青山森人の東チモールだより…ポルトガル語が引き起こした国会“乱闘”

非常事態宣言の解除

東チモールの新型コロナウィルス対策は、死者がゼロ、現在の感染患者もゼロ、という数字からだけでも胸を張れる成果を出したといっても過言ではないでしょう。三回目の非常事態宣言は6月26日から27日に日付がかわると同時に解除され、三度目の延長はありません。これに伴い、非常事態宣言下で新型コロナウィルスに関する国内状況を広報してきた「危機管理統合センター」が6月30日に解散となりました。非常事態宣言が解除され、「危機管理統合センター」が解散しても、政府は引き続き新型コロナウィルスを警戒していきます。

最近の数字は以下の通りです。

—日付——-①——-② ——-③ ——④ ——-⑤—–

6月27日–2357人—147人—24人—2186人—28人

6月28日–2424人—-94人—24人—2306人—28人

6月29日–2427人—-49人—24人—2354人—28人

6月30日–2427人—-24人—24人—2379人—28人

7月 1日–2504人—-52人—24人—2428人—28人

7月 2日–2605人—131人—24人—2450人—28人

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①検査を受けた人、②検査結果待ちの人、③結果が陽性だった人、

④結果が陰性、⑤回復した人

(保健省の資料より、②以外は3月6日からの累計)

(*) 24人が陽性確認から、4人が感染可能性から、それぞれ回復。

過去二度にわたる非常事態宣言分として、月収500ドル(東チモールの通貨は米ドル)未満の世帯への200ドルの生活支援金の給付は、6月9日から開始され15日間たった6月24日の時点で、27万3147世帯に受給されました。しかし受給者リストに載っていないために受給されていない世帯が1万1289世帯あると報じられています(『インデペンデンテ』2020年6月26日)。そうかと思えば、二重に支給された世帯も出ている模様でこの事業が簡単でないことが連日のようにニュースになっています。

6月9日から開始された給付は飛び地・RAEOA(オイクシ/アンベノ特別行政地域、旧名・オイクシ地方自治体)は含まれていませんでしたが、7月4日からRAEOAにも給付されると報じられています。政府はこれまでの経験をふまえてRAEOAの住民にはつつがなく支援金を届けてほしいと思います

フレテリンにもどったRAEOA議長の席

RAEOAといえば最近、議長が交代しました。RAEOA議長は同地方に展開されるZEESM(社会市場経済特区)の最高責任者でもあります。まず去年2019年11月に交代がありました。タウル=マタン=ルアク首相はRAEOA議長をフレテリン(FRETILIN、東チモール独立革命戦線)のマリ=アルカテリ書記長からジョゼ=ルイス=グテレス氏へと替えたのです。これは2018年に実施された「前倒し選挙」の選挙キャンペーンにおいてCNRT(東チモール再建国民会議)とPLP(大衆解放党)そしてKHUNTO(チモール国民統一強化)で構成されたAMP(進歩改革連盟)がマリ=アルカテリRAEOA議長をオイクシから追い出すと喧伝したことに伴う交代でした。ところが今年になってAMP から追い出されたかたちとなったPLPがこの3月、新AMP(国会多数派連盟)に対抗するためフレテリンと少数派連立を組み、4月下旬うまい具合にKHUNTOがこれに加勢したことでPLP党首であるタウル=マタン=ルアク首相は引き続き政府を率いることができたので、タウル首相は2018年の「前倒し選挙」キャンペーンでの公約をある意味で破ってRAEOA議長の席をフレテリンの手に戻したのです。

当時、国連大使や米国東チモール大使を務めたフレテリン幹部のジョゼ=ルイス=グテレス氏は2006年、党のマリ=アルカテリ体制に反旗を翻し(拙著『東チモール 未完の肖像』[社会評論社、2010年]を参照)、結果、離党し現在の小政党「改革戦線」をつくった人物であることから、いま政権に就いたフレテリンにとってジョゼ=ルイス=グテレス氏がそのままRAEOA議長の席に座り続けるのは黙認できないようです。また、PLPとフレテリンが連立を組んだ先の3月の時点で、RAEOA議長の席についてなんらかの合意をしたと推測するのが自然でしょう。

そして6月12日、フレテリンのアルセニオ=バノ氏がRAEOAの議長に就任しました。RAEOA議長の任期は5年ですが、“政変”のとばっちりをうけてジョゼ=ルイス=グテレス氏はわずか約7か月で任を解かれたことになります。なおアルセニオ=バノ氏は、マリ=アルカテリRAEOA議長が少数連立政権で首相を務めた間(2017~2018年)、マリ=アルカテリ首相の代理としてRAEOA暫定議長を務めた人物です。7月4日から始まる生活支援金の給付作業を円滑に進めさせることが新議長としての本格的な初仕事になります。

二人の国会議員が小突き合う

5月18日、新たな連立与党勢力になったフレテリン・PLP・KHUNTOは当時のアラン=ノエ国会議長の解任を強行採決しようとしたところ、不本意ながら新たな野党となったCNRTはそうはさせじと身体を張ってこれを阻止しようとし、国会は実力行使の場と化し、5月19日、とうとう両者は物理的に衝突してしまいました(東チモールだより 第418号)。今も、ニュース映像を見るとこのときの肉弾戦によって壊れた国会議長の机はその無残な姿をテープで囲まれ世間の目に晒されています。この強行採決にたいしCNRTは国会出席を拒み、強行採決の違憲性について諮るよう控訴裁判所に申し入れをしました。しかしこの申し入れは却下されCNRTが野党として国会に戻ったため、国会は新しい国会議長のもと正常化しました。

