青山森人の東チモールだより…憲法が定める独立宣言日

死者ゼロを更新せよ

早いもので今年もあとわずかな時間を残すのみとなりました。

今年はどの国も、そして誰もが新型コロナウィルスによる感染拡大に翻弄された年といってよいでしょう。

12月は新規感染者がこれまでになく増えてしまい、累積感染者数は現時点(2020年12月31日)で44名(2020年11月30日の時点では30名)になってしまいました。しかし東チモールは新型コロナウィルスによる死者数がゼロの記録を更新中です。このことは称賛に値します。

2020年は”政変”の年

東チモールでは年末を迎える前、まず11月の初旬、死者の霊を慰める「マテビアンの日」(死者の魂の日)、日本でいえば「盆」に相当する季節を迎え、大勢の人びとが墓参りをします。その次に「サンタクルス墓地の虐殺」(1991年)が起こった「11月12日」を迎え、この墓地で追悼式典が行われます。これら一連の行事によって東チモールの人びとは死者への想い、とくに解放闘争に身を捧げた“殉教者”にたいする想いをあらためて強く抱くことになります。

そしてこのあと11月下旬、東チモールは「独立宣言の日」である「11月28日」(1975年)を迎え、12月に入るとシンドネシア軍が東チモールを全面侵略を開始した「12月7日」(1975年)がやって来ます。そして大晦日には、現在東チモールで最大級の英雄扱いをされているといってよい当時のフレテリン議長・ニコラウ=ロバトの命日(1978年12月31日)を迎えることになります。

新型コロナウィルスは世界共通の災禍であるのでこれは除くとして、東チモールにおける2020年最大の出来事とは、出口の見えない「政治的袋小路」に政局が迷い込むなかで第八次立憲政府の最大与党がCNRT(東チモール再建国民会議)からフレテリンに変わってしまうという”政変”が起きたことといえましょう。

CNRTが最大勢力である第八次立憲政府をCNRT自らが国家予算案を否決させることで倒して、連立政権からPLP(大衆解放党)を追放し、CNRTは新たな連立政権を樹立して引き続き政府を牽引するはずでした。ところが連立から追放したPLPの党首・タウル=マタン=ルアク首相が逆に多数派を占める連立を組むことに成功したため、CNRTは一転して野党となってしまったのです。シャナナ=グズマンはタウル=マタン=ルアクにしてやられました。

コロナ禍と”政変”が生んだ時間

CNRTの党首・シャナナ=グズマンは新型コロナウィルスのために海外での活動ができなくなってしまったこととCNRTが下野する事態とあいまって、国内での活動時間をたっぷりと得ることになりました。シャナナはこの時間を利用して全国各地を精力的に遊説し住民との交流に勤しみました。シャナナによる地方遊説の報道を追ってみると、最初は、新型コロナウィルスにかんする啓蒙活動と弱者にたいする食料支援などが交流会での主な活動内容でしたが、しばらくすると、8月ごろからでしょうか、解放闘争時代の話を地方住民に聞かせる活動が加わってきました。そのうち「ノーベル平和賞」受賞者・ジョゼ=ラモス=オルタ氏もシャナナの全国行脚に加わり、シャナナと一緒に解放闘争時代のエピソードを集会で話すようになりました。

解放闘争の指導者だったシャナナたちによる住民とのこうした交流活動は、独立後、本来ならばさかんに行われて然るべきことでしたが、不幸にしてそうなりませんでした。このことで戦争で傷ついた人びとの心がさらに傷つけられたことを鑑みれば、指導者たちによる交流活動は非常に意義深いことであるといえます。

指導者たちによる住民交流に期待する

指導者たちと住民との交流は、さらにまた、「政治的袋小路」の突破口につながるかもしれないという期待を抱かせるという点で意義深いことです。

なぜ、そのような期待をわたしが抱くかというとつまりこういうことです。まず「政治的袋小路」とはつまるところ、シャナナ=グズマン、ジョゼ=ラモス=オルタ、マリ=アルカテリ、タウル=マタン=ルアク、フランシスコ=グテレス=ルオロ、これら解放闘争で重要な役割を果たした国民的指導者・5人が一堂に会し胸襟を開いて語り合うことがなくなってしまった政治状況を意味します。そう考えると、たとえ個別的であっても各指導者による住民との交流会は、国民的指導者たちのまとまりが疎になった政治状況に”喝”を与える可能性を感じるからです。

