豪雨が降り始める
2月13日、豪雨が降りました。いよいよ雨季が東チモールの首都に牙を向け始めたかとおもわれました。この時は首都圏での被害はなかったようです。そして2月22日の夜、首都にかなり激しい雨が降りました。わたしの滞在するベコラでは18時35分ごろからは豪雨が降りしきりました。停電になり、やることがなくわたしは眠ってしまいましたが、トタン屋が鳴らす強い雨音は長時間続きました。午前0時ごろ目が覚めたときは雨はやんでいました。3時間ほど豪雨が降ったのではないかとおもいます。
22日の豪雨で首都の中心部は大きな水たまりができ、バイクを運転することができない多数のバイク乗りが自分のバイクを引っ張って歩いている写真が『チモールポスト』(2026年2月23日)に載りました。東南部のビケケ地方では、22日の大雨で男性一名が命を落としたと複数のメディアが報じました。
さらに2月24日夜10時15分ごろから翌25日の朝8時過ぎまで豪雨と強い雨そしてちょっと強い雨が織り交ぜて降り続きました。今年最大の降水量を首都にもたらした雨になったとおもいます。川の泥流が氾濫していなければよいのですが…。
これから頻繁に豪雨が降ることでしょう。もしそうなったら大雨にたいする従来の警戒とともに、道路工事・橋の改修工事・河川工事など重機が高く立つ工事現場で不測の事故が起きないように特別な警戒をしていかなければなりません。
ミャンマー、東チモール外交官を国外追放
2026年1月13日、「チン人権団体」は、インド国境近くのミャンマー西部に位置するチン州における戦争犯罪および人道に反する罪でミャンマー軍事政権を東チモール司法当局に刑事告訴しました。同当局はこれを受理し、2月、ミャンマー国軍への司法手続きを開始しました。
「チン人権団体」は1月半ばに東チモールを訪問したさい、テイシェイラ(*)法律事務所の支援をうけてジョゼ=ラモス=オルタ大統領と会談し、記者会見も開きました。
(*)テイシェイラ氏は、1999年12月初旬、わたしがインドネシア軍撤退後の東チモールを訪れるべくオーストラリアのダーウィンからオーストラリア軍の高速船に乗ったさい、わたしの楽しい話し相手になってくれた人物である。「独立回復」して発足したマリ=アルカテリ首相率いるフレテリン(東チモール独立革命戦線)政権の閣僚になった。最近は法律家として活動している。
「チン人権団体」 は2022年7月以降、軍によるチン州での1000回以上の空爆、4600棟以上の家屋の破壊、女性や子どもを含む民間人478人の死亡を記録しているとのことです(『ディリジェンテ』、2026年2月13日)。
ミャンマー軍事政権は東チモール司法当局によるミャンマー軍にたいするこの司法手続きをうけて、1月16日、ミャンマーに駐在する東チモール代理大使・エリジオ=ド=ロザリオ=デ=ソウザを呼び出して抗議し、フィリピンで開催されたASEAN(東南アジア諸国連合)外相会議で抗議の意を表明し、そして2月15日、東チモールの行動はASEANの内政不干渉の原則に反するとして、デ=ソウザ代理大使に1週間以内に国を離れるようにと国外退去を通告して対抗措置をとったのでした。
今回の外交官追放は二度目です。2023年7月、ミャンマーの民主派勢力の外務大臣が東チモールを訪問して、ラモス=オルタ大統領と会談するなどしたことの報復として、同年の8月下旬、ミャンマー軍事政権は当時の在ミャンマーのアベリーノ=ペレイラ代理大使を国外追放したのが一度目です。このときは、軍事政権とそれを非難するアジアの若い独立国の二カ国間の外交問題でしたが、二度目の今回は、去年10月に東チモールがASEAN加盟国になったことから、ASEANの問題となりました。
前政権は曖昧な姿勢だった
上記の一度目と二度目の外交官の国外追放はいずれもシャナナ=グズマン首相率いる現在の第九次立憲政府(2023年7月1日に発足)のもとで起こったことです。2021年の2月1日、ミャンマーの国軍が当時のアウンサースーチー国家顧問など文民政府幹部を拘束し再びクーデターを起こしたとき、東チモールは前政権・第八次立憲政府の時代でした。
2021年6月、国連総会でミャンマー国軍の暴力を非難しミャンマーへの武器流入の防止を訴える決議案が賛成多数で採択されましたが、東チモールは棄権票を投じたのです。賛成したのは119カ国、反対がベラルーシの1カ国だけ、そして棄権票を投じたのは中国やロシアなどの含む計36カ国でした。かつて東チモールを侵略したインドネシアは賛成票でした。両国の歴史を振り返るとなんとも皮肉な投票行動です。
