青山森人の東チモールだより…大統領選挙から議会選挙へ

青山森人の東チモールだより  第345号(2017年4月28日)

大統領選挙から議会選挙へ

東チモールの政党政治に花が咲くか

3月におこなわれた今回の大統領選挙は大連立政権の勢力を反映するかのように、フレテリン(東チモール独立革命戦線)のル=オロ党首が1回目の投票で過半数(得票率57.1%)に達して決着がつき、来月5月20日(独立記念日、正確には「独立回復」記念日)、新しい大統領に就任することになりました。

わたしがこの大統領選で注目したのは新党PLP(大衆解放党)でした。30以上の政党が7月の議会選挙に挑もうとしていますが、新党の中で最も注目を集めているのがPLPです。シャナナ=グズマン計画投資相(以下、投資相)率いる連立政権に明確に異を唱えるタウル=マタン=ルアク大統領が5月20日で任期を終えてから議会選挙のために率いるであろうこのPLPは、東チモールに本格手な政党政治の道を拓くかもしれないという期待感をわたしは抱いています。東チモールの歴史をざっとおさらいしておきましょう。

1974年4月25日、宗主国ポルトガルに「カーネーション革命」が起こると、植民地・東チモールでも公に政治運動ができるようになり、さまざまな政党が現れました。独立を目指すフレテリンが大衆的な政党となりましたが、1975年、政党間の争いが内戦に発展し、インドネシア軍の侵略に扉を開いてしまいました。この苦い経験により東チモールの人びとは、政党政治とは紛争が結びつくものであるという感受性を抱くようになったのです。

インドネシア軍事支配からの解放を目指すべく東チモール人全体を抵抗運動に参加させるため、フレテリン執行部であったシャナナ=グズマンはフレテリンを抜け、政党政治を乗り越えた解放組織を創る必要がありました。その解放組織が、フレテリンをはじめとする諸政党を包み込んだCNRM(マウベレ民族抵抗評議会)、のちのCNRT(チモール民族抵抗評議会)でした。CNRTは東チモールを国連による住民投票を通して独立へと導き、使命を終えたとして国連暫定統治時代に解散しました。

CNRM/CNRTの議長は東チモール民族解放軍のシャナナ=グズマン総司令官でした。東チモールの解放運動が独立運動の先駆者であるフレテリンに指導されたのではなくCNRM/CNRTに指導されたという歴史が、フレテリンを離党した指導者たち(例えば、シャナナ=グズマンや、ノーベル平和賞受賞者のジョゼ=ラモス=オルタ)とフレテリンとの微妙な関係を生み、その関係は現在に至るまで東チモールの政治状況に影響を及ぼしているのです。

独立後、政権に就いたフレテリンは解放闘争を主導できなかったうっぷんを晴らすかのように我が道を行き、東チモールに亀裂をつくってしまい、とうとう2006年、「東チモール危機」が勃発してしまいました(詳しくは拙著『東チモール 未完の肖像』[社会評論社、2010年]を参照)。

「危機」で混乱に陥った東チモール人の多くは、東チモールではやはり複数政党制は混乱をもたらすだけ、あるいはまだその時期ではない、と思ったことでしょう。そしてシャナナの国会進出となります。シャナナ大統領(当時)は、フレテリンを政権から下野させるために新政党CNRT(東チモール再建国民会議)を創設し、2007年の議会選挙に臨み、民主党などと連立を組み政権に就きました。CNRTという政党名はいうまでもなくかつての解放組織CNRTの焼き写しを連想させ、その役割も政党政治を超えた政治を目指し政党間の争いを収めるというイメージを抱かせます。シャナナ首相は政党CNRTの党首として連立政権を2007年から率い、与党と野党の役割の重要性を強調してきたものの、2015年2月、解放組織CNRTのようにフレテリンをも含みこんだ大連立政権をつくったのでした。それはまるでシャナナ自身が背負う歴史の必然であるかのようにみえます。

反/非フレテリン政党としてシャナナ連立政権に入っていた民主党は、フレテリンが首相を含む主要閣僚の座に座るこの大連立のなかで居心地が悪くなり、タウル=マタン=ルアク大統領に接近し連立政権から離れることになりました。しかしそれでも教育大臣はそのまま民主党のアントニオ=ダ=コンセイサン氏のままでいるというのは、はたから見ると妙なものですが、まさにCNRTらしいともいえます。

しかし解放闘争時代のシャナナの歴史的な役割が独立後10年以上も経過してもまだ再現されているとなると、複数政党制の否定につながりかねません。解放組織CNRM/CNRTの役割はすでに終わったのです。インドネシア軍事占領時代、1997年2月、わたしがようやく念願のFALINTIL(東チモール民族解放軍)のニノ=コニス=サンタナ司令官(故人)と会えてインタビューをすることができたとき、コニス=サンタナ司令官はこういいました――「戦争が終わったら、CNRMはFALINTILのゲリラ兵士の亡骸とともに埋葬されることになる。CNRMが埋葬された野原のうえに複数の政党が花を咲かせ、祖国を建設するのである。戦争が終わったら、CNRMは政党に政治の場を与えるために消えていくのである」(拙著『東チモール 山の妖精とゲリラ』[社会評論社、1997年]、P186より)。

