東日本大震災からの震災復興政策に関する2つの小さな記事をご紹介いたい。そこには、阪神大震災の教訓も生かせず、更にひどい「名ばかり震災復興」にあけくれる東日本大震災の復興政策への批判と、それこそを今回の総選挙の大きな争点にせよ、との悲痛な叫びの声が凝縮されているように思える。一国の主人公が一人一人の有権者・国民・市民であり、その有権者・国民・市民が不幸にして自然災害に見舞われた時には、国や自治体などの行政は、万難を乗り越え、何よりも優先して、被災された方々の救出・救済と、その後の震災からの立ち直り・再生を支援するのが使命ではないのか。そんな論じるまでもない当たり前のことが、この国ではいつまでたっても、何度災害を経験しても、できないでいる。何のために政府や国があり、何のために自治体が存在しているのか。有権者・国民・市民を守れないような国や自治体など、消えてなくなっていい。
今から約20年くらい前に阪神大震災があり、当時、西宮に住んでいた私も被災をした。たまたま住んでいた地域が西宮市の南東部だったので、震度は「6」強くらいに留まり、居住していた集合住宅も倒壊しなかった(しかし、部屋の中はめちゃくちゃで、妻はガラス家具でケガをした)。おかげで深刻なダメージはかろうじて回避でき、加えて、居住場所が武庫川をはさんで尼崎市と反対側のところで、ライフラインの復旧も3ヶ月くらいで早く終わり、更に、大阪市方面へ出て行くときのJRも、西宮市の私たちが住んでいた東部までは早い段階で復旧開通したため、その後の生活にも大きな不便を感じることはなくなった。不幸中の幸いだった。
しかし、同じ西宮市でも北部地区や、更に西の芦屋市、そして震災のど真ん中だった神戸市は、決定的なダメージを受けていた。それらの地域にお住まいだった方々が、肉親を亡くされた方を含めて、どれほど大変だったか、想像を絶するものがある。たくさんの人から、多くのことをお聞きし、確信をもったのは、当時の村山政権下の日本政府と、震災のど真ん中にあった自治体である神戸市の、震災後の被災者救済政策・施策がいかにひどかったか、復旧・復興の方針や政策がいかに人道から外れひどいものだったか、ということだ。簡単に言えば、「人よりもコンクリートの復興」であり、その象徴的存在は、あの、無駄の固まり「神戸空港」である。
あのときも、多くの心ある人々が立ち上がり、ボランティアという言葉が全国に普及するほどに非行政型市民的震災復興支援が燎原の火のごとく広がり、多くの被災者が助けられた。多くの感動があり、多くの涙が流れ、そして、背信的ともいえる政府・自治体への「怒り」が燃え上がった。
「個人財産を増やすような形での震災復興支援はできない」、これは当時の大蔵省=今の財務省の役人どもが打ちあげた震災復興の願いを踏み潰すための牽制球であり、これを金科玉条にした当時の政治家どもが、「何にも専務」の役人たちとともに、被災者の生活をそっちのけで、現場を見る知ることなく「机上の図面」を勝手に描き、そして何よりも震災復興という土建・利権の事業に精を出すという、まるでさかさまの事態を出現させている。当時も私は、神戸の様子を横目で見ながら、許せんな、と思っていた。とりわけ村山内閣は最悪だった。
しかし、そうした中、市民活動家の故小田実氏を中心とした市民グループや、それに共鳴・協調する多くの無数の方々の努力により、すったもんだののちに、今の「被災者生活再建支援法」が制定されることになった。これこそ数少ない阪神大震災の教訓・遺産と言えるだろう。こんな程度のものでは「お涙ちょうだい」にはなっても被災者の生活は再建できない、という意味では、決して十分なものではないのだが、それでも、それまでは何もなかった、天災で重度に被災すれば、立ち直れないほどのダメージを受けて放置されるという、かつての戦国時代や平安時代よりもひどい日本の社会制度に、少しでも風穴をあけることができたという意味で、この法律の制定は大きな歴史的意味と市民の力の結集の成功を記念するものとなった。
(参考)被災者生活再建支援法 – Wikipedia
(参考)被災者生活再建支援法 – 内閣府