例えばこうです。フレテリンはシャナナが地方住民に大歓迎され次々と交流会が開かれるというニュースを見聞きして、シャナナの活動は慈善活動なんかじゃない、あれは政治活動だ、と茶々を入れています。おそらくシャナナが次の選挙を見据えて票集めをしているとフレテリンは心中穏やかでいられないのでしょう。ならばフレテリンも住民と交流をしていけばよいのであり、そしてマリ=アルカテリ書記長が解放運動時代の話を住民に語ればよいのです。シャナナ=グズマンとラモス=オルタの二人で住民との交流会を開く一方で、フレテリンのマリ=アルカテリも負けじと同じような活動をすれば、たとえ国民的指導者たちが同じ交流会・集会で顔を合わせなくても、互いに意識した発言が出てくるはずです。そうなれば指導者たちの意思疎通が間接的であってもなされることになり、これが「政治的袋小路」の突破口につながるのではないか…というのがわたしの論理です。

現に「独立宣言の日」である「11月28日」を迎えるにあたり、11月24日、学生セミナーでマリ=アルカテリ書記長は講演し、自分とシャナナの考え方の違いを述べました。住民と交流会を重ねているシャナナと「政治的袋小路」と呼ばれる政治状況をマリ=アルカテリが意識しての発言であることは明白です。このように指導者たちが互いを意識した発言をしていけば「政治的袋小路」を突破する環境が醸成されていくとわたしは期待するしだいです。タウル=マタン=ルアクとフランシスコ=グテレス=ルオロはそれぞれ現役の首相と大統領であるから多忙で住民との交流会を頻繁に開くことは叶わないとしても(ルオロ大統領はやろうと思えばできるであろう、かつてタウル大統領がしたように)、政府重要役職に就いていない1970年代からの国民的指導者たち(シャナナ=グズマン、ラモス=オルタ、マリ=アルカテリ)はコロナ禍で”自粛”して国内の”籠っている”時間を利用して、住民(とくに地方の住民)と交流を重ねていってほしいと思います。そうすれば「政治的袋小路」の要因と思われるシャナナ=グズマンとルオロの関係悪化の解消のきっかけも出てくるかもしれません。

違いの根っこは「独立宣言の日」

さて、マリ=アルカテリ書記長が学生の前で語ったシャナナとの考え方の違いについてですが、それは「独立宣言の日」である「11月28日」(1975年)をかんすることで、これがシャナナとの違いの根っこであるとマリ=アルカテリは述べたのでした。

憲法第一条の第二項目に「1975年11月28日は東チモール民主共和国の独立宣言日である」とあります。マリ=アルカテリによれば、この条文が承認されたとき、1970年代の指導者たちの何人かと国連にショックを与え、このときに指導者たちの間で問題が発生したといいます。そして「1975年11月28日」を「独立宣言の日」としたくない指導者たちは別の日を「独立宣言の日」としたかったが、マリ=アルカテリは、憲法には主権があるのだからダメだと反対したというのです。

これはつまりマリ=アルカテリは、独立準備のための国連統治下で制憲議会(定数88議席のうち55議席がフレテリンが占めた)によって憲法が制定されているときのことを振り返っているのです。まさにこれから東チモール民主共和国が国際社会の承認のもとで誕生しようかというとき、独立宣言をしたのは「1975年11月28日」であると憲法条文に収まることについて、全東チモール人や国際社会が諸手を挙げて歓迎したわけではなかったというわけです。

「1975年11月28日」の独立宣言はフレテリンと他勢力が対立する状況下でフレテリンが独りでおこなったことであるから「1975年11月28日」を「独立宣言の日」とすることに納得できない指導者がいる理屈はわかりますし、これから催されるであろう独立式典(2002年5月20日)のその日が「独立宣言の日」ではないのかと東チモールを暫定統治をしている国連がショックをうける理屈もわからないわけではありません。

しかし、解放軍の故・コニス=サンタナ司令官がわたしに話してくれたように、1975年11月28日にフレテリンが独立宣言をしたのは歴史的事実です(拙著『東チモール・山の妖精とゲリラ』[社会評論社、1997年9月」の184頁を参照のこと)。歴史的事実を消すことがあってはなりません。

マリ=アルカテリはシャナナとはイデオロギーの違いはあるが個人的な問題はないといい、2010年から、つまりシャナナが首相として連立政権を率いていたころですが、シャナナと「独立宣言の日」について統一を図ろうと努力したが結果を出せなかったとセミナ-で告白しています(『テンポチモール』[2020年11月24日]と『テンポチモール』を主宰するジョゼ=ベロ君からわたしが直接いただいた解説より)。

住民との交流会や学生との集会に指導者たちが積極的に参加して、国民的指導者たちが自分たちの問題はどこから来ているのか、広く人びとに示していけば政治的閉塞感は薄らいでいき突破できるはずです。その意味でマリ=アルカテリの上記の発言は重要であり、それを触発したと思われるシャナナの精力的な住民との交流会は大切です。

世界で猛威を振るう新型コロナウィルスの終息と、東チモールが「政治的袋小路」を打破して新しい段階の政治に踏み込むことができるよう切に祈ります。

 

青山森人の東チモールだより  第429号(2020年12月31日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion10436:20210103〕