この棄権票を巡って東チモール国内では、人道に反する、東チモールの民主主義の価値を失墜させた、東チモールは信頼を失った…などなど非難と失望の声があがりました。当時のアダルジザ=マグノ外務協力大臣は、東チモールはミャンマーにかんして2010年から一貫して棄権票を投じる立場であり、ミャンマーにかんする国の方針を変えるには大統領府と国会・首相を通した手続きが必要であり、大臣自身も見直しをするように求めてきたという自己弁明をし、当時のタウル=マタン=ルアク首相はというと、ミャンマー情勢にかんして棄権票を投じることは東チモールのもつ価値観と原則を変更するものではない、東チモールは人権と問題の平和的解決を尊重するといい、棄権票の理由を説明できないでいました(東チモールだより 第439号)。東チモール経済の支柱となっている中国がミャンマー軍事政権の背後にいることから、中国に忖度しなければならないという政治力学が作用したかもしれないし、ASEAN加盟を目指していた東チモールとしては中立の立場をとるのが無難と考えたのかもしれません。
第八次立憲政府のこの外交姿勢にたいし、同じ「ノーベル平和賞」受賞者であるアウンサースーチーと強い連帯意識を抱くラモス=オルタは(このときは大統領でない)、東チモールは評判を堕とした、信頼はゼロになった、と東チモールが棄権票を投じたことについて不満と失望感を吐露しました。
非難するが尊重もする
現政権は前政権のような姿勢をとらず、二度にわたり外交官の国外退去を喰らうという〝勲章〟を得て、ラモス=オルタ大統領はミャンマー軍事政権から「内政干渉を繰り返している」と非難されるという〝勲章〟を得ています。
もっとも、今回の外交官追放の通告をうけて、東チモールはミャンマー軍事政権による東チモール外交官にたいする決定を非難しつつも 、人権・対話・民主主義を擁護し、ASEAN加盟国の内政干渉はしないという、ある意味では角の立たない立場を表明しています。シャナナ=グズマン首相はミャンマー軍事政権による東チモール外交官にたいする決定を「尊重する」と述べ、「よその国で起こったことにたいし審判する力は東チモールにはない」(2026年2月20日の『チモールポスト』と『東チモールの声』)と東チモール当局による法的手続きを否定的にとらえるような発言を、2月19日、ラモス=オルタ大統領との会談後の記者会見でするくらいです。東チモールにできることはこれが限界だとシャナナ首相がつぶやいているようにおもえます。
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『東チモールの声』(2026年2月20日)より。
「東チモールにはミャンマー問題を解決する力はない」(見出し)。
「ミャンマー市民が東チモール検察庁に起訴した件について解決する力は東チモールにはない、とカイララ=シャナナ=グズマン首相は述べる」(冒頭文)。
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選挙結果発表前日にクーデターが起こったギニアビサウ
次はところ変わって西アフリカのギニアビサウ。2025年11月23日,大統領選挙と議会選挙がおこなわれました。東チモールからも選挙監視団が派遣され、選挙は民主的に不正なく行われたと東チモールでは伝えられました。大統領選は現職のウマロ=シソコ=エンバロと野党候補フェルナンド=ディアスによる接戦になりました。ところが結果発表が予定されていた27日の前日、軍がクーデターを起こし、国の全権を掌握したのです。軍は、クーデターは麻薬と腐敗と闘うためであるなどと述べ、オルタ=エンタ将軍が暫定大統領に就任し、暫定政府を設置しました。
ギニアビサウを思いやる東チモール
西アフリカ諸国経済共同体やアフリカ連合そして国連などの国際社会は軍によるクーデターを非難します。そしてギニアビサウや東チモールも加盟するCPLP(ポルトガル語諸国共同体)も、2025年12月、臨時会議を開き、ギニアビサウの加盟国としての活動を停止させ、東チモールが一時的なCPLP議長国として選出されました(『タトリ』、2025年12月17日)。