http://www.bousai.go.jp/taisaku/seikatsusaiken/shiensya.html
が、しかしである。こうした阪神大震災時の経験や教訓は、今回の東日本大震災では、ほぼ完ぺきに活かされることはなかった。いや、「活かされる」ではなく、民主党政権やそのあとの自民党政権の政治家達、そしてそれ以上に、霞が関に君臨する政府各省庁の役人どもにとっては、「活かす気もさらさらなかった」と言った方がより適切だろうと思う。その結果が、東日本大震災の3年9カ月後の今日である。
私は、あの狭くて、住みにくくて、不便で、壁が薄くて隣に声が筒抜けになってプライバシーもない、あのお粗末極まりない「仮設住宅」に、震災後ずっと居住を余儀なくされている方々が、まだ、10万人近くもいらっしゃるということに、いてもたってもいられない気持である。一体これは何なのだ。日本には、政府や自治体は存在していないのか。「仮設住宅」などは、震災直後の、急なことでどうしようもないから、ほんの少しの間、そこにいていただくためにつくられる「掘っ立て小屋」のようなものであり、強制的に居住を強いたとしてもせいぜい数カ月が限度というものである。それを3年9か月も放置して、それでいて、未だにこの「仮設住宅」からいつ出られるか、見通しもつかない。こんなことがあっていいのか、ということだ。
日本の最大の「国辱」、「品格の崩壊」、それが被災者の「仮設生活3年9カ月」ではないのか。総理大臣の安倍晋三よ、お前は、政治家として、この「国辱」と「品格の崩壊」に対して、何とするのか。これがお前の言う「美しい日本」なのか。お前の政権もまた、かつての村山内閣と同じだ、ということであるのか(下記にご紹介する毎日新聞記事の中にある、岩手県の被災地を訪れた際の安倍晋三の言葉をご覧いただきたい。あきれて返す言葉が出てこないくらいに空疎であり、かつ、いらだたしい)。
(毎日新聞記事より一部引用)
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その遊説で首相と懇談した仮設住宅に暮らす女性(79)は、高台に建設する自宅が予定通りに建つか心配で「東京五輪に資材や作業員を取られ、被災地で不足することがないようよろしくお願いします」と頭を下げた。首相は「オリンピックで遅れることはありませんから」と笑顔で余裕を見せた。首相は被災者たちに「いろいろな制度を作りましたから」「スムーズに進んでいますから、どうぞ安心していただきたい」などと強調したが、私には実体のない慰めにしか聞こえなかった。
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半永久化するお粗末「仮設住宅」に多くの被災者を押し込めたまま、東北の被災地域は、巨大防潮堤の建設だ、高速道路の建設だ、幹線道路や新幹線の復旧だ、観光施設の建設だ・整備だ、ハコモノやモニュメントの整備だ、産業基盤の再建だ、企業団地の造成だ、などなど、阪神大震災の時よりも、なお一層「人よりもコンクリートの復興」「人はいなくてもいいから道路と建物をつくれ」の一大お祭り騒ぎ場と化している。また、霞が関の官僚たちは、震災復興を口実に所得税を増税したり国債を増発したりして巨額の資金を用意し、それを「震災復興(関連)事業」と詐称しつつ、震災復興とは関係のない、自分達本位の事業に浪費する「シロアリ・タカリ行為」まで、こそこそと行う始末。まさに東日本大震災の復興事業は、ロクでもない政治家、官僚、そしてゼネコン・土建業者・関連業者たちに食い物にされているのだ。「震災復興」政・官・業癒着そのものである。
毎日新聞の記者は、下記の記事に「今回の選挙では「アベノミクス」の是非が優先され、震災復興は後ろに追いやられている」と書いている。いや、それは違う、勘違いである。何故なら、この東日本大震災からの復興政策・復興事業の在り方こそが、まさに「アベノミクス」の第2の矢=「機動的な財政政策」のなまなましい姿そのものであり、それを象徴的に言い表したものが、安倍晋三政権の「国土強靭化」政策と言われているものだからだ。
