離日のキユーバ大使を合同送別会で送る 友好団体の8団体が

 間もなく帰国する駐日キューバ大使のミゲル・A・ラミレス氏の送別会が10月18日、東京・東麻布のキューバ大使館で行われ、日本側から政治、経済、スポーツ、文化など各界の関係者約60人が参列したが、これに先立つ9月20日には、キューバとの友好を目指す日本の友好団体による同氏の合同送別会が行われた。一国の大使の離任にあたって、着任地の友好団体がこぞって送別会を催すという例は極めてまれだ。

 ラミレス氏は2019年11月に日本大使に着任。従って、4年間、その責務を果たしたことになる。ちょうと、日本におけるコロナ禍と重なった時期だけに、大使としての業務を遂行するのに困難が伴ったこともあったようである。大使館で行われた送別会では、そうした苦労をねぎらう発言もあった。

8つの友好団体が共催
 友好団体による合同送別会は9月20日夜、東京・後楽園の料亭で開かれた。主催したのは、アメリカの対キューバ経済封鎖とキューバの主権を考える有志の会、キューバ友好円卓会議、CUBAPON(日本キューバ連帯委員会)、思想運動、全日本民主医療機関連合会、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会、日本キューバ科学技術交流委員会、日本キューバ友好協会の8団体。各団体から計50余人が参加した。会費制であった。
 招かれたのは、ラミレス氏とその夫人、2等書記官のダイロン・オヘダ氏、それに、通訳の山中道子さんら。

 会場正面には日本語とスペイン語で書かれた看板がかかっていた。そこには「ありがとう、ラミレス大使。友情は永遠に。」とあった。
 

花束を受け取ったラミレス大使夫妻

 
 合同送別会では、友好団体の各団体代表から「ラミレス大使を巡る思い出」が述べられた。「いつも気軽に会ってくれた」「キューバに関することで相談すると、すぐ対応してくれた」といったものが多く、どれも、その最後は謝辞で締めくくられた。

友好運動のあり方を変える―対等・平等の関係に
 それらを聴きながら、私は「ラミレス大使が友好団体の面々を引きつけたのは、あのことではなかったか」と思った。「あのこと」とは、ラミレス大使が果たした、キューバと日本間の友好運動のあり方を巡る改革である。

 日本におけるキューバ友好運動の最大のイベントと言えば、「全国キューバ友好の集い」である。キューバとの友好運動を進める日本の団体の関係者と駐日キューバ大使館員が、一堂に会する行事で、2009年5月に第1回が東京で開かれ、以後、2年に1回開催されてきた。
 でも、「全国キューバ友好の集い」とはいうものの、駐日キューバ大使館が主催するイベントで、集いは大使館の主導で進められてきた。集いはまるで労組や大衆団体の集会のような趣で、会場正面の演壇で大使館関係者がキューバ政府の政策や「革命の大義」を話し、友好団体の参加者は会場正面に向かって座り、それらに耳を傾けるというスタイルだった。最後に宣言や決議を採択したが、大半は大使館側によって起草されたものだった。

 ところが、2022年11月30日に日キューバ大使館で開催された「第7回全国キューバ友好の集い」は、これまでと一変した集いだった。
 まず、主催が大使館であることは変わらなかったが、日本キューバ友好協会、キューバ友好円卓会議、、CUBAPONの3団体が後援団体に名を連ねた。
 会場風景も変わった。会場の隅に演題が設けられ、集いの冒頭に、そこでラミレス大使が歓迎あいさつをした後、友好団体代表や、友好人士が、キューバの現状、キューバで暮らした経験、友好運動の進め方などについて発言した。これまでの「集い」にあった決議とか宣言の採択はなかった。

 いわば、大使館側が集いを主導するという従来のやり方をやめて、キューバ側と日本側が対等の立場で会話をしようというやり方に変わったのだった。
 なぜ、このような開催形式に変わったのか。関係者によれば、日本側の一部の友好団体の関係者が大使館側に「キューバと日本の友好関係をもっと深めるためには、双方が対等・平等の立場で向き合うことが望ましい」と申し入れ、ラミレス大使がこれを受け入れたからだという。友好運動側が大歓迎したのはいうまでもない。

 合同送別会の最後はラミレス大使のあいさつ。そのなかで、大使はこう語った。
 「こんな集まりを開いてくださり、感動している。外交官になっててまもなく、日本を訪れたことがあった。日本の魅力にひかれ、日本大使になりたいと思った。でも、なかなかその機会がなく、インド、インドネシア、中国の大使を務めた後、ようやく日本大使になった。大いに感激した。というわけで、日本には長年にわたって愛情を感じてきた」
 「日本では、多くの人が私を支援してくれた。お礼を申し上げる。とくに、友人になった日本の人たちが、長年にわたって続いている米国によるキューバへの経済封鎖に反対してくれた。感謝する」
 「残念なことが一つある。私が在任した期間はコロナウイルスの時期だったので、何も動けない時があったことだ。やむをえず、オンラインで講演したが、これでかえってたくさんの友人を得た」

日本とキューバの友好運動に大きな貢献
 私は思う。ラミレス大使の決断は、日本とキューバの友好運動に対する大きな貢献ではなかったか、と。そして、こう思うのだ。「こうした貢献があったからこそ、キューバ友好団体の関係者にとっては、ラミレス大使がより親しみやすい存在となり、合同送別会の開催に至ったのだ」と。
 
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