青山森人の東チモールだより…大統領就任と国会解散の狭間に横たわる矛盾

微少人数に抑えている感染者数

大統領選挙期間中は人の群れがつくられやすい環境にあるので、選挙後に新型コロナウィルスの感染者が多数出るのではないかとわたしは心配していましたが、4月に入って28日までのあいだ一日の新規感染者数が0人であった日数が15日間もあり、最高でも6人という微少人数に抑えられています。

4月になってからの新型コロナウィルスの一日の新規感染者を見てみます。

【2022年4月】

1日=1,   2日=0,   3日=0,   4日=0,   5日=4,

6日=0,  7日=6,   8日=0,  9日=0,   10日=0,

11日=0,   12日=2,   13日=4,   14日=2,   15日=2,

16日=0,  17日=0,  18日=0,  19日=0,  20日=1,

21日=0,  22日=0,  23日=0,  24日=0,  25日=0,

26日=1,  27日=1,  28日=1.

4月28日の時点で累計感染者数は2万2863名、死者は3月17日以降出ておらず、累計死者数は130名のままです。

東チモールの2000年1月から2022年4月24日までの感染状況。

 

4・25 忘れまじ

今年も4月25日を迎えました。4月25日とは、東チモールの宗主国であったポルトガルで独裁政権を倒す軍事クーデターが勃発した1974年4月25日のことです。国民がカーネーションを兵士の銃口にさしてこれを大歓迎したことから、このクーデターは「カーネーション革命」と呼ばれました。これによりポルトガルはおよそ半世紀近くも続いた独裁政権から民主化の道を歩み出すことができるようになり、ポルトガル領アフリカ植民地は独立交渉に道が拓かれ、そしてアジアのポルトガル領東チモールでは政治活動が可能になりさまざまな政党が創設されたのでした。

ポルトガル領アフリカ植民地と同じように東チモールも非植民地化の道を歩むかにみえましたが、東チモールのすぐ隣にはアメリカの支援を受ける独裁者スハルト大統領のインドネシアがありました。1975年11月、フレテリン(東チモール独立革命戦線)は独立宣言をしましたが、翌12月、インドネシア軍が全面侵略、東チモール人は気の遠くなるような忍耐力でインドネシア軍に抵抗し続け、宗主国ポルトガルと国連は東チモールの施政国はポルトガルであるという姿勢を貫き、

戦争でつかない決着をつけるべく、1999年8月に住民投票が実現、その結果、24年間インドネシアによって独立の妨害をされた東チモール人は自由を勝ち獲りました。そして国連による暫定統治を経て、2002年5月20日、普く国際社会の承認を得る形で改めて独立をしたのです。これが、「カーネーション革命」から東チモールが独立(独立回復)するまでの概略史です。

このように「カーネーション革命」から東チモール史をちょっと辿っただけでも、東チモールは紛れもなくポルトガルから独立したのであって、「インドネシアから独立した東ティモール……」という類の表現はとても頭に思い浮かべることはできないとわたしは思うのですが、このたびの東チモール大統領選挙を報じる日本のマスコミは相も変わらずこの表現を使っていました。日本の記者さんたちは、1974年にヨーロッパで起こったこの軍事クーデターをしっかり捉えたうえでこの表現を使っているのでしょうか?大きな疑問を抱きます。

政府庁舎すぐ横にあるポルトガル大使館の塀に、ポルトガルの詩人・ソフィア=デ=メロ=ブレイナー=アンドレセン(1919~2004年)の4行詩「4月25日」が刷られた横断幕が掲げられた。赤いカーネーションは「カーネーション革命」のシンボル。

2022年4月24日、ⒸAoyama Morito.

 

4月25日

これはわたしが待ち望んでいた夜明け

完全で清らかな日の始まり

わたしたちは夜と沈黙から立ち現れ

そして自由、わたしたちは実体のある時のなかで暮らすのだ

 

ラモス=ホルタ、正式に次期大統領となる

4月19日に投票日となった大統領選挙・決選投票の結果が選挙管理委員会から控訴裁判所へ提出され、4月29日、控訴裁判所は正式にジョゼ=ラモス=オルタ候補の当選を発表しました。

ラモス=オルタの獲得票数は39万8028、得票率は62.1%、ルオルの獲得票数は24万2939、得票率は37.9%です。

登録有権者数は85万9925人(一回目は85万9613人、増えたのは一回目と二回目の投票のあいだに17歳となった新人有権者の分)、投票者数は64万6389人、有効票数は64万0967、となっています。投票率は約75.3%、一回目の約77.3%より2ポイント下りました。

シャナナ、困ったか?

ラモス=ホルタは次期大統領としてシャナナ=グズマン率いる野党CNRT(東チモール再建国民会議)との約束を果たすべく、シャナナが権力を奪取するために新連立勢力を新政権として承認するか、はたまた国会解散をしなけばればなりません。

ラモス=ホルタ次期大統領は現在、連立政権を構成する与党三党の指導者たちと対話をしようとしています。これより前に与党フレテリンの最高実力者であるマリ=アルカテリ書記長がシャナナ=グズマンに対話を求める書簡を送りました。これにたいしシャナナは、自分一人ではなんとも判断できない……とグズグズした態度を示した挙句、対話を拒否しました。そしてラモス=ホルタは当然ながらシャナナの肩を持ち、「対話を押し付けてならない」と述べたのです。そのラモス=ホルタが与党三党の指導者たちと対話をしようと呼びかけてもなんの説得力もあるはずがなく、与党三党は来年2023年の任期満了を迎えるまで連立を堅持する姿勢を見せています。

この件にかんする指導者たちのいう「対話」という用語には、自分たちの有利な局面に事態を持っていくためのまがいものの対話として、もはや髭カッコが必要となったようです。

ラモス=オルタによる〝対話〟の求めに与党三党が応じる応じないにかかわらず、もしシャナナ・ラモス=オルタが連立政権を切り崩すことができなかったら、シャナナ・ラモス=オルタは国会解散をするしかありません。

しかしここで厄介な問題が浮上してきました。来る5月20日、「独立回復」20周年記念式典でラモス=ホルタが大統領として宣誓就任をするのですが、このとき大統領の地位を与える叙任の役目は国会議長が担うことになっているのです。現在の国会議長はフレテリンのアニセト=グテレスが就いています。2年前の5月、現在の三党連立勢力が当時のCNRTの国会議長を国会での投票で追い出そうとすることにたいしてCNRTは実力行使でこれに抵抗し、国会議員たちによる国会乱闘(東チモールだより 第418号を参照)となりながら誕生した国会議長です。

ラモス=ホルタが大統領の地位をアニセト=グテレス国会議長から授けられたとなると、それはラモス=ホルタがアニセト=グテレス国会議長の合法性を認めたことになり、延いては現政権の合法性を認めたことになります。ということはラモス=ホルタ大統領は現政権の違法性を理由にして国会を解散できない理屈になるわけです。そして報道によるとラモス=ホルタ次期大統領はアニセト=グテレス国会議長からの叙任を受け入れると述べているのです。どうやらシャナナは国会解散に打って出る場合、違法性以外の何か別の理由を見つけなればならなくなったようです。

さらにまた、教会は政治危機を起こさないようにとラモス=オルタ次期大統領に注文をつけており、ラモス=オルタはCNRTとの約束よりも教会との関係を重要視するかもしれません。ラモス=オルタにしてみれば世間一般に慕われる大統領になればそれでよいのですから。さあ、困った! シャナナは連立政権切り崩し工作に躍起になっているかもしれません

 

青山森人の東チモールだより  459号(20220429日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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