重層的イデオロギー構造の考察

 このテクストで考察したい対象は言語に関する問題ではないが、最初に言語学的概念について触れる必要がある。その理由は、ここでは言語学の分析装置として用いられるいくつかの概念に基づいてイデオロギー的様相 (とくに現代の日本における様相) を分析しようと思うからである。この考察のために以下に述べる三つの導き糸を用いたい。一つ目は今触れた主要分析装置としての言語学的概念であり、後続する探究ではまずこの分析装置について説明する。二つ目は今年の10月に発刊された下斗米伸夫氏の『神と革命:ロシア革命の知られざる真実』(以下ではサブタイトルは省略する) の中で示された考察視点であり、三つめはルース・ベネディクトが『菊と刀』の中で示した考察視点である。この三つの導き糸を通して、イデオロギーの重層性と日本の現代のイデオロギー的様相を考察していくという展開図が、このテクストの大まかな構成である。しかし、分析を始める前にもう一つだけ注記しておかなければならない点がある。それは私自身の研究分野は言語学及び記号学であって、政治学、歴史学、文化人類学、社会学といった学問分野は完全に専門外であるという点である。ではなぜ専門外でありながらも、歴史、政治、社会、民族といった分野と深く関係するイデオロギーという問題を取り上げ、探究するのか。それはここで用いる言語学的概念が他の学問分野の分析にも十分に有効であるにも係わらず、今迄誰もこうした考察を行っていないからである。それゆえ、政治、歴史、社会、民族に関する専門家からすれば一般的ではない考察をこのテクストの中で行う可能性は高い。だが、ここでの探究はあくまで言語学的分析装置 (それは記号学の分析装置でもあるが) に基づき、選択されたある政治・歴史・社会・民族的対象を考察した場合にどうなるかということに重点が置かれている。この点を最初に強調しておく必要があるのだ。だが前置きはこのくらいにして、具体的な探究を開始しよう。

 

分析装置
 このセクションでは後述する考察を行うために使用する言語学用語についての説明を行うが、問題となる用語は言語の歴史的変遷に関する「基層」、「上層」、「傍層」であり、語彙単位の特徴を示す「開かれた目録」と「閉じられた目録」である。さらには、複数の語彙機能が結合した「アマルガム」や弁別機能の喪失によって起きる「中和」という概念もここでは重要となる。以下順次、これらの用語について説明していくが、ここでは前記したように言語学的問題を詳細に検討することが目的ではないゆえに、各用語の大まかな説明のみを行う。
言語の変遷という問題を考える場合、ある民族Aが他のある民族Bによって征服されることによってXとYという二つの言語が接触して新たな言語Zが成立する場合、被支配者であるAの言語XはZの下層的な基礎部分となり、これを基層または基層言語と言う。支配階級であるBの言語YはZの上部構造を形成し、これを上層または上層言語と言う。こうした支配や被支配という関係によるのではなく、政治的、商業的、文化的な平和的交流によってPとQという二つの言語が接触してどちらの言語も優位とはならず、同等の関係にあってPという言語にQという言語の語彙が流入する状況が起きた場合、QはPの傍層あるいは傍層言語であると言う。この基層、上層、傍層という考えは、アンドレ・マルティネの記号素に関する「開かれた目録」と「閉じられた目録」との差異に関する理論よって補完できる。前者は語彙的側面が強い語として、後者は文法的側面が強い語として考えることができるが、前者の語彙単位の記号素が理論上は無数に増加可能なものであるのに反して、後者の形態的単位の記号素は一定数の数しか増加しないものである。なぜなら、もしもある言語において文法的機能を担った後者が前者のようにどんどん数を増せば、その言語の中核的機能が大幅に変わってしまい別な言語になってしまうからである。それゆえ、「閉じられた目録」を構成する言語要素はそれぞれの言語の基盤を担う単位であると述べ得る。
