青山森人の東チモールだより…しっちゃかめっちゃかの現政権

44年目の歴史

1975 年 11 月 28 日、44 年前の当時、圧倒的な勢力を誇っていたフレテリン(FRETILIN、東チモー ル独立革命戦線)は迫り来る大インドネシア軍への対抗策として独立を宣言しました。「11 月 28 日」 の「独立宣言の日」と「5 月20日」の「独立回復の日」は互いに呼応した名称であることはいわずも がなです。両日とも「独立記念日」です。

独立宣言からわずか9日目、しかしながら、東チモールは無情にも侵略軍の総攻撃をうけてしまいま した。インドネシア軍による全面侵略開始から今年で 44 年目を迎えました。世界大戦後、人口比でい うと東チモールは最大規模の民族殲滅的な悲劇にみまわれました。陰に陽にかかわらずこの悲劇の原因 をつくった国際社会(欧米、日本)は東チモールに謝罪し、償いをしなければなりません。

この「12 月 7 日」は「国民英雄の日」として休日となっています。今年の「12 月 7 日」は、侵略軍 の手にかかって命を落とした英雄たちの 61 の柩が全国各地(バウカウ・ビケケ・アイレウなど)から メティナロの英雄墓地に運ばれ、埋葬式が厳かに行われました。わたしはインターネットで中継を9時 半ごろから見はじめました。中継が終わったときは午後1時を回るという長丁場の埋葬式でした。

この日、埋葬される遺体の中に一人のポルトガル人が含まれていました。ルオロ大統領は演説のなか
で、「自分自身を愛するように東チモールを愛した1人のポルトガル人をわたしたちはここに埋葬しま す」と述べました。このポルトガル人は“マウ=レロ”というコード名をもつジョルジュ=トマス=ゴデ ィニョ=カラピニャという人物です。1974 年、カラピニャ氏はフレテリンに参加し、1975 年 12 月、イ ンドネシア軍に捕まりました。このときカラピニャ氏はフレテリンの中央執行委員だっため、インドネ シア軍はカラピニャ氏を拷問しました。この拷問で身体を壊したカラピニャ氏はその後 1981 年に亡く なります。ルオロ大統領は「東チモール独立の夢を抱き東チモール人と悲しみを共にすることを選んだ このポルトガル人は紛れもない東チモール人です」と述べました(『チモールポスト』2019 年 12 月 9 日)。

ところで、「11 月 28 日」の「独立宣言の日」の式典にも、「12 月 7 日」の埋葬式にも、シャナナ=グ ズマンは出席しませんでした。確執のあるルオロ大統領と同席したくないという気持ちは、歴史的な日 には忘れてほしいものです。


政府庁舎の正面の大門が開放されるのは珍しいことである。
2019 年 11 月 28 日、政府庁舎正面にて。 ⒸAoyama Morito.

閲兵式のさい大統領が乗るジープ。なかなかの高級感だ。 2019 年 11 月 28 日、政府庁舎広場にて。 ⒸAoyama Morito.

「独立宣言の日」式典の来賓席、中央がルオロ大統領、右端二人がタウル首相とイザベル夫人。 2019 年 11 月 28 日、政府庁舎広場にて。 ⒸAoyama Morito.

長らく飾られた INTERFET(多国籍軍)上陸記念日(9 月 20 日)の大看板に代わって、44 年前に独立宣 言をしたフレテリンの大看板が飾られた。この中でいまだに影響力を誇示するのは、看板写真左端の人 物、現野党フレテリンを指導するマリ=アルカテリ書記長である。マリ=アルカリ書記長は式典では「国 家創設者」という冠が付けられていた。  写真下の管は、まだオーストラリアによる盗聴が暴露される前、東チモール政府が「グレーターサンライズ」ガス田から東チモールへパイプラインがひかれることを強く望む意志を示すために飾られた実 物大のパイプライン模型である。 2019 年 11 月 28 日、政府庁舎広場にて。 ⒸAoyama Morito.

