長崎平和宣言の無邪気さ・・・

著者: 近藤邦明 こんどうくにあき : 「『環境問題』を考える」管理者
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(2011/08/09)
 今年も広島に続いて長崎で原爆慰霊祭が行われました。このHPでは、日本の核開発を無視してきた日本の核兵器廃絶運動の無邪気さについて批判してきました。核の平和利用というカムフラージュの下、日本の原子炉は超兵器級の即時にプルトニウム爆弾への転用可能な高純度プルトニウムを製造し、今現在も保有していること、超兵器級プルトニウム増産を目指す核燃料サイクルをいまだに放棄しないこと、この問題を見て見ぬ振りをしてきた日本の核兵器廃絶運動は世界的な信用は得られないことを述べてきました。
 福島第一原発事故によって、核の平和利用というものの空疎な実体の一部が垣間見えた今回の原爆慰霊祭の平和宣言に多少関心がありましたが、残念ながらいまだに目覚めていないようです。冷静に考えれば、核兵器保有国で無いにもかかわらずこれだけ数多くの危険な原子力発電所を保有する国は日本の他にはありません。核兵器も保有せずにこれだけの危険を犯す合理的な意味は存在しないのは当たり前のことです。

 長崎における平和宣言を新聞記事から紹介しておきます。

長崎平和宣言(要旨)

 今年3月、東京電力福島第1原発の事故に、私たちはがくぜんとしました。「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖におびえることになってしまったのでしょうか。どんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論し、選択する時がきています。より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るため、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
 多くの人たちが原発の安全神話をいつの間にか信じていました。世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。ヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器がさく裂する恐ろしさを考えてみてください。非人道的な核兵器はいりません。
 一昨年4月、米国のオバマ大統領は、核兵器のない世界を目指すという演説を行いましたが、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人びとを失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
 核保有国をはじめ国際社会は、核兵器全廃を目指す核兵器禁止条約の締結に努力を始める時です。日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動を取るよう訴えます。
 原爆と東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことを宣言します。

 2011年8月9日
 長崎市長 田上富久
>(大分合同新聞2011年8月9日夕刊)

 いまだに日本の原子力発電をエネルギー技術としてしか見ていない点は本質を見誤ったままです。
 すでに電力不足が宣伝されてきた夏も盛りですが、福島第一原発を失った東電は、水害で水力発電所を停止することを余儀なくされた東北電力に電力を逆に提供した上で十分に余裕があることが事実によって証明されました。脱原発を実現したからといって、拙速に自然エネルギー発電を導入する必要などどこにも存在しないのです。それどころか自然エネルギー発電などという資源・化石燃料浪費的なエネルギー供給システムを導入することに科学的な合理性は存在しません。これでは原発の安全神話に騙されてきたのと同じ過ちを繰り返すことになります。

 オバマ政権の登場を歓迎した日本の反核運動に対しても批判してきましたが、いまだにオバマ政権に対する幻想を持ち続ける田上氏の能天気さには幻滅してしまいます。米国の正義とは米国のみが圧倒的な核兵器を含む軍事力によって世界秩序を制御することだということをいい加減に理解すべきでしょう。

『環境問題』を考える http://www.env01.net/ より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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