今年2023年も3月11日を迎えました。
「3.11」は、日本では「東日本大震災」で亡くなった大勢の人びとを供養する日です。ところが日本政府は、津波による福島原発事故で生活を無茶苦茶にされて今なお苦しむ被害者を忘却・無視するかのように原発推進政策に大転換しています。これでは日本は前に進むことはできません。日本の為政者たちは日本を徹底的に後進国に貶めて自らの権力の座と既得権益を確固たるものにしたいと考えているようですが、その先にあるものは〝広島〟〝長崎〟であることを「3.11」はわたしたちに知らしめていることを知るべきです。
東チモールにとっての「3.11」は、毎年わたしは同じことをいっていますが、解放闘争の指導者であった故・ニノ=コニス=サンタナ司令官を偲ぶ日です。わたし自身、「3.11」の季節を迎えると、強烈にコニス=サンタナ司令官の記憶が甦り、目頭が熱くなります。
去年の「3.11」は、首都デリ(Dili、ディリ)市内から車で東へ30分くらい走らせたところにある英雄墓地にコニス=サンタナ司令官の家族とゆかりの人びとが集まり、墓参りをしました(東チモールだより 第453号)。今年の「3.11」は、コニス=サンタナ司令官の生誕地であるトゥトゥアラというチモール島の最東端に位置する村で追悼行事が行われました。コニス=サンタナ司令官の追悼行事は、コニス=サンタナ司令官の側近であった二人の山の戦士、ソモツォ(現在フレテリン[東チモール独立革命戦線]選出の国会議員)とハマール(東チモール資料抵抗博物館[以下、抵抗博物館]の所長)が必然的に中心人物となります。そしてもう一人、地下活動家としてニノ=コニス=サンタナ司令官に仕えていたジョゼ=アントニオ=ベロも「3.11」行事に欠かせない人物ですが、ジョゼ=ベロはRTTL(東チモールラジオTV局)公社の責任者として国政選挙(選挙運動期間は4月19日から5月18日までの予定)をまえに多忙を極めていることから今回はまことに残念ながら追悼行事に参加できませんでした。
まず3月10日、トゥトゥアラに近いメハラとう村の教会敷地でコニス=サンタナ司令官の命日25周年を迎えてのセミナーが行われました。政府代表・首相代理としてメタ=マリ民族解放戦士担当大臣と国防軍からはマウ=ナナ将軍が、そしてマヌエラ=バイロス・ポルトガル大使の参加も得て実施されました。そして3月11日当日は、コニス=サンタナ司令官の生まれ育ったトゥトゥアラで、教会のミサ、そして「コニス=サンタナ記念財団」(俗称「コニス=サンタ財団」)が主催する墓参りと偲ぶ会(食事会)が行われました。
新型コロナウイルスの災禍が下火となったせいでしょう、去年と比べると比較にならないほどの大がかりな「3.11」行事となりました。一連の行事、とくにセミナーは抵抗博物館が計画・運営を担当しました。わたしは抵抗博物館のハマール館長から招待を受けて「3.11」追悼行事に参加することができました。
トゥトゥアラはラウテン地方に属し、繰り返しますがチモール島の最東端に位置する村です。同じラウテン地方でもその中心地ロスパロスなら日帰りも可能ですが、トゥトゥアラとなると道路事情もよくなく休憩時間こみで少なくとも片道6時間はたっぷりかかり、余裕をもって半日がかりとみなければならない所です。
抵抗博物館は約500万ドルの大きな予算をかけて記念広場の建設を今年2月に開始しました。その建設に技師として働くポルトガル人女性とデザイナーとして働くポルトガル人男性を含めた抵抗博物館の職員たちとわたしは3月9日、最東端を目指して10時ごろ出発しました。目的地メハラに着いたのは午後4時半ごろでした。メハラでの宿泊所は地元教会の神父さんの邸宅です。夜は騒がしい首都の夜とは似ても似つかぬ静寂さに包まれ、しかも寝室には蚊一匹もいません。夢のような別天地メハラで9日と10日の二晩を過ごすことができました。
セミナーで浮き彫りになったこと
3月10日に行われたセミナーは「セミナー・抵抗の記憶」と題され、ソモツォ議員、マヌエラ=バイロス・ポルトガル大使、ジョアキン=フォンセカ(前の在英東チモール大使、現在はRENETIL[占領時代にインドネシアに留学していた学
生たちで構成された抵抗組織]代表、コニス=サンタナの母方の親戚でもある)の三人による基調講演とそれにたいする質疑応答で構成されました。
