去る6月下旬に中国へ行き、雲崗・龍門の石仏を見た。5世紀に造られたものだというが、1500年の風雪に耐えているその姿に(といっても、頭部が欠けていたり、顔を削られたりして、かなり破損しているものもある)、信心の薄い私も両手を合わせて拝んだ。仏像はその場所に、いわば「根付いて」存在している。
帰国してから、横浜のそごう百貨店にある美術館で開かれている「観じる民芸」という展示を見た。尾久彰三(おぎゅうしょうぞう)という方のコレクションを公開したものである。尾久氏は日本民藝館の学芸員もされていた方だそうで、多くの焼き物のほかに、鎌倉時代の仏画や大津絵などがあった。また長野県諏訪にある「万治の石仏」のての部分の拓本も印象的であった。私は1995年にその近くにある諏訪大社の石段を転げ落ちて、右膝の「皿」を割ったことがあるからでもある。
しかし、展示会場の終わりのあたりに野仏や道祖神の像が並べられてあるのは、どうにも納得がいかない。それらの石仏や道祖神像は、けっして「民芸品」ではなく、日本人の信仰の対象であり、雲崗や龍門の石仏がその土地に根付いていると同じように、日本の農村や漁村の路傍に沈黙して存在していたものである。それを誰か心ない人が持ち去って「民芸品」に変換させてしまい、この著名な「民芸品コレクター」のものになったのである。日本の美術評論家・美術史家は、こういう問題に目をつぶっている。あるいは気づいていても絶対に発言しない。
新日本文学会などで多少のおつきあいのあった針生一郎さんが亡くなった。毎日新聞の美術担当記者の岸桂子さんによる追悼文が7月4日の毎日新聞に掲載されている。すぐれた追悼文である。そのなかで彼女は、針生さんが「芸術表現を独立させて批評する世代を公の場で批判した」ことがあり、「批判には社会への批判が含まれる」と、彼が考えていたと述べている。「芸術作品を独立させて批評する」というのは、作品にある社会的・歴史的なものを見ないということである。針生さんのあとを継ぐ若い美術批評家に、ぜひ「野仏を野に帰す」運動に参加してほしい。そのためにはまず「観じる民芸」のような催しへの批判が必要なのだ。
初出:「宇波彰現代哲学研究所」2010.07.07より転載http://uicp.blog123.fc2.com/