過大評価と、国民の反軍感情の軽視がみられる。
 個人的な印象になるが、ティラワ経済特区をめぐる光景は、戦前の満州における官民一体の企業進出と重なる。関東軍の軍事支配を背に革新官僚・岸信介らの構想と差配に乗っかって、鮎川コンツェルン初め多くの企業が進出した――(私事だが、わが父も「満蒙毛織」の一社員だった)。しかしご存じの通り、日本軍国主義の敗北とともに、すべての企業資産は失われた。渡辺氏のふるまいは、岸信介のそれに似てはいないだろうか。ミャンマー国民のほとんどすべてを敵に回し、内戦でも勝ち目のなくなった軍部に巨額の企業資産の将来を託するなど、正気の沙汰ではない。
しかしそれにしても、天下の悪政に加担するフィクサー(黒い仲介者)の暗躍を許しているのは、われわれ日本国民なのだ。昨今、政府の種々の暴挙にほとんどなんのブレーキもかけられないでいる。来年こそ局面打開のため、小さくともよい、できることから始めたいと思う。

 ついでながら、渡辺氏が主宰してきたティラワ経済特区――JICAが円借款によって大規模なインフラ整備を行い、官民一体で進めてきた大規模プロジェクトについて、若干の疑問点を述べておく。
 下図の全体像を見てもわかるように、ヤンゴン中心部から23km離れた郊外に建設される、超過密な工業団地である。新都市構想の中の工業化モデルであるとミャンマーJICAのトップは豪語していた。しかし、この種の構想や計画を抱いているのは日本だけではなく、中国、韓国、シンガポールなども同様。計画

完成イメージ像            KUBOTA Corporate Communication
が実行されれば、いくつかの衛星都市に囲まれた大ヤンゴン市が出来上がる。その結果はどうであろうか、巨大都市圏ヤンゴンへの過度な一極集中が進み、それでなくても極度の貧困状態にある農村との格差は広がるであろう。そうなれば、ミャンマーンの国土の均衡の取れた開発・発展は到底望めないであろう。
 環境への負荷も並大抵ではなかろう。もともとヤンゴンは水源地となるような後背地をもたず、現在でも過剰な地下水の汲み上げのため、井戸水の塩水化現象がみられる。今後地盤沈下が進めば、現在でも高潮期には、ヤンゴンのダウンタウンは広範囲で水没しかねない。新自由主義的なグローバリゼーションのもとで、資本の論理だけが大手をふるってまかり通る事態になりかねない。旧植民地都市ヤンゴンは、それでなくてももともと貧富の差が歴然としたいびつな都市構造なのだ。望ましい都市計画という観点からみて、いまのままでは資本本位のために市民の利便性や快適性、安全や安心な暮らしが犠牲になる恐れが十分ある。現に本年、ヤンゴン市街地に位置していた古い住宅街を、軍部は不法占拠だとしてブルドーザーで一挙に取り払い、まさに人々を路頭に迷わせることを平然とやってのけたのである※。アジア新興国の外資と組んで巨大な都市施設をつくろうとしているのであろう、軍部は人々の命もくらしも捨てて顧みないのである。その意味で、国土のバランスの取れた開発という点からも、軍部を打倒して民主的な政府を打ち立てることの必要性は限りなく大きい。
 ※軍政時代は、軍がプロジェクトを計画すると、その線引き内に住んでいる住民は、即刻立ち退きを命じられた。ティラワでもそうだった。第一次計画に入っていた住民たちは、一枚の掲示で2週間以内に立ち退くよう命ぜられ、違反した場合は即刻刑務所行きだと恫喝されたのだ。土地の公有制を盾にとって、住民の生活権を踏みにじるのは、ミャンマーのみならず、ベトナムでもラオスでもどこでも東南アジアでは行われている。住民の人権、生活権を守るには、住民の権利意識や組織化を当たり前とする市民社会が根づいていなければならない。ティラワの場合、それを助けたのが日本国籍の国際環境NGOの「メコン・ウオッチ」であった。そこでミャンマーの民主化闘争で初めて「生活補償」や「生活再建」といった新しい概念が登場した。

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