タウル首相の惨敗

前号の「東チモールだより」の末尾で慌てて書き足しましたが、12 月2日に 2020 年度国家一般予算 案の審議が始まったものの、12 月 3 日、つまり審議2日目でタウル=マタン=ルアク首相は予算案を修 正して 12 月 13 日に提出することを約束すると発表、したがって審議は中断してしまいました。現在、 修正案の作成中という状態です。予算総額は 19 億ドルから 13 億ドル前後に削減される見通しです。

国民や野党のみならず政府与党からも、予算額が大きすぎる、本年度予算の執行率からして予算額は 政府の能力を超えていると反発を喰らっていたのにもかかわらず、聴く耳をもつ持たなかったタウル= マタン=ルアク首相は国会審議に臨んだものの、あえなく撃沈された形になりました。

審議2日目、連立政権の議員から批判が相次ぎました。タウル首相は与党議員からの批判にたいして、
国会の予算審議では与野党に分かれ野党側は批判し与党側は政府案を守り民主的な議論となるがそう なっていないと静かな口調で反論しました(その心中はいかに?)。 それにしても不気味だったのは最 大与党 CNRT(東チモール再建国民会議)の沈黙でした。予算案を批判したのはタウル首相を党首とす る PLP(大衆解放党)と少数与党 KHUNTO(チモール国民統一強化)の議員です。CNRT はタウル首
相の言動を凝視して、執るべき行動を執るぞと無言の圧力をかけていたように見えます(インターネッ トで国会中継を見ることができる)。野党の民主党議員が気味悪がってか、なぜ CNRT は黙っているの ですかと発言したほどでした。そのあとで CNRT 議員がようやく口を開き、CNRT も話さければなら ないとのことですが(と笑いを誘い)、CNRT は首相の(予算案の撤回要求にたいする)判断を待って いる状態ですと述べました。国会の場で孤立無援状態を曝け出してしまったタウル首相は、予算案撤回 に応じるより他はなくなってしまいました。タウル首相の惨敗です。

言葉が軽くなったタウル首相

政府が提出した予算案を政府自らが撤回するのは、東チモール憲政史上もちろん前代未聞のこと、“普 通”ならば”異常”といえる事態です。

タウル首相は修正案作成の権限をアジオ=ペレイラ内閣長官とサラ=ロボ=ブリテス財務大臣(暫定) に渡すとも発表しました。タウル首相は国家予算の作成から撤退するということなのでしょうか。そう
だとすれば首相という地位に何の意味があるのでしょうか。さらにタウル首相は修正案の提出日を「約 束」という言葉を使って「13 日」としましたが、この日付は話し合いで出てきた日付なのか、とっさに 口から出てきた日付なのか、疑問です。12 月 12 日の各新聞に(つまり 11 日の時点で)、国会は 13 日 に修正案の提出を受けると政府から正式な通達は届いていないと報道されました。どうやら「13 日」と はとっさに首相の口から出てきた日付である可能性があります。結局、修正案の提出日は 19 日となっ たと 12 日に発表されました。修正案の提出を発表するとき、提出日は決まり次第発表するとタウル首 相は言うべきでした。そのときの雰囲気で「13 日」と口走ったとしたら、自ら提出した予算案を自ら撤 回するという恥をかいた上に恥を重ねてしまったことになります。平静を装っていたタウル首相ですが、 動揺が大きかったのかもしれません。いずれにしてもわたしの知るタウル=マタン=ルアクといまのタウ ル首相とでは言葉にたいする感覚からしても別人のようです。

いま考えると、11 月 16 日リキサ地方のティバールで開かれた AMP 会議で受けたいわば最後通告に タウル首相は適切な処置を施さなかったことが決定的だったといえます。たとえ政権内から反発を喰ら
っても国民の支持を得ているのならまだ話はわかりますが、国民からも与野党からも総スカンを喰らう シロモノを国会審議に持ち込むタウル首相の発想そのものが根本的な間違いでした。

UDT(チモール民主同盟)党首の議員が急死したことで、11 月 25 日に始まる予定の審議が1週間延 び、12 月 2 日に始まったと思ったら2日目で審議は中断、修正案の提出日は 13 日と発表されたが結局 は19日となる…。ひび割れ状態にある政権による予算案が国会を通過するのは時間がかかりそうだし、 拒否権をもつ大統領による発布も山あり谷ありであろうことを思えば、来年度予算が1月に施行される ことは難しいことでしょう。ということはまたしても「12 分算方式」が採用されることが考えられます。