これまで多数の少数政党が議会選挙に参加はしているものの、今日の野党不在の国会の現状をみれば、CNRM/CNRTが「埋葬された野原のうえに複数の政党が花を咲かせ」ているとは残念ながらいえません。野党不在という状況で、大・中規模開発に歯止めがかからず、汚職が蔓延し、一般庶民の生活改善がなおざりにされるという弊害が生じているのです。「ゲリラ兵士の亡骸」は嘆いているはずです。

この状況が、解放軍の参謀長だったタウル=マタン=ルアク大統領に国会進出を決意させました。1970年代のフレテリン指導者よりもひと回り若い(2016年10月10日で60歳になった)タウル大統領は「大統領が野党だ」と、シャナナ投資相とフレテリンの実力者であるマリ=アルカテリ書記長を政策面で批判し、タウル大統領の新党PLPは民衆の生活改善を目標にし、国会に乗り込もうとしています。

PLPがたとえ政権をとれないとしても国会に議席を確保できれば、これまでシャナナ連立政権が進めてきた開発事業をめぐって是々非々の政策論争が東チモール国会に展開されることでしょう。そうなれば、1970年以来フレテリンと反/非フレテリンが基軸であるだけの政治座標は立体的に飛躍し、東チモールに政党政治の「花」が咲くのではないかと期待できます。

政権側の不安材料

来る議会選挙はタウル=マタン=ルアク大統領の参戦によって、2007年から10年続いたシャナナ連立政権にたいして有権者の審判が下されるという意味あいの選挙となります。

5年前の総選挙で割り振られた現国会の各党の勢力は、議員総数65名のうち、CNRTが30議席、フレテリンが25議席、民主党が8議席、改革戦線が2議席となっています。このなかでフレテリンを除く三党が与党連合となり、第5次立憲政府として第二期シャナナ連立政権は出発し、途中(2015年2月)からフレテリンがCNRTから権力を分け与えてもらって発足したのが今日の第6次立憲政府です。

再三再四述べていますが、反/非フレテリン勢力としてシャナナ=グズマン首相と組んできた民主党はこの大連立政権内では居心地が悪くなり、タウル=マタン=ルアク大統領と接近し、今回の大統領選ではPLPが民主党候補を推薦するという構造ができました。居心地の悪さといえば、改革戦線も同様でしょう。2006年、マリ=アルカテリ書記長に反旗を翻してフレテリン党大会において党首に立候補しようとしたジョゼ=ルイス=グテレス氏が離党して新党をつくり、シャナナ=グズマンと組んで連立政権を支えてきたのに、そのシャナナがこともあろうにマリ=アルカテリ書記長と蜜月の仲良しになってしまったのですから、民主党よりもバツが悪い想いをしているかもしれません。

民主党と改革戦線の議席数を勘定にいれなくても、CNRTとフレテリンが連立を組めば55席にもなり、圧倒的な議席数を占めてしまいます。CNRTのシャナナ党首とフレテリンのマリ=アルカテリ書記長の蜜月関係を考えれば、この二大政党の連立勢力は大統領選に続いて議会選挙でも優位にはたらき、現政権は安泰のように思えます。

しかし不安材料がないわけではありません。まず、フレテリン書記長のマリ=アルカテリ前首相です。フレテリンのル=オロ党首は大統領に就任する5月20日にフレテリン党首を辞め、党首にはマリ=アルカテリが就任すると報道されています。もしそうなれば、マリ=アルカテリ前首相はフレテリン党首として何かと公の場で発言する機会が増えるはずです。アルカテリ前首相は飛び地・オイクシ経済特区の大規模開発の最高責任者でもあるので、開発批判にたいする対応も適切にこなさなければなりません。しかしアルカテリ前首相には批判者をバカにして挑発する悪い癖があります。この癖を直さず相変わらずの言い方を続ければ、世論の反発を呼び、それはフレテリンだけにとどまらず、フレテリンと仲良くするCNRTに飛び火してしまうかもしれません。政権関係者はマリ=ルカテリ前首相には発言を慎重にして欲しいと願っていることでしょう。

なお、政党の党首が大統領職に就くことを禁止する法律は東チモールには存在しませんが、全東チモール人を代表して儀礼的な国事を主催する大統領としては、政党政治にたいする東チモール人の感受性を考慮し、政党にとらわれていないイメージを示した方が良いとル=オロ次期大統領が判断したのは賢明といえます。これまではマリ=アルカテリ書記長によって自由な発言を束縛されてきたようにみえてきたル=オロ党首ですが、大統領として自由闊達に発言できるのはル=オロ個人にとってもめでたいことだとわたしには思われます。

