阪田寛夫『武者小路房子の場合』を読んでみた。

 「評伝」ということになるのだろうが、人間関係の複雑さと時系列での動向がなかなか頭に入らず、戸惑った。1913年実篤と房子が結婚、さらに、1918年9月我孫子から「新しい村」への転居、「新しい村」での房子、後に妻となる安子と実篤の恋愛感情の微妙な心境が、実篤の小説『世間知らず』(1912年11月)、「或る男」(『改造』1921年7月~1923年11月連載)などの引用で語られるのである。「もういいかげんにして」と言いたくなるほどグダグダな成り行きなのである。実篤は、房子と正式に離婚できないまま、安子との間に長女を得て、1922年結婚するのだが、房子との離婚が成立、安子が入籍するのが1929年である。房子のさまざまな行状も語られ、武者小路の姓を捨てることなく、「新しい村」の入植者の青年との結婚生活を全うし、「新しい村」で亡くなるという生涯が語られるのであった。

  実篤ファンには叱られそうだが、実篤が朴訥な絵とともに書く人生訓のようなさまざまな色紙の言葉は、彼自身の足跡と相俟って、悟った風な偽善者の言葉のようにしか思えなくなってしまった。中・高時代、課題図書のような感覚で読んだ実篤の小説のいくつかを読み返したり、その他の多くの小説をあらたに読もうという余裕が、いまの私にはない。

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住まいの近くの蕎麦屋川瀬屋さん。長嶋茂雄さんもよく通っていたんですよ、とタクシーの運転手に教えてもらっていたのを思い出して、出かけた。二人の注文は違っていたが、「おいしゅうございました」。明治時代の創業の由。あらかじめラストオーダーの時間を尋ねると、打ったお蕎麦がなくなり次第とのこと。この近辺には4軒ほどのお蕎麦屋さんがあるらしい。市立図書館前の房州屋さんにも行ってみたい。

初出:「内野光子のブログ」2025.6.9より許可を得て転載
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