青山森人の東チモールだより…忍び寄る過去

七回目の非常事態宣言

先月10月10日に29人目の新型コロナウィルス感染者として登録されたパキスタン人の男性は、10月26日に回復者として登録されると、その同日、10月16日に入国したインドネシア人男性(59歳)1名が新規感染者として登録されました。これで東チモールにおける累積感染者数は30となりました。

30日間の非常事態宣言の期間が終わりに近づく月末になると決まったように新たな感染者が現れて非常事態宣言の延長が話題にされることについて、野党CNRT(東チモール再建国民会議)のアラン=ノエ前国会議長は、政府が非常事態宣言を政治的に利用したいのか、何かがあるのでないかと疑惑を抱きました。確かに8月は26日、9月は27日、10月は26日、と月末にそれぞれ1名の新規感染者がでています。これにたいし人権団体は、世界的な脅威となっている新型コロナウィルスを政争の具にしないで警戒を継続していくべきだと国会議員に注文を付けました。

かくして新型コロナウィルスの感染拡大が強まる世界的な傾向をうけて、出入国の規制と国境警備の強化を継続するため、7回目の非常事態宣言が発令されました。期間は11月4日から12月3日まで、お馴染みの30日間です。

因縁の人物・プラボウォ=スビアント

さて気になるニュースが先月10月にありました。インドネシアのプラボウォ=スビアント国防相にかんするニュースです。アメリカ政府がプラボウォ=スビアント国防相のアメリカ訪問を受け入れるのはジュネーブ条約に違反すると東チモールの人権団体・AJAR(アジア・正義と人権)が声明を出しました(10月20日)。アメリカは長年にわたりプラボウォ=スビアント個人にたいして査証の発行を拒んできましたが、国防相に就任するとその査証申請棄却が解かれたといわれています。

プラボウォ=スビアント……東チモールにとって因縁の人物、インドネシア軍と戦った東チモール人にとって “眼下の敵”ともいえる存在です(あるいは“存在だった”と過去形にすべきか)。プラボウォ=スビアントは1970年代後半、東チモールへの侵略軍の軍人として“輝かしい”軍歴を築き上げ、1980年代、独裁者・スハルト大統領の娘婿となり、1995年、44歳の若さで陸軍特殊部隊の司令官に就任、そして1998年3月には陸軍戦略予備軍の司令官になりました。しかし同年の5月、スハルト大統領が辞任に追い込まれると、プラボウォ=スビアントの人生は急転します。インドネシア国内に沸き上がった反体制運動をつぶすための特殊部隊による逸脱した行動が問題視され、プラボウォ=スビアントは軍法会議にかけられ軍籍を剥奪されたのです。しかしプラボウォ=スビアントは転落しませんでした。ビジネスマンに転身したのち政界に進出、2014年と2019年の大統領選ではいずれもジョコ=ウィドドと接戦を交えました。現在、二期目のウィドド政権下では国防相に就任しました。もしかして次回2024年の大統領選挙でプラボウォ=スビアントがインドネシアの大統領になるかもしれません。

まるで忌まわしい過去が東チモールに忍び寄るようなこの状況に東チモール人は心中穏やかではないかもしれません。例えば、東チモール闘争史において最も英雄視されているニコラウ=ロバトを1978年12月31日に死に至らしめたのがプラボウォ=スビアントであり、1989年、ローマ法王が東チモールを訪問した際、自分たちの窮状を世界に知らしめようとする東チモール人の若者たちを弾圧したのもプラボウォ=スビアントです。東チモールの民族殲滅的な惨劇を振り返るときプラボウォ=スビアントの過去がどうしてもひっかかってきます。

ここで10年前の「東チモールだより 第141号」で紹介した『終わりなきアメリカ帝国の戦争 戦争と平和を操る米軍の世界戦略』(デイナ=プリースト著、中谷和男訳、アスペクト、2003年)という本を再度とり上げます。この本の「第10章 インドネシア流の握手」では、アメリカとくにペンタゴンや太平洋軍事司令部がいかにインドネシア軍による東チモール侵略に関わっているか、そしてスハルト大統領退陣から東チモールの住民投票、オーストラリア軍の東チモール派兵にいたる経緯が描かれています。そしてビジネスマン時代のプラボウォ=スビアントがシャナナ=グズマンを抱きしめ、シャナナに敬意を表するところでこの「第10章」は終わります。

つまりシャナナ=グズマンに代表される東チモールの指導者たち、そして東チモール政府としては、プラボウォ=スビアントがインドネシアの大統領になろうともインドネシアとの関係強化こそが重要であって過去を問わないことでしょう。実際、東チモール国防軍のレレ=アナン=チムール将軍は、先述した人権団体の発言にたいし即反論しました――プラボウォ=スビアントは東チモールのブラックリストに載っていない、インドネシア軍が東チモールにやって来たのは好んでそうしたのではなく、国の命令を受けたからだ、かれらの行為は戦争のなかで行われたことだ――このようにプラボウォ=スビアントの過去を問わない姿勢を示し、隣国との良好な関係が重要である旨の発言をしたのです(『テンポチモール』2020年10月21日)。

しかし侵略軍によって人生を滅茶苦茶にされた東チモール人が総じて指導者たちのように過去を問わない姿勢をよしとできるでしょうか。無理にそのような姿勢をとれば心の傷が化膿してしまうのではないでしょうか。いずれにしてもジョコ=ウィドドが大統領選に勝利して東チモールは内心ほっとしたのではないかとわたしは推察します。

去年、プラボウォ=スビアントが大統領候補として勢いを示したことが引き金になったのかもしれませんが、東チモール人のかつての活動家はわたしが尋ねもしないのに1970年代の終わりに受けた拷問の話を自分からしはじめました(※)。プラボウォ=スビアントの軍隊は東チモール人から情報を得るために東チモール人をヘリコプターに乗せ、怪我する程度・死なない程度の高さから落としたというのです。この人によれば、陸では4mぐらいの高さから、海だったら10mぐらいから東チモール人は落とされたといい、この人自身は山で落とされ腰を痛めたといいます。4mとは相当な高さですし、10mは恐ろしいほどの高さです。高さの数値の正確さはともかく、もしこのような行為が本当にあったならば、人道に反する許されない犯罪行為です。

(※)去年、わたしが尋ねもしないのにかつての活動家がわたしにとって初耳であるかれら自身の過去を語ることが多かった。時の経過がかれらの心をほぐしているのか、それとも過去の亡霊に脅かされているのか?…ともかく東チモール人には心の傷の癒しが必要である。

そしてわたしたちは本質を見失ってはいけません。アメリカがインドネシア軍に東チモールを侵略させたという本質を。アメリカがなぜ長年にわたってプラボウォ=スビアントによる査証申請を棄却したのかはわかりませんが、アメリカがプラボウォ=スビアントによる東チモールでの行為を本気で問題にすることはあり得ないことです。なぜならそんなことをすれば結局アメリカ自身が犯罪行為をしたとして跳ね返ってくるからです。それはアメリカの大統領がトランプであろうとバイデンであろうと変わりないことです。

 

青山森人の東チモールだより  第428号(2020年11月18日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion10299:20201019〕