青山森人の東チモールだより…心の癒しに歩き出せ

感染を抑えるも、オミクロン株に警戒

1975年11月28日、フレテリン(FRETILIN、東チモール独立革命戦線)が独立宣言をし、12月7日、アメリカの”ゴーサイン”をもらったインドネシアのスハルト大統領は東チモールの全面侵略を開始し、東チモールと侵略軍の本格的な戦争の幕開けとなってしまいました。したがって「11月28日」と「12月7日」は東チモールにとって歴史上重要な日となります。

今日、東チモールはこれら歴史的な日を記念日・追悼日として過ごすと、政治日程として国会では来年度の予算案の審議がおこなわれながら、クリスマスを迎え、年末年始の季節へと時は流れていきます。依然としてコロナ禍のもとにあるとはいえ、11月28日,非常事態宣言は延長されることなく解除されたことから、去年とは違った質のコロナ禍のもとで、クリスマスと年末年始の季節を迎えています。

東チモールにおける新型コロナウィルスの感染状況は、日本と同様に10月以降、下降方向へ劇的に傾きました。10月における一日の新規感染者数の最高値は10月1日に記録した37人で、それから下降の一途をたどり、10月22日の10人を記録したのを最後に、12月21日現在まで、一日の新規感染者数は一桁台またはゼロという好ましい状況にあります。11月1日以降をみると、一日の新規感染者数の最高値は11月9日の5人で、それ以降は0~3人の範囲で推移しています。さらに12月に入ると、0~2人の範囲内での推移となり、しかも大半が0人を記録しています。死者も10月28日に1人出てからは出ておらず、累計死者数は122名のままです。

日本ではオミクロン変異株がじわりじわりと浸透し感染再拡大の兆候を見せています。東チモールも、もしインドネシアで感染拡大すれば、西チモールからの密入国者によってオミクロン株の感染が拡がる可能性は十分にあり、警戒しなければなりません。

[保健省の告知/オミクロンとは?]

保健省のFacebookに載っているオミクロン株にかんする告知より。

「心配されるオミクロン変異株とは何か?

  • COVID-19から派生して変異したのがオミクロンである。
  • 多数の国々ですでに確認され、多数の国々で感染拡大する可能性があるのがオミクロンである。
  • オミクロンは容易に感染するのか、重症化するのか、ワクチン予防接種にどのように影響するのか、これらのことはまだわかっていない。

COVID-19 から自分そして他の人を守るために(以下の絵に示すような)手段をとりましょう。

わたしたちは日々、オミクロンについて追究しています。

さらなる情報はwho.intをご覧になってください」。

故・デビッド=アレックス、ついに国家行事に登場

さて、上述したように、クリスマスそして年末年始の季節に入る前に東チモールは「11月28日」「12月7日」の重要な行事を通過するわけですが、今年は11月27日に極めて重要かつ画期的な行事が実施されました。

「11月28日」行事の一環として、11月27日、バウカウ地方で故・デビッド=アレックス司令官の追悼式典が行われたのです。この式典は「デビッド=アレックス=”ダイトゥーラ”ゆかりの地の想い出を考える」と題して、タウル=マタン=ルアク首相と国防軍のレレ=アナン=チムール将軍そして政府要人が出席した正式な国家行事として行われました。なぜこれを「画期的」とわたしが表現したかというと、故・デビッド=アレックス司令官を東チモール政府が正式に話題として採りあげたのは、これが初めてであるからです。

デビッド=アレックス司令官は解放軍の副参謀長(参謀長はタウル=マタン=ルアク、もう一人の副参謀長はレレ=アナン=チムール)で、人心を掌握し庶民を動員し庶民に希望を与えた知将であり、侵略軍には恐れを抱かせたゲリラの猛者でした(詳しくは、拙著『東チモール 山の妖精とゲリラ』[1997年]や『東チモール 抵抗するは勝利なり』[1999年]を参考、いずれも社会評論社)。

わたしは1996年6月、デビッド=アレックス司令官との接触に成功し、一日に満たない短い時間でしたが、司令官と一緒に時間を過ごすことができました。わたしのこれまでの人生の中で最も幸せを感じた時間とは?と問われれば、躊躇なくデビッド=アレックス司令官と一緒の過ごした時間であると断言できるほど、デビッド=アレックス司令官の人柄と語り口調は決して忘れることができません。残念ながら1996年6月、デビッド=アレックス司令官は敵の手に落ち、命も落としてしまいました。