そして、私が最も腹立たしいと思うのは、震災被害とともに、それ以上に深刻な原発事故災害を受けた福島県では、原発被害を受けて避難を余儀なくされている方々向けの復興住宅が、さまざまな事業の中でも、最も遅れて遅々として進まない、というのである。それでいて、政府も福島県も、原発被害者の被ばくを回避しての県外避難に対して、一貫して、その避難生活妨害行為を続けてきている。行政や政治はいったい誰のために、何のために存在して、動いているのか。
ここまで、怒り任せに書いたけれど、今回の総選挙は、上記で申し上げたような日本政府の出鱈目・被害者踏み潰し政策・「人よりもコンクリートと利権」の災害復旧に対して、適切な審判を下すものでなければならないことは申し上げるまでもない。以下、是非、2つの小さな記事をご覧いただければ幸いである。
1.『日刊アグリ・リサーチ』(2014年12月9日(火)発行第12370号) P2 記事の表題は「志津川湾で」
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東日本大震災以後幾度となく訪問した南三陸町に、初めてプライベートで行ってきた。半年以上のブランクがあったが、志津川市街地だったあたりの変貌には驚かされた。地面のかさ上げ工事、臨時的な道路の付け替えが行われた関係で、防災対策庁舎の姿が小さく感じられる。そういえば、仙台からここに来る途中も高速道路の工事が続いていた。土木工事が地域全体を覆っていた。
▼被災された方々の生活の再建はいまだほど遠い感がある。高台移転が計画されているが、住宅の完成にはあと二年以上かかると聞く。仮設で四回目の冬を過ごすことになる方々から聞いた当時の顔が浮かんだ。うなりをあげる土木工事との間に違和感を覚える。
▼被災直後に訪れた時には、何もなく海面しか見えなかった志津川湾を、養殖いかだが埋め尽くしている。のり、かき、ほたて、ぎんざけなどの養殖水産業の復興は漁業者、漁協、行政の大変な努力で進んできた。しかし水産加工の復興はまだまだだ。
▼ボランティアの拠点ともなったホテルに宿泊し、翌朝温泉から日の出を待った。海の向こうの丘の上が明るくなり、陽が昇り、海面のオレンジ色と、空の青のコントラストがきれいだった。太陽に向かって輝く光の帯が海面にできる。養殖いかだが浮かび上がってくる。人々の自然を相手にしたこの営みを眺めていると、この地の営みが世代を越えて引き継がれることを願わずにはおれなかった。突進する土木工事と上からの規制一辺倒の復興政策は、この美しい世界をどこに導くのだろうか。地域の人々の住みよさをこそ第一義的であってほしいと思う
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2,記者の目衆院選 震災被災地から=安藤いく子(盛岡支局) – 毎日新聞
http://mainichi.jp/shimen/news/20141209ddm005070007000c.html
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20141209ddm005070007000c.html
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<追>
●毎日新聞 ■注目ニュース■ イラク:“幽霊兵士”5万人 給料は上官が着服
イラク軍が勤務実態のない約5万人の兵士に給料を支払っていたことが政府の調査で発覚した。対象の兵士は最初から架空名義で登録されたり、実際には離脱・死亡したりしており、支払われた給料は上官が着服していた。今年6月に過激派組織「イスラム国」が大規模侵攻した際にイラク軍は戦わずに敗走を重ねたが、こうした“幽霊兵士”の存在で兵力が政府の想定より少なかったことが一因として挙げられている。
(アメリカも日本とよく似たところがある。東日本大震災の復興予算にたかる「シロアリ」官僚と、イラク戦争予算にたかる「シロアリ」軍人、といったところか? もはやこの世は「末法」の世と言わざるを得ない:田中一郎)