残りの用語の説明に移ろう。アマルガムは一つの語が複数の異なった意味的機能を持った場合に用いられる概念である。たとえば、フランス語のauという語は場所、時間、帰属性などを示す前置詞のàの意味的機能と定冠詞のleの意味的機能という異なる機能が結合しているが、この結合をアマルガムと言う。また、中和は複数の言語単位間にあった弁別特徴すなわち対立が消える現象のことである。たとえば、ドイツ語の単語において、語頭や母音に挟まれた位置では閉鎖音の有音と無音は音韻的対立的関係にあるが ( つまりは、/p/~/b/、/t/~/d/、/k/~/g/ であるが)、語末ではこの対立が消え、[p]、[t]、[k] しか存在しない。すなわち、ドイツ語の語末では /p/~/b/、/t/~/d/、/k/~/g/ は中和している。このとき、語末の [p]、[t]、[k] は /p/、/t/、/k/ の機能を担っているだけではなく、/b/、/d/、/g/ の機能も担っているのである。
 ここではこれらの言語学用語を使いながら後述する問題を検討していくが、今説明した言語学用語を分析装置としてどのように活用するかという点について一言述べておく必要があるだろう。あるイデオロギーは先行する思想、宗教、社会、民族的な伝統的思考方法から何らかの概念的様態を受け継いでいるが、先行するすべての伝統的思考方法が受け入れられるわけではない。さらには複数の伝統的思考方法が受け入れられた場合でも α という伝統的思考方法が他の β というものと同等に結合されるケースもあれば、α が β を飲み込む形で結合するケースも存在する。その結合の仕方によって、構築されたイデオロギーの特質や方向性は大きく異なる可能性は大きい。それゆえ後続する分析では、あるイデオロギーが構成されるときに如何なる伝統的思考方法が選択され、その選ばれた思考方法が如何なる結合の仕方をしているのかを明確に提示するために言語学用語を活用していく。
イデオロギー基盤としての宗教
 上述した下斗米氏の著作においては、ロシア革命以降のソ連及びロシア史の中でロシア正教の異端派である古儀式派の考え方が大きな影響力を持ったことが綿密に考察されている。とくに、ソビエトという集団の起源とソ連という国家の指導部に数多くの古儀式派の信徒がいた点が強調されている。だが、ここではこうした問題すべてを取り扱うことは不可能であるため、後続するセクションの考察と大きく係わる前者の問題に絞って検討を行う。
 ソビエトと古儀式派との関係を語る前に、ロシア正教古儀式派とはどんな宗派であるかについて示す必要がある。ロマノフ王朝期のロシア帝国内でロシア正教は国家の庇護を受けた。しかし、1666年に総主教ニコーンの改革に反対した長司祭アバクームは伝統を重んじる一派を創ったが、異端とされ、抑圧された。その一派が古儀式派である。古儀式派はロマノフ朝の皇帝に数々の弾圧を受けたが、宗派は存続し続け、ロシアの多くの地域に広がっていく。下斗米氏は『神と革命』の中で古儀式派のこの広がりについて、「彼らは本来の拠点であった北東ロシア、つまりモスクワなどから、ベラルーシ、ウラル、シベリア、ボルガ、はてはトルコ、旧満州から函館にまで逃れた」と語っているが、こうした地域で多くの信者を獲得していった。この派は広域に亘って維持、拡大されただけではなく、最盛期にはロシア帝国の人口の三分の一を信者が占めるまでに増大した。また、古儀式派は長い間教会を建てて布教する自由が奪われていたため、信者同士の連帯が強まっていった。この連帯は以下で詳しく述べるように経済活動を行う上で非常に有利に働いたという指摘を下斗米氏は行っている。
 古儀式派は司祭派と無司祭派に大別されるが、ソビエトという言葉は無司祭派の伝統に基づくものである。『神と革命』の中には以下のような言葉がある。エカテリーナ帝の時代に宗教弾圧は弱まっていたが、「(…) 無司祭派は教会を断って、選挙で選んだ長老からなる一種の正教プロテスタント的潮流を構成した (…)。これらの人々はしばしば「ソビエト」と呼ばれた信徒集団を、農村や工場に、危機に際しては兵舎でも作っていた。」また、「なによりもこの潮流の中からは、西欧プロテスタントと似た勤勉、世俗内禁欲と組織性とで独自の商業活動が生み出された」とも書かれている。経済力をつけた古儀式派の資本家がロシア革命の指導者となったレーニンに資金援助をするが、資金面だけではなく、「ソビエト」という共産主義的組織もレーニンの革命完遂のための中核的装置となっていった。