CNRT、来年の選挙に向けて決起集会
シャナナ=グズマン率いる最大野党CNRT(東チモール再建国民会議)は、6月18日、来年2023年の議会(東チモールは一院制)選挙に向けて団結するための決起集会を開きました。来年の選挙で勝利し、シャナナ党首に首相になってもらいましょう、というわけです。日本ならば「ガンバロー!」の掛け声がかかるところでしょうか。
CNRTが来年の選挙に向けて公に決起集会を開いたということは、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領が公約に掲げた国会解散はなくなったことをCNRTが公に認めたことを意味します。
『インデペンデンテ』(2022年6月20日)はCNRTのこの集会について伝える記事のなかで「シャナナCNRT党首はラモス=オルタ大統領に国会解散という政治的約束を果たすことを押し付けはしない」と報じました。
以下、ラモス=オルタが大統領に就任してから国会解散がなくなるまでの出来事を簡単にまとめてみます。
補正予算の違憲性を控訴裁判所に諮る構えを示すが……
ジョゼ=ラモス=オルタは、大統領になったら国会を解散するというCNRTとの合意文書に調印して国会解散を看板とするCNRT公認の大統領候補として大統領選に臨み、ルオロ現職大統領と決選投票の末、勝利し、独立回復20周年記念日である「5月20日」、新大統領に就任しました。
決選投票の前から、国会解散より話し合いが望ましいとラモス=オルタが発言しだす一方で、水面下ではシャナナによる連立政権切り崩し工作が行われていました。タウル=マタン=ルアク首相が率いる政権与党PLP(大衆解放党)から数人の幹部・要人がCNRTに鞍替えしました。しかしタウル=マタン=ルアク首相による連立政権の〝結束工作〟によって連立政権切り崩しは阻止されました。
切り崩し工作が失敗したとなるとあとは国会解散が残されました。少なくとも5月末ごろまでCNRTは政権との対立軸を模索していたのかもしれません。5月27日、ラモス=オルタ大統領は「5月20日」直前にルオロ前大統領によて発布された補正予算案の違憲性につい控訴裁判所に諮るかどうかをこれからCNRTと相談すると述べたからです(『インデペンデンテ』、2022年5月30日)。総額10億ドル強というこの大型補正予算については市民団体「共に歩む」も猛反発しており、政府との対立姿勢を示す材料になり得ないこともないでしょうが、すでに発布された予算案とはいえ国会を解散する理由として物足りないとわたしは感じました。案の定、補正予算案はその後も控訴裁判所に送られていません(もう一つの「5月20日」前の駆け込み法案である大統領責任法[大統領の権限を規制する法案]は控訴裁判所に送られ、違憲と判断されているが、これはまだ発布されていない法案である)。
波風が立たなかった大統領の失言
6月7日の国会で、最大与党フレテリン(東チモール独立革命戦線)のビアンコ議員はラモス=オルタ大統領による失言をとりあげました。ビアンコ議員によると、5月24日、カタールを拠点におく国際的な報道機関「アルジャジーラ」がラモス=オルタ大統領に「あなたが大統領に就任する数日前にルオロ前大統領が大統領の権限を規制する法案を支援しましたね。あなたの大統領就任直前に前大統領はこの法案を後押ししたのは何故だと思いますか?」と質問したところ、大統領は――この法案について人びとは理解していない。これは完全に違憲である。国会に議席をもつ政党のいち集団が大統領の権限を規制することはできないのだ。憲法に明記されていることだ。かれらは馬鹿だ。連立政権は虚弱であり、それはロバと猿と雌鶏が一緒になったようなものだ――と答えたというのです(『東チモールの声』『インデペンデンテ』、2022年6月8日)。
ビアンコ議員の指摘したとおりの受け答えがあったとすれば、まず「アルジャジーラ」の質問がそもそも滅茶苦茶であることを指摘しなければなりません。大統領には法案を後押しする権限はなく、それをするのはあくまでも国会であり、法案が国会を通過すれば、それを大統領が公布するか拒否権を行使するかを判断をするという準大統領制の仕組みになっており、しかもこの法案に関してはルオロ前大統領は発布も拒否もせず判断をラモス=オルタ次期大統領に委ねているのです。
事実に沿ってラモス=オルタ大統領は質問者にこのことを説明すべきです。ラモス=オルタ大統領がそうしたうえで応えたのかどうか報道からはわかりませんが、応えもまた質問に匹敵するくらいに無茶苦茶でした。「かれらは馬鹿だ。連立政権は虚弱であり、それはロバと猿と雌鶏が一緒になったようなものだ」とはうっかり口が滑った類の失言ではありません。普通ならばその国の政界に相当な騒動を引き起こす失言になるのではないでしょうか。
しかし与党フレテリンのビアンコ議員が大統領を責めませんでした。このような発言は「ノーベル平和賞」受賞者や国家首脳としての発言とは思えない、まるでCNRTの報道官としての発言だ、と嘆きました。そしてラモス大統領に謝罪を求めることはせず、求めたのは立場にふさわしい言葉遣いと態度をとることでした(『東チモールの声』『インデペンデンテ』、同日より)。