そして東チモール政府は、CPLP加盟国としてギニアビサウ情勢を観るための特使としてトーマス=カブラル行政大臣とドナシアーノ=ゴメス防衛大臣を任命しました。ドナシアーノ=ゴメス防衛大臣はラモス=オルタ大統領特使として、他のCPLP加盟国からの特使とともに臨時政権下にあるギニアビサウを2026年2月18~21日に訪問する予定でした。
かつてポルトガル植民地であったアフリカ諸国と東チモールは、卓越した指導者・アミルカル=カブラルに率いられたギニアビサウによる民族解放闘争が自分たちに与えてくれた決定的な感化を想起するにつけ、内戦状態に陥った1998年から絶えることのないギニアビサウにおける政情不安に心を痛め、手を焼いているに違いありません。
反発を喰らった東チモール
さてギニアビサウの政情安定のためにひと肌もふた肌も脱いでいる東チモールですが、シャナナ=グズマン首相が2月12日ラモス=オルタ大統領との会談後に、ギニアビサウは「脆弱な国家」から「失敗国家」へと変わったと発言しました。ギニアビサウの暫定政府はこの発言を屈辱と受け止め、東チモールは他国のことをいうまえに自国の内情を熟考すべきだ、 ラモス=オルタ大統領は広報担当者として振舞っている、シャナナ首相とラモス=オルタ大統領はコインの裏表のようなものだ、この曲芸師二人組は小児性愛と認知症の仲介者に限られるべきであり、ギニアビサウの仲介者を装うのはあまりにもおこがましい、などと罵詈雑言で反発したのです(『ディリジェンテ』、2026年2月16日)。
シャナナ首相は2月16日、「失敗国家」という表現についてギニアビサウ側に謝罪をしました。しかし外交環境は崩れしまい、東チモールはギニアビサウへの特使派遣を中止しました。東チモール政府が計画していたことがシャナナ首相自らの発言で台無しになったのでシャナナ首相は失言をしたといえるかもしれません。一方、国際社会の監視を受けながら実施された選挙をクーデターを起こして台無しにしたギニアビサウ軍部にはシャナナ首相の発言に怒る資格などないともいえるかもしれません。はっきりいえるのは、シャナナ首相がギニアビサウ側から浴びせられた罵詈雑言に応酬しなかったのは良かったということです。
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『チモールポスト』(2026年2月16日)より。
「加盟国の政治状況 CPLPは注目を集めなければならない」(見出し)。
「CPLPは加盟国の政治状況について勇気を出して発言し、注目を集めなければならない。さもなくば、CPLPは重要性のない単なる文化組織になってしまう」(冒頭文)。
この記事では、東チモールの指導者が示したギニアビサウへの外交姿勢を巡るいろいろな意見を載せている。冒頭文のような意見の他に、例えば、
「シャナナ首相の発言は正しい」、
「失敗国家という発言は成熟を示していない」、
「ギニアビサウがたいへんなときに東チモールが支援したことをギニアビサウは知らないのだ」、
「東チモールにはCPLPの特徴にたいし心理的な読み解きをする意思はまだない」、などなど。
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存在感がでてきた東チモール外交
軍事クーデターで成立した政権下にあるミャンマーとギニアビサウからの東チモールへの反発は、奇しくも2月半ばという同時期に起こりました。反発を喰らうのは国際社会における東チモールの存在感がそれなりにでてきた証です。その存在感にたいする受け止め方は立場によって様々あることでしょう。軍事政権にとって、人権だの民主主義だの注文をつけるアジアの小国・東チモールはこざかしい存在かもしれません。
東チモールの内情をみると必ずしもシャナナ首相率いる政府に肩をもつ気にはなれませんが、ミャンマーとギニアビサウの庶民のことを想うと、わたしは民主主義と人権を原則とする東チモール外交を応援したくなります。シャナナ首相とラモス=オルタ大統領は今の任期をまっとうしたあと、国内政治は次世代に任せて、もっぱら国際社会を舞台にする平和使者として活躍するというのはいかかでしょうか。悪い相談ではないとおもいますが。
第552号(2026年2月25日)
〈出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net//
[Opinion14699:260225]