レーニンがこの組織に注目したのは次のような理由があった。マルクスに基づく革命理論においては、革命は資本主義社会の大多数を占める労働者が担うものであった。だが、ロシア革命当時のロシアの労働者の人口はほんの僅かなものだった。1913年のロシアの全人口は1億6900万人で、その中の労働者の人口は340万人程度。つまりは全人口の2%ほどを占めるだけであった。人口の大多数を占めるのは農民であった。農民の心をどう掴むかが革命の成否を決定することをレーニンは理解していた。下斗米氏は農民の言葉で話しかけたレーニンの言語戦略の卓越さを強調している。
 そしてこの農民の中には多くの古儀式派信者がおり、彼らはソビエトという強固な連帯に支えられた共同体を組織していたのだ。この組織力をレーニンは革命遂行のための強力な装置として用いた。ここで問題にしたいことがある。それはロシア革命における古儀式派の中心的役割でも、ロシア史上の重要性でもない。この古儀式派とソ連共産党との結びつきを前のセクションで説明した言語学用語を用いて分析した場合にどうなるかという問題である。共産党と古儀式派のソビエトとの関係は歴史的に見るならば、これら二つの政治機関がアマルガムすることによって成り立ったものであるが、その結合形態は前者と後者が同等の力関係の下で結びついたものではない。前記した用語を使えば、共産党とソビエトは傍層関係にあるのではなく、共産党が国家組織としてのソビエトの上層を形成し、古儀式派のソビエトは基層を構成したと述べ得る。すなわち、そこには権力を維持、拡張するためのイデオロギー装置の重層性が存在していたのである。この点に関しては最後にもう一度詳しく検討する。
民族を支えるイデオロギー
 ベネディクトの『菊と刀』を再読して、彼女の考察視点が現在もなお色褪せていない点には驚きを覚えた。しかしながら、名と恥の文化として日本の伝統的精神 (イデオロギー) を分析したという一般的評価は、現代においては再検討しなければならない部分が数多く存在するように思われた。もちろんこの小論でこの本全体の考察を行うことは不可能である。ここでは以下に述べる三つのベネディクトの考察視点に注目したいと思う。それは日本の持つ階級社会性の強さである、さらに日本人の現実主義的 (即物主義的とも述べ得る) 志向性であり、最後に天皇制とアニミズム的宗教との関係性である。
 ベネディクトが行った日本社会は階級的な不平等性を容認する社会であるという主張は現在においても正しい。こうした不平等性の根底部分を形成しているものが天皇制とアニミズム的宗教性の結合である点をベネディクトは的確に指摘している (この問題についてはこのセクションの終わりで詳しく検討する)。彼女の分析を見ていくと日本社会においては年齢、職業、親族、性差などによって厳格な上下関係が存在していることが理解できる。もちろん彼女が分析した日本は第二次世界大戦後の時期のものであり、現代の日本社会とは異なる側面も少なからず存在していることも確かであるが、この平等性を認めない階層性は今もなお強く残っている。日本社会においては個人の人間存在としての差異よりもそれぞれの人間の社会的地位の差異が問題となる。この社会的地位は個人を判断するための不変的な基準となる。ベネディクトは、「日本人の生活様式はそれぞれにふさわしい権威を割り当て、おのおのの権威にふさわしい領域を規定する (…)。「すべてのものをあるべき場所に置く」というのが、日本のモットーである」と、また、「(…) 日本人はたえず階級制度を顧慮しながら、その世界を秩序づけてゆくのである。家庭や、個人間の関係においては、年齢、世代、性別、階級がふさわしい行動を指定する。政治や、宗教や、軍隊や、産業においては、それぞれの領域が周到に階層に分けられていて、上の者も、下の者も、自分たちの特権の範囲を越えると必ず罰せられる」と述べている。日本人にとって社会とは自由で平等な権利を持った個人によって形成されるものではなく、厳格に秩序づけられた各人の社会的位置によって決定される構成体なのである。