5月19日の乱闘は東チモール国会史上初の出来事で衝撃的であり、国会議員のみっともない姿を世にさらした負の記憶として遺ることであり、国会議員はさぞ深く反省しているに違いないとわたしは勝手に思っていましたが、どうやら間違っていたようです。6月17日、再び国会議員が物理的な衝突をしました。といっても二人の女性議員による小突き合いですが。

6月17日、政府による「石油基金」からの特別予算引き出し要求にかんして国会公聴会が、関係する国会内部の分科委員会が参加して行われました。このなかで野党CNRTのマリア=フェルナンダ=ライ議員がポルトガル語で発言したところ、与党KHUNTOのオリンダ=グテレス議員がポルトガル語でなくみんなが理解できるようにテトゥン語を使うべきだと憤慨し、これにたいしてマリア=フェルナンダ=ライ議員は憲法でポルトガル語も公用語と定められている、国会でポルトガル語を使うのは間違っていないと言い返しました。両者の応酬のなかでオリンダ=グテレス議員がフェルナンダ=ライ議員を「中国の海賊」と呼ぶとフェルナンダ=ライ議員は「カッとなり」(『テンポチモール』[2020年6月18日]の表現)座っているオリンダ=グテレス議員に歩いて迫り、かくして二人の小突き合いが始まったといわけです。小突き合いといってもかなりの迫力です。しかし今回は他の議員たちが割って入って二人は直ぐに引き離され、5月19日のような物品が壊されるようなプロレスまがいの大乱闘にはなりませんでした。

ポルトガル語がもたらす現実

CNRTは記者会見を開き、「中国の海賊」という差別表現をマリア=フェルナンダ=ライ議員にたいして用いたことにかんしてオリンダ=グテレス議員に謝罪を要求しました。マリア=フェルナンダ=ライ議員は、ポルトガル語がわからないならポルトガル語で国会審議をしっかりできるようにポルトガル語の授業を受けて勉強すべきだとも主張します。

これにたいし記者たちのマイクを前にしたオリンダ=グテレス議員は差別表現について、差別するつもりはない、感情的な表現だと言い訳にならない言い訳をします。国会でのポルトガル語の使用について、テレビで放映されている国会中継でフェルナンダ=ライ議員は、金額はいくらで、何にいくら使ったのか、いくら不足しているのかという質問を国民が理解できるようにテトゥン語でするべきだと主張します。ポルトガル語の授業を受けて勉強すべきだという主張について、69歳のわたしにポルトガル語を勉強しろというのですか、これには怒りますよと拒否し、謝罪を要求されていることにたいしては、わたしは謝りません、向こうが謝るのなら受け入れますけど、とオリンダ=グテレス議員は一歩もひきません(2020年6月17・18日のRTTLのニュースより)。

後日、中国系東チモール人でつくられる団体も記者会見を開き、「中国の海賊」という表現は人種差別的で中国系東チモール人を傷つけるものであり、このような表現が国会で使われたことにたいし国会議長に調査を求め、オリンダ=グテレス議員を非難しました。

6月17日に起こった二人の国会議員による小突き合いは、直接の引き金になったのは差別表現が使われたことであり、原因となったのはポルトガル語が使われたことでした。差別発言は憂慮すべき問題であることは論をまちません。これに加えてわたしは、ポルトガル語の使用を巡って喧嘩が始まったことも相当に重視すべきだと考えます。二人の女性議員はポルトガル語が公用語であるがために生じる東チモール社会の分断という弊害を国会の場においてまさに身を挺して示したのです。願わくば、言語問題を国会でまっとうに議論してほしいものです。

かつて東チモールを植民地支配した国のヨーロッパ言語(ポルトガル語)と、民族解放闘争を通して最大の共通語となった地方語(テトゥン語)、これら二語が公用語となっている東チモールにおいて、公用語が理解できる人とそうでない人のあいだに分断といえる現象が生じている現実を、国の指導者・政治家たちはもっと直視した方がよいと思います。このままだと分断がますます広まってしまいます。

深刻なのは初等教育の段階でポルトガル語による授業についていける子とそうでない子に分かれてしまっている状態が長く続いていることです。このような教育格差のなかで子どもたちが成長して社会を形成していることを考えれば、東チモールはポルトガル語による分断を内面に抱えている国といえます。その弊害が6月17日に国会で露呈したのだと指導者たちは受け止めるべきです。

初等教育で各地方の母語を積極的に導入し学力向上を図る取り組みは、ポルトガル語をアイデンティティーとするエリート層の反発を喰らってしまい後退または停滞してしまいました。エリート層は、子どもたち・若い世代にポルトガル語が浸透しないのは何故か?を柔軟に考えることはできず、初等教育でいきなりポルトガル語が使われることを善しとし、母語が使われることはポルトガル語が軽視されていると感じるようです。

ポルトガル植民地時代、ポルトガル語で教育を受けたごく一部のエリート層から民族解放闘争の指導者が出現し、インドネシアの軍事支配と闘い、民衆を独立と自由に導いたのは歴史的事実です。しかしこのエリート層が独立後、エリート感覚で民衆を統治しようとしているのもまた事実です。従来のエリート層の枠外から登場した勢力であるKHUNTO(武闘集団を起源としている)の国会議員がポルトガル語の使用に怒ることは東チモールの社会状況を象徴していると、大袈裟もしれませんが、いえるのではないでしょうか。

1970年代から民族解放闘争を担ってきたフレテリンが現政府の要職に多数ついた今、頑な形でのポルトガル語教育を推進していく可能性があります。ポルトガル語を拒む若い世代とエリート層の分断、そして教育格差の拡大が心配されます。

 

青山森人の東チモールだより  第421号(2020年07日04日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion9913:20200707〕