外国人であるわたしでさえこのような感情を抱くのですから、東チモール人にとってはデビッド=アレックス司令官はまさしく心の支えとなったかけがえのない真の英雄です。ところが、独立を獲得した東チモールの指導者たちはなぜかデビッド=アレックスのことを口に出そうとはしませんでした。このことは人びとのあいだに、例えば、デビッド=アレックス司令官は本当は死んではいないのではないか、デビッド=アレックス司令官の死には裏切り者が絡んでいたかもしれない、デビッド=アレックス司令官のことを語れば不都合なことになるのではないか、指導者たちは何か隠しているのではないか……などなど、指導者たちにたいする疑心暗鬼を生じさせました。これは民衆と指導者たちとのあいだに深い溝をつくる一つの要因ともなってきました。

一方、デビッド=アレックス司令官とともに敵に捕まった地下活動家のジョゼ=アントニオ=ベロは(今年4月まで『テンポチモール』を主宰、5月から公共放送RTTL[ラジオTV東チモール局]の代表を務めている)、殺されることなく釈放されました(この経緯は拙著『未完の肖像』[2010年、社会評論社]の「おわりに」に書いた)。ジョゼ=ベロは、インドネシア軍撤退後の国連暫定統治下のとき、デビッド=アレックス司令官の死の責任をとらせようとする者たちに命を狙われたこともあります。そのときジョゼ=ベロは抵抗はせず、殺すならどこかへ連れていって殺ってくれ、家族の前ではやめてくれ、とかれらにいったのです。かれらも本気でジョゼ=ベロを殺めようとしたのではないと思われますが、何事もありませんでした。しかしデビッド=アレックス司令官はなぜ敵軍に捕まったのか、ジョゼ=ベロはデビッド=アレックス司令官の死に責任があるのではないか、なぜ・なぜ・なぜ……がジョゼ=ベロにつきまとうことになります。わたしはジョゼ=ベロに、悪しき疑惑を吹き払うためにもデビッド=アレックス司令官の死についてその経緯をちゃんと公に説明したほうがいいといいましたが、ジョゼ=ベロはそれは参謀長であったタウル=マタン=ルアクや指導者たちが正式に設定した場でないとだめだ、と応えました。国民の英雄の死にかんすることは、個人ではなくまず政府が向き合うべきであるというのです。なるほど個人的に経緯を説明しようとすれば、自己弁明としか受け止められない可能性があり、かえって大衆を惑わす結果になりかねません。

デビッドアレックス司令官のことを公に語らない指導者たちの態度は独立後この間ずっと続き、デビッド=アレックス司令官を慕う民衆にとっても、ジョゼ=ベロのようにデビッド=アレックス司令官のもとで活動していた者たちにとっても、心の傷が癒されない状況が延々と続いてきたのです、もうすぐ独立20周年記念を迎えようとしているのにもかかわらず。

それがどうでしょう、ようやく東チモール政府主催によるデビッド=アレックス司令官の追悼式典が実現されたのです。11月27日、RTTLはこの模様を中継し、You Tubeにも配信しています。この式典実現に至るまでの事情をわたしはまだ把握できていませんが、とにもかくにもたいへん喜ばしいことです。

ジョゼ=ベロ、涙の証言

11月27日、デビッド=アレックス司令官の思い出を語る集会は約2時間45分かかりました。タウル=マタン=ルアク首相そしてレレ=アナン=チムール将軍がまず発言し、デビッド=アレックス司令官の闘いへの貢献を語りました。内容はごく一般的なものでした。その次にジョゼ=ベロが当時の出来事を証言するためにマイクを握りました。約22分の発言時間でした。ここでジョゼ=ベロは、デビッド=アレックス司令官がどこでどのように捕まったかなど、デビッド=アレックス司令官と作戦実行をしていた具体的な行動を語り、1997年6月25日にデビッド=アレックス司令官が亡くなったことを語りました。これでようやく、デビッド=アレックス司令官の生死問題が正式に公表されたのです。

話し始めて20分ぐらいたったところで、ジョゼ=ベロは自分がここにいるのは言葉の遊びをするためではない、この23年間はとても辛かったと述べ、こんなエピソードを証言しました。インドネシア軍から釈放されたジョゼ=ベロとタウル=マタン=ルアク参謀長がマナトゥトゥ地方に行ったとき、デビッド=アレックス司令官を失ったジョゼ=ベロは、タウル=マタン=ルアク参謀長に自分を殺し下さいと頼んだが、タウル=マタン=ルアク参謀長は笑いながら、ジョゼ=ベロが死んでもデビッド=アレックスは生き返らない、(心の)重荷をおろして生き続けろ、返したというのです。このことを話しているとき、ジョゼ=ベロは涙が頬をつたわるまえにその涙を指でさかんに払っていました。

これでジョゼ=ベロは責任を果たすという長年待っていた瞬間を迎えることができたのです。そしてデビッド=アレックス司令官を慕っている民衆にとってようやく、完全ではないかもしれませんが、モヤモヤが吹き払われたことになります。扉は開かれました。これは東チモール人にとって心の癒しへの大きな一歩になることでしょう。

 

青山森人の東チモールだより  447号(20211225日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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