 日本人の持つ現実主義に対する考察に移ろう。ベネディクトは「事実、日本人は、悪の問題を人生観として承認することを始終こばみ続けてきた。彼らは人間には二通りの魂があると信じているが、それは互いに争い合う善の衝動と悪の衝動とではない。それは「柔和な」魂 [和魂あらたま] と「荒々しい」魂 [荒魂あらたま] とであって、(…) この二つの魂はともに、それぞれ異なった場合に必要であり、善となる」と述べているが、このことは日本人が罪の意識よりも恥の意識を重視しているためであると分析されている。これは次のように言い換えることもできる。永遠に贖うことができない罪というものは存在するが、永遠に雪ぐことができない恥というものは存在しない。この罪と恥の大きな差異はベネディクトの「(…) 恥は強力な強制力となる。ただしかし、恥を感じるためには、実際にその場に他人がいあわせるか、あるいは少なくとも、いあわせると思いこむことが必要である。ところが、名誉ということが、自ら心中に描いた理想的な自我にふさわしいように行動することを意味する国においては、人は自分の非行を誰一人知る者がいなくても罪の意識に悩む」という指摘によってよりよく理解できるであろう。日本人にとっての問題は他者の眼差しであり、普遍的な理念ではない。それは長いスパンで物事を捉えようとせず、短いスパンで物事を判断する思考方向に日本人を向かわせている。今がよければよい、しばらくの間よければよいという考えの根底には恥の文化の特質が端的に現れている。
 今述べた階級性と現実主義を強化させる装置として、アニミズム的宗教性を統合する天皇制について考える必要性がある。宗教は国家イデオロギーや民族イデオロギーを形成するために中心的な機能を担う場合が多々ある。西欧諸国とキリスト教、アラブ諸国とイスラム教徒の歴史的な結びつきを考えれば、宗教の影響力がいかに大きいかがすぐに理解できる。では日本の場合はどうか。まず問題となるのは神道の持つアニミズム性である。神道はキリスト教やイスラム教のような世界的な宗教と大きく異なる以下の三つの点がある。一つ目は多神教である点。二つ目は教義がない点。三つめは布教活動を行わない点である。こうした特質は組織化された近代的な宗教としての側面からは大きく逸脱しているだけではなく、世界規模で拡大していくことが極めて困難な宗教であることも示している。つまりは土着的であり、閉鎖的である反面、他の宗教との両立や混合を許容しやすいという性格も持っている。それだけではなく、政治的にもイデオロギー的にも非常に利用しやすい。このアニミズム的特殊性を支配装置として巧みに応用したものが明治以降の天皇制である。ベネディクトは「天皇は一切の世俗的考慮から離れた神聖首長でなければならなかった。日本人の最高の徳である天皇に対する忠節、すなわち“チュー„ [忠] は、空想で作り上げた、俗世間との接触によって汚されない「善良な父」を、随喜しながら仰ぎ望むことにならねばならない」と、さらには、天皇制の支配体制の確立について「真の大異変が起こったのは精神の領域においてであって、「忠」が、最高の司祭であり、日本の統一と無窮性の象徴である神聖首長に対して、あらゆる人間が支払わねばならない義務となった」と書いている。宗教的支配装置と政治的支配装置を融合することによって完成した天皇制を、前記した言語学用語によって言い表せば、基層としてのアニミズム的宗教としての神道に、上層としての支配機構である天皇制がアマルガムしたと述べ得る。それだけではなく、こうして誕生した国家神道には天皇制とアニミズム的宗教である神道とが中和されているとも述べることができるのではないだろうか。だが、この問題については結論部分で再検討する。
権力装置としてのイデオロギー