以上のような事態を招いた責任をタウル首相はいかに受けとめ、けじめをどのようにつけるのでしょ
うか。何らかの形でタウル首相は責任をとる、あるいはとらされることになると思いますが、もしタウ
ル首相が政治的影響力を残したいのであれば潔く自ら率先して責任をとり、ある程度の時間をかけて政 治的な蘇生を図るべきです。

 たるんだ政府組織

政府自らが予算案を撤回するという事態をうけて、さまざまなシナリオ・憶測が新聞を賑わしていま す。無理もないことです。例えば、1月から採用されるであろう「12 分算方式」は4月まで採用される のではないかとか、その間に内閣が改造され、首相も交代し、第9次立憲政府ができるであろうとか、 タウル首相は副首相に降格しシャナナ=グズマンが首相となるのではないかとか、AMP 政権は解散、 CNRT は PLP を排除して新たに民主党などと連立を組み直し新政府を樹立するとか…いろいろありま す。 一方、世論ですが、この1年間、閣僚が決まらない政治的袋小路にたいして、国の指導者たちが対話
のテーブルについて問題の解決を図るべきだと言われ続けてきましたが、いまやこの世論は、政権与党
の三党首がちゃんと話し合いをすべきだという意見にとって代わられてしまいました。ルオロ大統領あ
るいは最大野党フレテリンは政権内の紛擾に高みの見物をきめこんでいるでしょうか、それとも話題の
渦中に自分たちがいないことに寂しさを覚えているのでしょうか。ちょっと前までは大統領府と政府の
対立が話題の中心でしたが、いまや政権与党内の対立に話題が発展(それとも劣化?)してしまいまし
た。限りある財源の奪い合いをする指導者たちの分散状態がこの国を堕としめているように見えます。
まとまらない指導者たちの分散状態は、現政権によるまとまりのつかない劣悪な行政に直結しており、 行政サービスの現場では庶民が顔をしかめています。

首相が予算案を撤回したという緊迫した政治情勢にあるにもかかわらず、まとまりのつかない行政を 象徴するような出来事が起きました。保健省内で二人の副大臣による口論が録音され、それが 12 月9 日 facebook で拡散されたのです。口論の内容は、わたしはあんたより偉いのだから出張しろといわれ たらそのとおりにしなさい、いまは予算作成に集中すべきだといわれているからそうはいかない…とい うような子どもの喧嘩です。一人の副大臣は CNRT 出身の女性、もう一人は PLP の男性、CNRT は PLP より議席数が多いのだから、あんたはわたしのいうこと聞けというような次元の低い口論です。省 内の幹部による喧嘩の様子が録音されてそれが外に流れるのは公的機関のたるみを意味するし、口論の 情けない内容は政権にたいする世間の酷評を裏付けています。

この録音公開にかんして政権内から当然、恥ずかしい、内閣改造のさいはこの二人は入閣されるべき でない、という意見がでました。また市民団体「NGO フォーラム」の代表は、「世論は首相が(閣僚ら の)評価をしなければならないとずっといってきている。政権を担当してから1年以上経つのに首相は
大臣たち(の仕事ぶり)を評価していない。われわれは首相が即刻、(暫定)大臣や副大臣たちを評価
することを求める」といい、保健省の内部で起こったことについて、首相は黙っていないで首相として の権限を大臣・副大臣にたいし使わなくてはならないと主張します(『チモールポスト』2019 年 12 月 10 日)。この主張は要するに、なにがしの大臣の仕事ぶりがお粗末すぎるからなんとかしてほしいとい う国民からの苦情に首相は耳を傾けなければならないという訴えです。政権を担当してからタウル首相
はこの種の苦情に応えることはありませんでした。このことが巡り巡って予算案の撤回という事態にな ったのです。

ともかくタウル首相率いる内閣は、もう長保ちしそうもありません。予算案を撤回してもまだ存在し
ていること自体、わたしには不思議です。予算案についてなんらかの決着がついたとき、タウル内閣は ツケを支払うことになるでしょう。それは国民にしっかりと払うツケでなければなりません。
 

青山森人の東チモールだより  第406号(2019年12月13日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion9260:191215〕