青山森人の東チモールだより…せっかくのCPLP大会を楽しめない

東チモールでCPLP大会が7年ぶりに開催

2025年7月19日、東チモールでCPLP(Comunidade dos Países de Língua Portuguesa、ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語を公用語とする国々で構成される国際機関)競技大会が7年ぶりに開催されました。

CPLP加盟国は、東チモール・ポルトガル・ブラジル・アンゴラ・モザンビーク・ギニアビサウ・カボベルデ・サントメ=イ=プリンシペ、そして赤道ギニアの九ヶ国です。そのCPLPが開催するスポーツ大会は、1992年にポルトガルで開催された第1回目を皮切りに、ギニアビサウで第2回目(1995年)、モザンビークで第3回目(1997年)、カボベルデで第4回目(2002年)、アンゴラで第5回(2005年)、ブラジルで第6回目(2008年)、モザンビークで第7回目(2010年)、ポルトガルで第8回目(2012年)、アンゴラで第9回目(2014年)、カボベルデで第10回目(2016年)、サントメ=イ=プリンシペで第11回目(2018年)がそれぞれ開かれました。新型コロナウィルスの世界的大流行が影響し、第11回目以来、長らく開催されていませんでしたが、このたび東チモールが久し振りとなる第12回目のCPLP大会を引き受け、2025年7月19日(17日が予定日であったが)に開催式を迎えました(予定では27日までが開催日だが、閉会式が7月26日に行われた)。

CPLP加盟国の選手たちが参加して競技がされるとなれば、九ヶ国が参加するそれなりの規模の国際競技大会になるはずでしたが、残念ながらブラジル・ギニアビサウ・赤道ギニアの三ヶ国が不参加となり(理由は正式に発表されていない)、六ヶ国参加の国際競技大会となりました。競技種目にサッカーがあるので、ブラジルが参加すればブラジル人のサッカーを東チモールで観ることができかなり盛り上がるのではないか……さほどスポーツに興味がひかれないわたしでもこのような期待を抱きましたが、ブラジルは不参加となりました。競技種目は、サッカー・ビーチバレーボール・テニス・バスケットボール・テコンドー・空手・陸上競技、これに今回の大会は、運動競技ではありませんが、チェスも種目に加わりました。なおCPLP大会の参加選手にはU16、つまり16歳以下という制限がつけられています。

= = = = =

「ようこそ東チモールへ

第12回CPLP競技東チモール大会

2025年7月17日~27日

われわれは一つに団結」。

大会マスコットキャラのアノ君(左)とアノイさん(右)。

CPLP競技大会の看板、ベコラ警察署前にて。

2025年7月16日、ⒸAoyama Morito.

= = = = =

国立大学近くに立てられたCPLP大会の看板。

ラモス=ホルタ大統領(左)とシャナナ首相(右)が

大きく写っているが、選手たちを前面に押し出してほしい。

2025年7月16日、ⒸAoyama Morito.

= = = = =

午後の競技に向かうポルトガル選手団。

ポルトガル選手団が宿泊しているホテルチモールにて。

2025年7月23日、ⒸAoyama Morito.

= = = = =

CPLP大会はポルトガル語でないとダメなの?

CPLP大会の開催日は予定の17日ではなく19日となりましたが、それでも開催できたことはめでたいことです。開催式では、シャナナ=グズマン首相もジョゼ=ラモス=オルタ大統領も海外出張中で不在のため、暫定首相となっているアサナミ副首相が国の代表を務めました。

ちょっと面白かったのはCPLP大会なのでポルトガル語を話さなくてはならないという建前があるのでしょうか、アサナミ副首相がポルトガル語の通訳を添えて開会式の演説をテトゥン語でするというわけにはいかなかったようです。ラモス=オルタやシャナナ=グズマンたちのようにポルトガル植民地時代に教育をうけたエリート層の世代に属さない、それに比べて若い世代のアサナミ副首相が、原稿を見ながらポルトガル語で演説する姿はなんとなくぎこちなさを感じさせました。ポルトガル語は公用語という地位を得ても、庶民のあいだではあまり普及されていない言語であるという現実は、程度の差はあるかもしれませんが、旧ポルトガル植民地のアフリカ諸国でも共通していることです。この現実を無理して隠すことなくポルトガルにビシッとはっきり厳しく示さなければ、ポルトガルをいつまでも甘やかすことになるのではないかと、アサナミ副首相によるポルトガル語の演説を動画で見ながらおもったしだいです。