 以上三つの導き糸を使い、イデオロギーの重層性とイデオロギー的不変性という問題について考察していきたい。最初の点については、前記したように支配装置としてのイデオロギーの側面から見て、ロシア革命期のロシア正教古儀式派と共産党の関係においても、日本の明治維新後のアニミズム的様相を帯びた神道と国家神道を制御する天皇制の関係においても、前者が基層的な機能を、後者が上層的な機能を担っていたことが解明された。だがこの重層性は一般化可能なものであるのかどうかが問題となる。歴史的な大転換が必要な時期というものが存在する。ロシア史ではロシア革命、日本史では明治維新がそうである。こうした歴史的大転換点が実現するためには伝統性に依拠する基盤と改革を押し進めるための新たな指導原理が必要になるのではないだろうか。通常状態では対立するはずのその二つのイデオロギー装置が歴史的な大変動によってアマルガムされることは実は数多く存在した。そう言うよりもむしろこの二つの反発するはずの力が結びつかなければ大転換は起きないのではないだろうか。
 しかしながら、この二つの力のアマルガムだけでは歴史的大転換は起きない可能性が高い。このアマルガムを支持する多くの人々が存在しなければ、理念は理念として終わってしまう。だが多くの支持者とはどのくらいの数の支持者であろうか。ここで注目したい統計がある。それは下斗米氏が『神と革命』の中で指摘していたロシア革命当時の古儀式派の人々がロシア帝国内で占めていたと予測される全人口の約三分の一という割合である。ロシア革命とは関係ないが、ヒトラーの権力奪取においても三分の一は重要な比率である。ヒトラー率いるナチス党が1932年のドイツの総選挙で第一党になったときの投票率が全投票数の約三分の一 (37.3%) なのだ。またこの三分の一というパーセンテージは今年行われた衆議院選挙の自民党への比例選における投票率 (33.3%) 及びそれ以前の自民党が政権奪回した選挙のパーセンテージ (2012年:27.6%) 及び、前回の衆議院選のパーセンテージ (2014年:33.1%) においても同様の投票率があった。この三分の一という割合は日本経済新聞の今回の衆議院選の出口調査による政党別の投票率における自民党の36.0%という割合ともほぼ変わらないものである。だが小選挙区の獲得議席数によって自民党は議席数の過半数を大幅に超す215議席を得た。三分の一の支持率があれば権力握れたのである。今挙げた三つの例はそれぞれ時代的背景もその後の展開も大きく異なっているが、権力を奪取するために必要な全体に対する比率というものがあり、それは全体の三分の一であるという仮説を抱かせるものである。残念ながらこの仮説を実証するために必要な十分な資料を私は持ち合わせていない。
 もう一つ今回の衆議院選挙の結果を通して考察すべき統計資料がある。それは年代別の自民党支持率であるが、この統計資料とベネディクトとの考察を合わせることによって、現代の若者のイデオロギー的特徴の輪郭がぼんやりと見えてくるように思われる。日本経済新聞の出口調査による政党別の投票率は、自民 36.0%、立憲 14.0%、希望 11.8%、公明 5.4%、共産 5.3%、維新 3.8%、社民 1.1%、その他 3.8%、支持なし 18.8%である。また、世代別の自民党の支持率は20代が最も多く 40.6%、二番目は70代の 40.2%、三番目は10代の39.9%で、40代から60代は 30%前後だった。テレビ朝日の出口調査によれば、自民党の世代別得票率は10代 47%、20代 49%、30代 40%、40代 35%、50代 32%、60代 30%、70代 37%となっている。世代別の統計は東京新聞のものとテレビ朝日のものとでは多少の食い違いがあるが、両方の統計共に見られる注目すべき点は、二つの断層の存在ではないだろうか。最初のものは30代と40代の間にある断層で、二番目のものは60代と70代との間にある断層である。二番目の断層は従来言われてきた高齢者の保守化に伴う断層であると解釈可能である、だが、10代から30代の自民党支持の高さは何が原因だろうか。この問題を考察するためにも多くの統計とこの世代の人々に実際に聞き取り調査をする必要があるが、すぐにそれは調査できない。それゆえ、ここでも仮説を述べるだけに止める。ベネディクトは日本社会の特徴の一つとして不平等性を容認する階級社会という点を挙げていたが、こうした不平等容認の意識は40代から60代の日本人よりも30代以下の日本人の方が強い可能性があるのではないだろうか。前者は戦後世代の教育を受けた世代であり、戦争の惨さや公平な社会の必要性、社会的理想を上の世代から語り掛けられ育った。それに反して後者はバブル崩壊後に生まれ、大きなスパンで物事を考えない現実主義が身に着いた世代であり、不平等を変えようとする意識よりもそれを当然とする意識を持った世代なのではないだろうか。そこにはイデオロギー的に大きな断絶があるように思える。こうした不平等容認意識は40代から60代の世代になかったのではなく、そうした意識が抑えられていて、30代よりも下の世代はこうした意識を抑え込めなくなった世代であるのではないだろうか。後者の世代には理想主義への不信と保守主義への期待が浸透しているように思えてならない。
