サンタクルス墓地、1991年11月12日
1991年9月、インドネシアによる軍事支配下にあった東チモールにポルトガル(ポルトガルも国連もポルトガルは東チモールの施政国と主張しつづけ、オーストラリアを除いてはこの主張に異議を唱えた国は、アメリカ・日本を含め、ない)の議員団が訪問することに決まりました。
しかし1991年10月、ポルトガルが要求していた随行記者をめぐりポルトガルとインドネシアの対立し、結局、ポルトガル議員団の東チモール訪問は取り消しとなってしまいました。
ポルトガル議員団訪問という機会を国際社会に向けて自分たちの窮状を訴える手段として最大限に利用しようと周到に準備してきた東チモール人とくに若い活動家たちたちにとって、訪問中止はあまりにも大きな失望でした。インドネシア軍特殊部隊はポルトガル議員団訪問に向けて活発に動いていた若者たちを追い詰め、1991年10月28日、モタエル教会に避難していたセバスチアン=ゴメス(18歳)を殺害したのです。
1991年11月12日、セバスチアン=ゴメスの死を悼む葬儀の日、数千人規模のデモ行進がモタエル教会からサンタクルス墓地にかけて行われました。デモ行進で若者たちは東チモールの自由を訴え、行進は平和的に行われました。複数の外国人がこの模様を取材していました。例えば、現在、企業スポンサーに頼らないニュースを精力的に毎日報じるYouTubeニュース番組『デモクラシーナウ』(Democracy Now)のエイミー=グッドマン、彼女と同行したアラン=ネリンの二人のアメリカ人、そしてイギリス人のビデオジャーナリスト・マックス=スタールなどです。こうした状況下で、サンタクルス墓地に着いたデモ参加者をインドネシア軍は無差別発砲をしたのです。いわゆる「サンタクルスの虐殺」です。発砲後、生存者や目撃者も組織的に殺害され、これは「第二の虐殺」と呼ばれています。死者・行方不明者は500名を超えるといわれています(拙著『抵抗の東チモールをゆく』[1996年、社会評論社]に載せた生存者の証言を参照)。
サンタクルス墓地、2021年11月12日
それから30年たちました。2021年11月12日、「サンタクルスの虐殺」の犠牲者を追悼するこの日は、当時の若者たちの行動を称える「若者の日」としての祝日でもあります。例年通り、モタエル教会でミサをおこない、そこからサンタクルス墓地まで大勢の人たちが様々な想いを抱きながら行進し、サンタクルス墓地の前を会場とするルオロ大統領主催の式典が開かれました。
2021年11月12日、「サンタクルスの虐殺」30周年追悼式典の会場。
写真中央にサンタクルス墓地の入口が見える。30年前、無差別発砲から逃れようと若者の群衆がこの狭い入口に殺到した。
ⒸEusebio Goveia, この写真はエウゼビオ君の撮影による(エウゼビオ君は拙著『東チモール 未完の肖像』[2010年、社会評論社]の登場人物の一人)。
2021年11月12日、「サンタクルスの虐殺」30周年追悼式典の会場にモタエル教会から行進してきた人たちが到着する。
ⒸEusebio Goveia, この写真はエウゼビオ君の撮影による。
2021年11月12日、「サンタクルスの虐殺」30周年追悼式典の会場。
マスクをしていない人が多くみられる。新型コロナウィルスの感染防止対策は大丈夫だろうか。
ⒸEusebio Goveia, この写真はエウゼビオ君の撮影による。
「サンタクルスの虐殺」の無差別発砲の模様をビデオに撮ったマックス=スタールが先月10月28日(奇しくもセバスチアン=ゴメスが亡くなった日と同じ)に亡くなったことから、当時の犠牲者の写真を遺族が抱きかかえて行進するのに加えて、今年はマックス=スタールを慰霊しようとかれの写真を抱きかかる人の姿がニュースで流れていました。
大統領をはじめとするお偉いさん方は若者たちの勇気ある行動が東チモールを自由と独立に導く礎となったという類の発言し若者たちを称える一方で、遺族が政府の支援のありかたに不満を感じていることも報道されました。「わたしの息子はわたしにとって宝物でした。息子を亡くしてとても悲しい。息子は人びとのより良い生活のために死にました」と涙を浮かべて語る故・セバスチアン=ゴメスの父親・アフォンソ=ゴメス(74歳)は、いまだに政府から支援を受けていないと述べたのです(『テンポチモール』、2021年11月12日)。
遺族が政府の支援のありかたに不満を覚えるのは、心の傷が放置されていることの表れでもあります。癒されることのない東チモール人の心の問題は国内問題として捉えることができますが、インドネシアによる理不尽な東チモール軍事支配を可能にさせた国際問題でもあります。とりわけインドネシアの独裁者・スハルト大統領を軍事的に支えたアメリカと経済的に支えた日本の責任が問われなければ、東チモール人犠牲者の霊は浮かばれません。
解放闘争の最高指導者だったシャナナ=グズマンを筆頭に歴史的な指導者たちはインドネシアによる軍事支配を陰に陽に支えた国際社会の責任を問う言動をとっていません。東チモールにとって隣国で大国でもあるインドネシアとの良好な関係が小国・東チモールの生きる道であると政治指導者が考えるのはごく自然なことといえます。しかし、人権と民主主義を標榜する先進諸国がそのことに甘えて自らの責任を放置することは、今後これからも国際紛争を防止することができないことを自ら認めたに等しく、わたしたちはこうした国際社会の姿勢を受け入れるべきではありません。
青山森人の東チモールだより 第446号(2021年11月20日)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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