メハラの教会敷地に設置された会場には300人以上が集まりました。地元の学校生徒がその三分の一ほどを占めました。地元の学校にはずばり!「ニノ=コニス=サンタナ校」という名前の学校もあります(同じ校名の学校がコニス=サンタナ司令官が活躍したエルメラ地方にもある)。この若い世代に向けての講演であることをソモツォ議員とジョアキン=フォンセカは強く意識したのか、話の内容が抵抗運動の基本知識を伝えようとするあまり、コニス=サンタナ司令官の人柄や個性を偲ぶ話に広がらなかったのは、わたしとしてはちょっと残念でした。とくにソモツォ議員は誰よりもコニス=サンタナをよく知る人物ですが、コニス=サンタナが東チモールの東部・ラウテン地方を組織する人から東チモール全体を組織する人物となった経緯を語ったまではよかったのですが、内容が専門的過ぎて全体的にまとめられずに話が長過ぎました。もしかしたらソモツォ自身、コニス=サンタナ司令官の総括がまだよくできていないのかもしれません。
ポルトガルのマヌエラ=バイロス大使はソモツォ議員の話があまりにも長すぎたことを考慮してか、手元に用意していた資料を用いることを省き、準備していた話を短縮したようです。「東チモールにかんしてポルトガルは各政党を含めて一つにまとまっていました」と東チモール抵抗運動にポルトガルは結束した連帯の意思をもっていたことを述べるとバイロス大使は拍手を浴びました。そしてバイロス大使は地元の「コニス=サンタ財団」へポルトガル大使館から記念品を贈呈して20分もかからない短い話を終えました。
セミナーの発言者がひな壇に座る。左からマヌエラ=バイロス・ポルトガル大使、ソモツォ国会議員、そして司会のハマール抵抗博物館所長。あとでハマールは、話が長い奴にはバンバンと机を叩いて止めなくちゃダメじゃないかとジョアキン=フォンセカから笑いながらの批判を受けた。
2023年3月10日、メハラにて、
ⒸAoyama Morito.
地元住民からの質問ではコニス=サンタナ司令官の死亡について訊ねる内容に焦点があてられました。このことは、解放闘争の生き残った指導者たちが英雄たちの死について国民に向けた十分な説明を怠っていることを図らずも浮き彫りにしたといえます。ソモツォ議員はコニス=サンタナ司令官の死亡について、特別なことでも不可解なことでもなく病気で亡くなったと説明しましたが、聞く人によれば逆に不可解な雰囲気を醸し出すような説明の仕方をソモツォ議員はしたのではないかとわたしは感じました。単純明瞭にズバリと説明すればよいのです。
セミナーの休憩時間を兼ねた食事時間で、わたしはマヌエラ=バイロス・ポルトガル大使と少し話をする機会を得ました。バイロス大使は故・デビッド=アレックス司令官についてもこのような追悼行事があって然るべきだというので、デビッド=アレックス司令官の死については家族の問題もあり難しい状況であることをわたしは説明しました。バイロス大使は、「東チモールにとっての国民の英雄はポルトガルにとっても英雄なのですよ」といい、こうした状況を残念がっていました。
セミナーが終わった後はみんなで記念写真の撮影会でわいわいがやがや。「ニノ=コニス=サンタナ校」の生徒たちがソモツォ議員を囲む。後ろのサングラスはマウ=ナナ将軍。
2023年3月10日、メハラにて。
ⒸAoyama Morito.
追悼の「3.11」
3月11日の追悼行事はメハラから車で15分ほどのトゥトゥアラで行われました。メハラからトゥトゥアラへの一本道は途中まで凸凹道ですが、途中で突然変異のように整備された舗装道路が出現し、あっという間にトゥトゥアラに導いてくれます。メハラからトゥトゥアラへ途中まで続くこの凸凹道はラウテン地方のコムという美しい沿岸の村を過ぎてから始まる悩ましい道路です。メハラからトゥトゥアラへの一本道が一貫して凸凹道だった時代は1時間もかかったとハマールがいいます。いまはわずか15分程度で行けるのですからたいした進歩といえましょう。
「コニス=サンタナ記念財団」の入り口の飾りつけ。コニス=サンタナ司令官の印象的な顔が追悼行事の参加者を迎える。
2023年3月11日、トゥトゥアラにて。
ⒸAoyama Morito.
2023年3月11日、トゥトゥアラにて。
ポルトガル大使から「コニス=サンタナ記念財団」へ贈られたのがこれ。さっそく飾られていた。これにはこう記されている――「ポルトガル大使館は、命日25周年の日に、国民の英雄・東チモール民族解放軍の司令官・解放のゲリラ戦士、ニノ=コニス=サンタナに敬意を表する、ポルトガル人とポルトガルの連帯運動の名のもとに(以下、東チモール抵抗運動を支援したNGOや市民団体の名称が列記されている)。トゥトゥアラ、2023年3月11日」。
ⒸAoyama Morito.