RTTL(ラジオTV東チモール)局の放映するCPLP大会のサッカー中継では、ポルトガル語による実況中継がされています。このポルトガル語はポルトガルのポルトガル語ではなく、ブラジルのポルトガル語ですが、それはともかく、自分の国で行われている大好きなサッカーの国際試合の中継をTVやインターネットで楽しみたい東チモールの庶民感覚にしてみれば、RTTL局は公共放送局なのですから、庶民感覚を大切にする義務があるはずです、この国の最大の共通語であるテトゥン語で実況してもよいのではないでしょうか。ブラジルのポルトガル語による実況中継に不自然さを感じるのはわたしだけでないとおもいます。

CPLP大会の雰囲気を台無しにする立ち退き執行

アサナミ副首相は、CPLP大会では競うこと以上に友愛・連帯・尊敬を育むことが大切だという趣旨のことを開催式で述べましたが(『タトリ』、2025年7月19日)、実際に対戦する選手たちにしてみれば真剣勝負をして負けるのは悔しいし勝つために全力を尽くすことでしょう。勝負のなかで感動を大勢の人びとと分かち合うドラマが生まれるかもしれませんし、すでに生まれたのかもしれません。若者たちが競い合うCPLP大会が展開されている首都デリ(Dili, ディリ)はいい意味での非日常の雰囲気、それこそアサナミ副首相のいうように友愛・連帯・尊敬を育むという雰囲気に包まれて然るべきです。ところが現実はどうでしょう。政府機関SEATOU(地名都市計画庁)が国家所有の土地に居留している住民を立ち退かせるという強権的な大鉈(おおなた)をCPLP大会開催中でも容赦なくふるい、殺伐とした雰囲気を漂わせているのです。

CPLP大会開催中でも住民を立ち退かせるSEATOUの仕事ぶりについて、野党フレテリン(東チモール独立革命戦線)のヌリマ=アルカテリ議員は、海外から来た人に東チモールの問題を見てもらうにはいいのではないかと政府を皮肉って批判します(『チモールポスト』、2025年7月23日)。

7月18日(金)、かなり大がかりな立ち退き執行がありました。場所は社会連帯包括省のちょうど裏側です。インドネシア軍占領時代、ここは警察の宿舎があった場所といわれています。1993年、この場所から近い所にあった宿にわたしは泊まりましたが、その警察宿舎がどのような建物であったか、残念ながらまったくわたしの記憶に残っていません。1999年9月の動乱から国連統治時代の混乱期にかけて大勢の人びとがここに住みつき、道路沿いには様々な店々が連なるようになった所です。また2006年に勃発した「東チモール危機」(拙著『東チモール 未完の肖像』[2010年、社会評論社]を参照)による難を逃れた人たちの受け入れ先となったともいわれています。

もはや例によって例のごとしといってよい光景になりましたが、重機で家屋や店を破壊しながら住民を立ち退かせるという光景は気分を滅入らせます。今回の立ち退きでは、ニュース映像をみると政府作業員に向って物をなげて抵抗する住民もいたようです。この場所には100名以上の居住者がいて、警察は立ち退きに不満な住民3名を、SEATOU職員を刺そうとした疑いで拘束したとも報じられています(『インデペンデンテ』、2025年7月21日)。

重機で家屋を破壊されて追い立てられる住民は失意のどん底に落ちてしまいます。なぜ政府は住民との話し合いを重ねて温和な解決を図らないのか不思議です。政府を率いるのは解放闘争の最高指導者であったシャナナ=グズマンなのに。国の土地に不法に居住している人は立ち退かなくてはならないという理屈は分かりますが、だからといって横暴を当局がはたらいていいわけがありません。かくのごとき雰囲気はCPLP大会の目指す友愛・連帯・尊敬とは真逆です。

= = = = =

18日に大がかりな立ち退きがあった社会連帯包括省裏。

警察を含む多くの当局関係者が立ち退く住民を見ていた。

写真の右側に社会連帯包括省がすぐある。

2025年7月19日、ⒸAoyama Morito.

