青山森人の東チモールだより…子どもたちに愛を

屋根の風景

わたしの滞在する二階から近所を眺めると赤茶けたトタン屋根が目に入ります。そして最近の傾向として二階建ての家の建築風景が周辺に見られるようになりました。東チモールでは基本的にブロックを積み重ねて家を建てます。はじめから二階建ての家を建てようとするところもあれば、一階建てだった家に二階を増築する家もあります。

日本では家を建て始めてから一定の期間をへて一軒家を完成させますが、東チモールではそうではありません。お金が無くなると中断するのです。とりあえず今回はここまで、あとはお金がたまったら次に進む、という家の建て方をします。それを繰り返して完成へと至ります。

屋根の風景、その1。東の方向。

写真中央、緑色の屋根の家は完成に近づいてきた。

朝、手前の屋根一面にハトが埋め尽くし、

餌をねだる。

ベコラにて。

2022年7月31日、ⒸAoyama Morito.

家を建てるにはお金がなければできないのは当然ですが、東チモールでは完成のための費用がなくても部分的な完成をまず目指して家を建て始めるのです。たとえ一部屋でも二部屋でも雨風をしのげる空間を得られることは、その家族にとって新たな財産の獲得となります。わたしが今いる二階建ての家ですが、新型コロナウィルス以前は一階のみの家で、二階部分は壁の工事がゆっくりと着手されている段階でした。

そして東チモールにおける家の建築の大きな特徴は、基本的には家族の者たちが建築工事を担うことです。何から何まで家族が手造りで家を建てるわけではありませんが、仕事のないぶらぶらしている若者たちが資材を運び、資材を加工して、セメントを煉って、家の骨格を造っていきます。

さてわたしの居る二階からすぐ近くに見える建築中の2軒の二階建ての家は、オーストラリアに働きに出た者がいる家族のものです。オーストラリアや韓国そしてイギリスやアイルランドに働きに出た若者たちが稼いだ金はその家族の大きな助けとなっています。

屋根の風景、その2。西の方向。

写真中央、木に隠れている建築中の二階建ての家、

この形になってから二ヶ月間ほぼ進展はない。

写真には入っていないが、

近所にはこの他にも建築中の二階建ての家が

たくさんある。

ベコラにて。

2022年7月31日、ⒸAoyama Morito.

底流にあるもの

「東チモールだより 第464号」でも書きましたが、大勢の若者たちが海外に働きに出ること、出なければならないことが東チモールでいま問題となっています。大勢の若者たちが海外に出稼ぎに出るのは、上記で述べたような成功例を身近に聞き及んだ若者たちが俺も私もと海外に働きに出て一旗揚げて家族ために金を稼ごうという動機があるかもしれませんし、とにもかくにもここにいては仕事がないので働くために仕方なく出稼ぎに出なければならないという若者たちもいることでしょう。各個人の動機はそれぞれあることでしょう。

東チモールの大勢の若者たちが海外に出稼ぎに出る社会の底流には、政府が大勢の若者たちにあてがうだけの雇用創出ができないという雇用問題があるのはもちろんですが、もうひとつ、若者たちが自分の未来を見いだせないという、いわば漠然とした心の問題があるようにわたしには思えてなりません。後者の方がより深刻です。

現在、20代の若者の親の世代は主に1990年代に20代の若者であった世代で、否が応でも、インドネシア軍による軍事支配下で過酷な人生を強いられた世代です。生き抜くために、あるいは自由を得るために選択の余地のない青春時代を送った世代がいま、独立を得た東チモール社会のなかで自由はあるがやることがない、仕事がない、という社会不安にさらされる子どもたちの親になっているのです。感受性豊かな年頃を迎えた子どもたちにその親たち・大人たちは、将来に向けて適切な選択肢を示すことができないのです。

漠然とした不安あるいは閉塞から抜け出そうと、「えいやっ!」と海外に出てしまおうとする若者たちは悪徳旅行代理店の毒牙にかかってしまいます。実際は存在しない仕事を斡旋した悪徳旅行代理店の経営者が警察に捕まっています。ポルトガルに渡った東チモール人の若者たちが仕事に就けないどころか、寝る場所もないという問題が発生しています。これは一例です。