朝の9時ごろわたしたちはトゥトゥアラの「コニス=サンタナ財団」に到着し、朝食をいただきながら10時に始まる教会でのミサを待ちました。抵抗博物館の一人が近くにポウザーダがあるから見に行こうと二人のポルトガル人とわたしを案内してくれました。ポウザーダとはポルトガルの伝統的な建築様式を採り入れた宿泊施設で、ポルトガル植民地支配の名残りともいえます。
「コニス=サンタナ財団」から続く坂道を昇った高台にポウザーダがありました。右を向いても左を向いても前を見ても海です。まさにここがチモール島の東の端っこであることが実感できます。左側、つまり北側ですが、首都で見るアタウロ島並みにすぐそこに見える島がありますが、そこはもうインドネシアの領土です。そしてここ東の端っこのすぐ目の前には最後の薬園(とわたしが勝手にいう)ジャコ島があります。ポウザーダの主屋は一泊50ドル、割安な一泊20ドルの別館もあります。この絶景を満喫できるなら格安といえます。
さて、10時になったのでわたしたちは急いでミサが行われる教会に移動しました。地元住民と小学生たちなど大勢の人が教会に集まっています。メハラの神父さんが司祭となりしめやかに追悼ミサが行われました。教会の内だけでなく外にも用意された椅子に立錐の余地もないほど人が集まり、地元が生んだ解放者の命日を供養しました。
教会のなかに銃を手にした迷彩服のコニス=サンタナ司令官の写真が持ち込まれた。東チモールでは解放軍司令官の出で立ちが解放者の姿なのである。
2023年3月11日、トゥトゥアラの教会にて。
ⒸAoyama Morito.
ミサが11時ごろに終わると、教会に集まっていた人たちはそのまま近くの墓地に移動してコニス=サンタナ司令官の母親などが永眠する墓に献花をしました。ここでも1時間ほどの時間がかかりました。百人ぐらいの人たちがコニス=サンタナ司令官の家族の墓参りをしました。
コニス=サンタナ司令官の家族の墓参り。
家族だろうか。涙する人がちらほらといた。
2023年3月11日、トゥトゥアラにて。
ⒸAoyama Morito.
これで一連の追悼行事はほぼ終了です。追悼行事の関係者は「コニス=サンタナ財団」に戻ったのは12時半ごろ。追悼行事の締めはシャンパンをあけた昼食会です。ここまでくると追悼行事の参加者たちは初めて遇った知らない同士でも気持ちがほぐれて会話が弾みました。メハラの神父さんからは「ミーティングは長すぎませんか?」と日本語で話しかけられました。わたしは、抵抗博物館で技師として働く若いポルトガル人女性に、1974年4月25日に勃発した「カーネーション革命」を知らない世代ですよねというと、彼女はええそうですと応え、母親から聞かされたという「4月25日」の思い出話を話してくれました。こうした楽しい和やかな会話と雰囲気はすべてコニス=サンタナ司令官からの贈り物であるような気がします。
最後の楽園・ジャコ島へ
上記の昼食会が午後1時45分ごろ終わり、各自各々、三々五々の解散となり、かくして「3.11」の追悼行事は終了しました。トゥトゥアラまで来てすぐ目の前にある最後の楽園(とわたしが勝手にいう)ジャコ島へ行かないわけにはいきません。抵抗博物館の一行はジャコ島観光を楽しみました。一連の追悼行事を仕切っていたハマールがやや疲労気味の様子であったのでかれに休息の時間を与えるために〝敢えて〟余力のある者はジャコ島(エンジン付きボートで約10分で渡れる)で1時間ばかりはしゃぎました。エメラルドグリーンに輝く海と透き通るような白い砂浜に囲まれると、純朴な童心にかえる魔法にかけられたような気分になります。
2023年3月11日、
トゥトゥアラ側からジャコ島を望む。
ⒸAoyama Morito.
2023年3月11日 ジャコ島にて。
ⒸAoyama Morito.
2023年3月11日、ジャコ島(左)とチモール島(右)のあいだの海上にて。
ⒸAoyama Morito.
今度またトゥトゥアラに来るときは、ポウザーダに一週間ほど泊まり、ジャコ島などの「コニス=サンタナ国立公園」の自然をゆっくりと満喫したものです。ジャコ島を見て死ね、といいたくなるほどの絶景でした。
今年の「3.11」を振り返って
トゥトゥアラの「コニス=サンタナ財団」での食事時間、わたしはソモツォ議員に来年の「3.11」はどうするのですか、コニス=サンタナ司令官が活躍した西部エルメラ地方でやるのですか、と訊ねると、真剣な顔をして「う~ん、どうしようかな、まだ何も考えていないな」といいました。今年の「3.11」の行事がまだ終わらないうちの質問ですから当然の応えです。しかしながら、今回のセミナーで明らかになったように、英雄をただたんに称えるだけの追悼行事を住民は望んでいないことをソモツォ議員にはぜひ受け止めてほしいとおもいます。人びとが素朴に感じている英雄の死亡原因について明確かつ公式な説明をできるように指導者たちは準備してほしいと強く望む次第です。そして国を挙げての公式なデビッド=アレックス司令官の追悼につながるようにしてほしいとおもいます。それが東チモールの人びとの心が真に解放される道のりの第一歩だからです。
青山森人の東チモールだより 第483号(2023年3月13日)より
e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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