= = = = =

同じく社会連帯包括省裏にて。

週が明けると当局人員は配置されず、

後かたづけする人影がポツリポツリとあっただけ。

2025年7月21日、ⒸAoyama Morito.

= = = = =

7月21日にも大きく報道された立ち退きがありました。アイタラク=ラランという地区で大統領府建物のすぐ隣りでその立ち退きが執行されました。61世帯が立ち退かされました(『タトリ』、2025年7月21日)。これにかんして公共事業省のサムエル=マルサル大臣は、アイタタク=ラランの20以上の世帯はすでに立ち退きのための補償金を4月に受け取ったと語り、合意に達していない世帯はまだ補償金を受け取っていないと述べています。その補償金の額は各世帯の状況によって異なり、3500ドル、5000ドル、1万ドル、1万1000ドルなどの場合があると同大臣が述べています(『タトリ』、2025年7月17日)。

= = = = =

大統領府隣り、立ち退き跡。

人びとの生活の息遣いが消えた。

写真左奥に大統領府がある。

2025年7月23日、ⒸAoyama Morito.

= = = = =

市民団体、立ち退き執行は深刻な人権侵害

Rede ba Rai(レデ バ ライ)という市民団体は、7月17日、SEATOUが執行する住民立ち退きにかんする報告書の出版記者会見を開きました。Rede ba Raiとはテトゥン語で直訳すると「土地ネットワーク」の意、意訳すれば「土地問題連絡会」あるいは「土地問題連絡協議会」となりましょうか、ここでは簡素に「土地連絡会」と訳しておきます。

「土地連絡会」によるその報告書は、『強制立ち退き、犯罪、人権への深刻な暴力―第九次立憲政府が2024~2025年に執行した立ち退きの分析―』と題され、2024年~2025年の立ち退きの事例を集めたものになっています。

同会のオルテンシオ=ビエイラ代表は、この報告書は同会が現場を調査し住民へ直接インタビューをして詳細なデータを集めて作成されたものであると述べ、「物理的な力による住民への侵害と立ち退き」そして「治安と住民の生活と人権にたいする悪影響」を指摘します。同会員・ドミンゴス=デ=アンドラーデは、「SEATOUによる強制的な立ち退きは法的根拠がない、深刻な人権侵害である、なぜなら、SEATOUの役割とは開発のために土地や農場の履歴を認証することであり、立ち退きをさせることではないからだ」と非難します。さらにこの記者会見で、ベコラの住民であり道路拡張に影響受けた住民の一人であるアディリナ=メルクは(東チモールだより 第533号参照)、SEATOUが国防軍の人員の助けを借りて立ち退きを行っていることは住民にたいする抑圧であり脅迫であるとし、「みんなが誠意ある方法での開発を支持している。開発の利益はすべての人びとのものであるからだ。しかし政府には少なくとも現存の法的手順に従ってほしいし、法律が定めるように、立ち退きの前にまず補償金を支払ってほしい、口約束だけではなく」と政府への不満を述べました(『セマナリオ』、2025年7月18日)。

この報告書は、2024年~2025年の立ち退きで影響をうけたのは1336~1429世帯、7615~8145人であると報告しています。先述した社会連帯包括省の裏や大統領府建物隣りの土地での立ち退きの件はこの報告書に含まれていないなら、これらの数字はさらに上昇したことになります。

そして「土地連絡会」は上記の記者会見のなかで、現行の法律によれば行政省とSEATOUは、住民立ち退きを実行する法的な権限を有しておらず、法務省機関である国家土地財産局が国に属する土地に不法に居住する人にたいして行政的な立ち退きを実行する権限を有するのであると主張しています。

ひとことでいうと「土地連絡会」は、政府・SEATOUのやっている一連の住民立ち退かせ行為は不法であると主張しているのです。そして同会の報告書も各社ニュースも、政府から補償金を受け取った人もいれば受け取っていない人もいるといっています。その場所に住むことが不法であるとしても、それは貧困に起因することです。長く住んでいた家を壊され追い立てられ、しかも補償金を受け取っていないとなれば、東チモールのこれらの人たちの目にはCPLP大会はどのように映っているのか……という想像力をシャナナ政権ははたらかせてほしいと願います。

青山森人の東チモールだより  easttimordayori.seesaa.net

第540号(2025年7月26日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14344250727〕