今年5月19日に騙されてドバイに渡った7人の東チモール女性は二ヶ月間、朝の9時から夜の9時まで働かされ収入が僅かばかりという非人道的な扱いを受けていた事件は人身売買として大きく報道されました。彼女たちは東チモール政府によって救出され、インドネシアの東チモール大使館に保護されました。

このようなことがあっても東チモール人は飛行機代さえあれば比較簡単にポルトガルに行けることから、漠然とした不安から抜け出るためにポルトガルへ行ってしまえと考える若者がいて、その親は頭を抱えているのです。

不安的な教師雇用

東チモールの若者たちがさらされるこの社会不安の要因の一つに、教育問題があるようにわたしには思えます。公立の学校が子どもたちにしっかりとした教育を与えているのか?疑問を抱かせる記事が連日のように伝えられています。小中学校そして高校で国が子どもたちにたっぷりと愛情をそそぐことができていれば、仕事にありつけないという雇用状況にあっても、創意工夫をこらしてし、貧しくとも親の世話をしながら明るく楽しく暮らしていける術を編み出すことができるのではないかとわたしは思います。

教育制度にたいする政府対応の不備は、国家予算配分の低さや教師への対応の不備さを見れば歴然です。『チモールポスト』(2022年7月25日)によると、正規の教師数は1万53人、非常勤教師が4902人、ボランティア教師が5588人、です。非常勤教師への給料未払いが長らく問題になっているし、5千人以上いるボランティア教師は無給です。テレビのニュース番組でボランティア教師を数年間している女性がインタビューに応え、ボランティアなので給料をもらったことがないといっていました。このような不安定な雇用状況にある教師に支えられている公立学校で、子どもたちが愛情たっぷりな教育を受けられるわけがなく、学校を離れた子どもたちや若者たちが、あるいは大学生でも、容赦のない社会不安にさらされるのは本当に気の毒です。まずは教師の安定した収入を確保し、それが子どもたちへの豊かな教育につながることを国家最優先事項にしてほしいものです。

将来への道標を与えよ

仕事もなく、やることがない若者たちに未来の道筋を示して、貧しくてもそれなりに幸福な人生を送ってもらうには、東チモールの指導者たちはまずもって何をするべきでしょうか。東チモールの指導者たちが若者たちに誠意をもって対話をすることが第一歩だと思います。

東チモールの指導者たちのなかでもシャナナ=グズマンやタウル=マタン=ルアクなど、山で侵略軍と闘ったゲリラの指導者たちは依然として東チモール人にとって英雄です。そして戦争を知らない子どもたちにとっても、歴史をなんらかのかたちである程度は知っているはずであり、自由と独立のために闘った人びとの物語は漠然であっても知っているはずです。

東チモールの解放闘争の指導者たちが自分たちの歴史を若者たちに丁寧に伝えていくなかで対話を重ねていけば、若者たちはおのずと歩むべき道を見いだせるはずです。東チモールの解放闘争の指導者たちは1999年に始まった国連統治時代から、それまで必要不可欠であった住民との対話をピタリと止めてしまいました。ともに国造りをしようとする住民が指導者たちに突き放されて疎外感に陥ってしまったことがそもそも東チモール社会不安の始まりです。若者たちが将来像を描けないのは、突き放されて疎外感に悩む人びとの苦悩が具現化されたものです。

いまからでも遅くはありません。東チモールの指導者たちは若者たちを突き放していないことを、対話を重ねるなど具体的な行動をとりながら真摯な態度で示してほしいと願います。

 

= = = ちょっとした訂正 = = =

前号の「東チモールだより」で「コラリー弁護士」と表記しましたが、オーストラリアのニュースを耳を澄まして「コラリー」の発音を聴くと「コラエリー」がより近似的な表記かと思い直しました。

 

青山森人の東チモールだより  468号(20220706日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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