この小論ではいくつかの仮説を提示したが、前述したようにこの仮説を実証するためには膨大な資料と調査が必要になる。それだけの余裕も能力も私にないことは十分に承知しているが、不十分ながらもここで考察した問題のまとめを行いたいと思う。
重要な権力装置となるようなイデオロギーが誕生するには、言語の誕生と同じように先行する少なくとも二つの異なる伝統が必要なのではないだろうか。一方が言語学的に言うならば基層となり、もう一方が上層となり、二つがアマルガムして、一つの結合体の二つの層として統一される必要があるのではないだろうか。それは下斗米氏の著作の分析からも、ベネディクトの著作の分析からも導き出せたように思われるが、こうした多重化したイデオロギーは強固な支配装置として機能する可能性が高いと考えられる。そして、上層として構築されるものは新たに形成されるイデオロギーの「閉じられた目録」と同様に機能し、基層として構築されるものは「開かれた目録」と同様に機能するように思われる。それゆえ、ロシア革命当時の上層としての共産党や明治維新時に構築された国家神道の基盤となる天皇制は、不動で、不変なものとして位置づけられた。それに対して、ソビエトやアニミズム的神道は不動である必要も、不変である必要もなく、多様な形態が可能なものであった。そう考えることは十分に可能であると思われる。
最後のセクションで現代の日本のイデオロギー的様相を、十分とは言えないながら、いくつかの資料に基づきながら分析したが、その結果は以下の事柄を導き出せるように思われる。現代のロシアにおいて共産党的伝統を持ったイデオロギーがどのように維持され、また、反映しているかという問題は不明であるが、現代の日本に関して考えた場合、以下のことが述べ得るように思われる。近代国家の中で形成された支配イデオロギー装置は、簡単には消滅せず、潜在的な形であるにせよ、残存続けるように思われる。そしてある時、そのイデオロギーが顕在的な形で国民に広がる。日本の現代の若者のイデオロギー状況や前のセクションで提示した選挙結果を観察すると、性急な判断は危険ではあるが、このように考えたくなる。ここでこの説を証明することは困難ではあるが、少なくとも次のことだけは述べることができるだろう。それは形式として残っているものは、それが衰退したとしてもいつか力を取り戻す可能性があるということである。つまりは、イデオロギーにおいてもラカンの主張通り、シニフィアンがシニフィエよりも優位であるのだ。
最後に、次のことを強調してこの小論を終わりたい。重層的構造を持ったイデオロギーが、強力な支配装置として長期間国民の意識の中に世代を超えて残存し続ける可能性は極めて高い。こうした支配装置を消滅させるには長期に亘る激しい闘争が必要になるだろう。しかしながら、現代日本においてそうした闘争の可能性は低く、伝統的支配イデオロギーへの反抗はまったく顕在化してはいない。この支配イデオロギーの存続が日本の国民にとってプラスであるのかマイナスであるのかは、これからの歴史展開によって決定される事柄であろう。しかしながら、この支配装置が永遠の生命を持ったものであるとは、私には思われないのだ。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載 http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-287.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔study918:171209〕