これにたいしラモス=オルタ大統領は、インタビューの一部だけが強調されているとか、自分の真意を反映しない報道のされ方がされたとか、日本の政治家が失言を報じられたときによくする見苦しい言い訳は一切せずに、潔く与党議員たちに謝罪をしたのです。
大統領による与党議員を侮辱する発言がバレたにもかかわらず大統領と政府が険悪な雰囲気にならなかったということは、この時点ですでに国会解散の実行が遠のいていた状態だったと察っすることができます。
政府首脳と国家首脳の定例会談で
6月9日、タウル=マタン=ルアク首相はラモス=オルタ大統領との初の定例会談をしました。この会談の場で、ラモス=オルタ大統領はタウル=マタン=ルアク首相に国会解散をしないことを伝えたようです。翌日6月10日の新聞には二人の写真が表紙に載りました。
『ディアリオ』(2022年6月10日)は大統領府の階段を上がる二人の写真の説明文に、「タウル=マタン=ルアク首相、大統領府の(大統領との会談後の)記者会見で、ジョセ=ラモス=オルタ大統領が第八次立憲政府を任期満了まで支えると判断したことをとてもうれしく思うと語る」と記しました。
『インデペンデンテ』(同日)は、首相と大統領が合掌し、まるで拝み合っているような面白い写真を載せました。
『インデペンデンテ』(2022年6月10日)の記事。
「政府首脳が喜ぶ、オルタ大統領が国会を解散しない」(見出し)。
「タウル=マタン=ルアク首相は、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領が国会を解散するという約束を果たさないことに満足する」(第一段落目)。
国会を解散しない理由
ラモス=オルタ大統領からの発言だけでなく、冒頭で紹介した通り、ラモス=オルタ大統領の後ろ楯であるCNRTも公式に国会解散をしないことを認めたことで、国会解散は完全になくなったといってよいでしょう。
国会解散がなくなったことは一方では喜ばしいことではあるものの、他方では国会解散を期待してラモス=オルタに投票した有権者にとっては嘆かわしくも公約をないがしろにされたことになります。
『東チモールの声』(2022年6月22日)に、「先の大統領選でのラモス=オルタとCNRTとの約束を国民は覚えている。したがって大統領は国会を解散しない理由を国民に説明しなければならない」という知識人の意見を載せました。
これに呼応するかのように6月23日、ラモス=オルタ大統領は首都郊外にあるハイネケンの工場を見学した際、同行記者団に国会を解散しない理由をこう述べました。「指導者シャナナとCNRTとわたしは最優先事項は何かと考えた。われわれの生活はいま大きな危機のなかにある。社会の危機であり、経済の危機だ。(国会の任期満了にともなう)選挙まであと9ヶ月だ。われわれは頭を冷やして考えた。各政党が来年の選挙に向けて準備するのがよい」(『東チモールの声』、2022年6月24日)。
もっともらしい説明のように聞こえますが、理由になっていません。国会の任期満了にともなう選挙が来年の(日本でいう)春ごろにあることは誰でも知っていることであり、大雨の被害と新型コロナウィルスによる社会危機・経済危機に見舞われていることは否が応でも周知されていることです。それなのにラモス=オルタとCNRTは国会を解散すると主張したのです。本当の理由とはわたしが推測するに、シャナナCNRT党首による連立政権の切り崩し工作がタウル首相による連立政権の〝結束工作〟に阻まれたことです。ラモス=オルタが大統領に就任した暁には新たな連立勢力の形成によってシャナナは権力を奪取しようとしたのであり、ラモス=オルタ大統領に国会解散をしてもらおうとは初めから本気で考えていなかったのではないでしょうか。
『東チモールの声』(2022年6月24日)の記事。
「オルタ:経済危機、国会を解散できない」(見出し)。
両英雄、国外へ
話はガラリと変わります。6月15日、タウル=マタン=ルアク首相は体調不良のためシンガポールに渡航しました。2ヶ月前の4月、大統領選の決選投票の前ですが、イザベル夫人が渡航してまだ帰国していません。タウル首相はイザベル夫人に会うためにシンガポールへ飛んだのかなあと思いましたが、本当に健康上の理由のようです。回復して帰ってくることを祈ります。帰国は7月初旬の予定です。
もう一人の解放闘争の英雄・シャナナ=グズマンは6月17日、ヨーロッパへ発ちました。ブリュッセル・ロンドン・リスボンで開かれる国際会議にラモス=オルタ大統領の特別代行として参加するためです。こちらも帰国は7月になる予定です。なおシャナナは6月20日で76歳になりました。タウル=マタン=ルアクは今年の10月10日で66歳となり、60代の後半に突入します。
大統領選挙をめぐって解放闘争の両英雄は水面下で〝激闘〟しました。二人とも政治的駆け引きはお手のものでしょうが、首都の町を歩けばわんさかと目に映る子どもたち・若者たちのことを最優先事項として、その能力を政治家としてではなく解放闘争の指導者として発揮することを切に願うばかりです。
青山森人の東チモールだより 第465号(2022年06月30日)より
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12162:220702〕