さて、シャナナ=グズマン投資相も政権側の不安材料かもしれません。最近シャナナ投資相はCNRTが33議席を獲得できなかったら野党になると発言しました。単独過半数を得られなければフレテリンやその他の政党と連立を組まないと本気で考えているのか、それともそのつもりで選挙を闘えと党員にハッパをかけたのかは定かではありませんが、もし本当に33議席を獲れなかった場合、いったいどうなることでしょう。

シャナナ投資相にかんわたしが一番不安感を覚えるのは、タウル=マタン=ルアク大統領を前にしたときです。シャナナ=グズマンという人物はなぜかしら、タウル=マタン=ルアクという人物にたいして子どもじみた行動に出るからです。前例は数々あります。例えば、2006年3月、「危機」勃発の前の月、シャナナ大統領(当時)が、国防軍兵士591名が国軍内部に差別問題があると訴えている問題にかんする声明文を発表したとき、そのなかでタウル=マタン=ルアク国防軍司令官(当時)を子どもじみた論法で批判しました(拙著『東チモール 未完の肖像』、153ページ)。シャナナ大統領のその声明は暴動のある意味で引き金となってしまいました。そして記憶に新しい去年2016年2月、タウル=マタン=ルアク大統領によって国会演説の中でマリ=アルカテリ前首相とともに名指しで批判されると、シャナナ投資相は大統領に勲章を返してしまうというおとなげない行動に出ました。シャナナ=グズマンはタウル=マタン=ルアクの兄貴分なはずなのに、むきになる傾向があるように思えます。

今度の議会選ではタウル=マタン=ルアク大統領がシャナナ連立政権から権力を奪取しようと挑んできます。他の者たちにたいしては寛大な包容力で容易に包み込んでしまうことでしょうが、こと相手がタウル=マタン=ルアクとなるとシャナナ投資相が子どもじみた行動に出かねません。そうなれば安泰に見える政権側が動揺することも考えられます。

挑戦者側の不安材料

政権側に挑戦するタウル=マタン=ルアク陣営つまりPLP側にも不安材料は多々あります。まずタウル=マタン=ルアク大統領が政党政治に身を投じることにたいする支持者たちの感情です。タウル=マタン=ルアク大統領の支持者みんなが、政党政治にたいする感受性を克服し、タウル大統領の政界進出を後押しするかどうか、疑問は残ります。

タウル=マタン=ルアク大統領がPLPに関与しているのは誰でも知っている公然の秘密でした。それでもタウル=マタン=ルアク大統領はずっとその件についてノーコメントの姿勢を崩さず、5月20日に大統領職から解かれたとき正式に発表すると言い続けてきました。ところが5月20日を待たずして3月、「わたしの政党とはPLP」だと前倒しの“カミングアウト”をしました。何故か。実はその「ノーコメント」の期間中、タウル=マタン=ルアク大統領が政党政治に身を投じることに頑として反対する重要な支持者を、大統領は説得にあたっていたのです。ついに説得に成功、その支持者が納得したということで3月の“カミングアウト“となったのです。その支持者への説得は成功しましたが、一般支持者は果たしてどうでしょうか。一般庶民の政党政治にたいする感受性をタウル=マタン=ルアク陣営は克服するに至らしめたでしょうか。これはPLPが票を得られるかそうでないかの重要な要素です。

PLP陣営の不安材料として、4月20日、タウル=マタン=ルアク大統領が生涯年金制度の見直し案を公布してしまったことを挙げなければなりません。大統領は生涯年金制度の見直し案を控訴裁判所へ送り、その違憲性を審議させていましたが、違憲性はないという返事がくると、大統領は公布してしまいました。生涯年金制度の見直し案は公布しない、生涯年金制度は撤廃しないとだめだ、とあれほど明言してきたタウル=マタン=ルアク大統領ですが、公布してしまったのです。わたしは、タウル=マタン=ルアク大統領はなんだかんだと時間稼ぎをして公布を遅らせ、この法案を議会選挙の争点に巻き込むという寝技をかけるものだと思っていましたが、この見込みはみごとに外れてしまいました。大統領に公布しないように要望してきた学生たちはさぞ失望したことでしょう。なぜ公布したのか、生涯年金制度の撤廃を公約に掲げて選挙を戦おうという戦法に変えたのでしょうか。ともあれ大統領のこの言動不一致は議会選挙で不利に働くことでしょう。

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政権側、政権に挑戦する側、双方に不安材料はあります。しかし総合するとやはりシャナナ連立政権の優位性は否めません。30以上の政党が参加する7月の議会選挙では少数政党が1~2議席獲れるか獲れないかのせめぎ合いを演じることでしょう。選挙後の多数派工作が政権を決定する事態になった場合、少数政党の1~2議席が決定的な役割を果たすかもしれません。そうなれば国会は揺れるかもしれません。しかし東チモールの一般庶民はもはや昔のように揺れることはないでしょう。なぜなら独立してから経過したこの15年間で、一般庶民は政治指導者たちよりもはるかに深く現実社会を生き抜き、世界とのつながりをより強く体験してきたからです。

 

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/

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