青山森人の東チモールだより 第347号(2017年6月4日)
祝! 東チモール民主共和国、独立15周年、土俵際の「報道の自由」
15年目の「独立回復」記念日、ル=オロ大統領の誕生
今年5月20日の「独立回復」記念式典は新大統領就任式を兼ねることから、首都デリ(ディリ、Dili)郊外のタシトゥ-ルで、19日夜から、60以上の国の代表が出席して行われ、ル=オロ大統領(62歳)が正式に誕生しました。ル=オロ新大統領は「すべての人びとによるすべての人びとのための」大統領になると述べました(ポルトガル通信社『ルザ』の記事、2017年5月22日)。
ル=オロ新大統領はインドネシア軍撤退後、17年間フレテリン(東チモール独立革命戦線)の党首であったものの事実上の党実力者である書記長・マリ=アルカテリ元首相の補助的存在でした。しかし大統領になるにあたって、党首の座をマリ=アルカテリ書記長に譲り渡し、晴れて(?)党に束縛されない立場となったル=オロ大統領に、自由な言動がみられるかどうかが注目されます。
なお、このル=オロ新大統領就任式にシャナナ=グズマン計画戦略投資相が欠席したと各紙が報じていました。みんなが見えるところにいなかっただけという意見もありますが、例えば『インデペンデンテ』紙は同紙が観測したところ、たしかにシャナナ投資相は欠席だったと報じています。その一方で、同日(5月20日)、2012年に亡くなった故・フランシスコ=シャビエル=ド=アマラル氏(1975年11月28日、フレテリンの第一代目党首として独立宣言をした)の銅像の除幕式にはちゃんと出席しています。ル=オロ大統領誕生のいわば立役者といえるCNRT(東チモール再建国民会議)のシャナナ党首は、来る議会選挙後もフレテリンと連立を組んで権力を維持する公算が大と思われていますが、シャナナ投資相の大統領就任式の欠席はフレテリンとの連立に影を落とす何かがあるのではないかという憶測を呼ぶには十分です。
元東チモール“州知事”が死去
「5月20日」を迎える前日、マリオ=ビエガス=カラスカラン元副首相(80歳)が死去しました。報道によれば、死因は(自動車を運転中の)心臓発作で、その直後、バイクと衝突したとのことです。マリオ=カラスカラン氏は東チモールがインドネシア軍に占領されている時代、東チモール“州”の知事を務めていたことのある人物です。これだけきくと、占領軍の傀儡人物かと思いがちですが、東チモール人の話をきくと、抵抗運動に陰ながら尽くしてきたとのことでそれなりに尊敬を集めている人物でした。
カラスカラン家は伝統的な支配階層に属している一族です。やはりすでに故人となっている兄のジョアン=カラスカラン氏は、1975年フレテリンにたいしてクーデターを起こしたUDT(チモール民主同盟)の党首でした。ジョアンの弟であるマリオは、インドネシア軍撤退後はPSD(民主社会党)を結成し、シャナナ=グズマン連立政権下で短期間ながら副首相を務めたことがあります。
タウル=マタン=ルアク前大統領、PLP党首へ
ル=オロ新大統領就任に伴い、タウル=マタン=ルアク氏(60歳)の身分は前大統領となりました。そして5月18~20日、PLP(大衆解放党)の初の党大会が開かれ、前大統領は正式にPLP党首に選出されました。かつてのゲリラ参謀長の、政権を目指した新たな挑戦が本格的に始動しました。PLPは7月22日投票日の議会選挙で最低15議席獲得を目指し、それには12万6000票が必要とのことです(『ルザ』、2017年5月22日の記事)。
危機に直面した報道の自由
以上のように今年の「5月20日」はその前後に様々な出来事がありましたが、なんといっても注目すべきは、『チモールポスト』紙の記者と編集者にたいする裁判の一件でした。
ルイ=マリア=デ=アラウジョ首相が『チモールポスト』紙の記事によって名誉を傷つけられたとして、ライムンド=オキ記者とその上司であったロウレンソ=マルチンス元編集者を訴えた裁判で、5月16日、検察側はオキ記者に1年の禁錮刑、マルチンス氏に1年の禁錮刑または2年の執行猶予を求刑しました。
デ=アラウジョ首相が財務省の顧問を務めていたときに財務省ビル建設工事に絡んでインドネシアのIT企業に口利きをした疑いがあると『チモールポスト』紙が報じた記事(2015年11月10日)にたいして、事実無根だと首相が激怒し、『チモールポスト』側は誤報を認め訂正したものの、首相の怒りは収まらず、オキ記者とその上司を名誉毀損で裁判に訴えたのです(東チモールだより 第324・333号を参照)。“国際標準”からすれば民事訴訟にすべきであることを、記者と編集者を刑務所送りすることもありうる刑事訴訟という手段をとったことにたいし、報道の自由を萎縮させるとして訴訟を取り消すよう求める国の内外から寄せられる声にデ=アラウジョ首相は一切耳をかさず、とうとう検察側の求刑まで審議が進み、ついに6月1日の判決を迎えることになったのです。
「あれは悪意のない誤報であり、われわれは公に謝罪した」「わたしは汚職者でも犯罪者でもない」「裁判がわたしを刑務所送りにするというならば、うれしいことではないが、わたしはそれに従う。心の準備はできている」と判決の日を迎えるオキ記者の心境を伝えるオーストラリアの『ガーディアン』紙の記事(2017年5月28日、電子版)のなかで、名誉毀損で被告となった先輩である『テンポセマナル』紙を主宰するジョゼ=ベロ記者は、「もしオキとロウレンソが刑務所送りになったら、この国の指導者が報道の自由を圧殺するという新しい時代の幕開けになってしまう」と語っています。
オキ記者は過去にも記事をめぐって実刑が下される可能性に直面したことがあり、そのときも国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは記者に禁錮刑が下されたら、無条件の釈放を呼び掛けるキャンペーンをはるという姿勢を示していました。東チモールの好ましくない「新しい時代の幕開け」になってしまうのか、6月1日の判決が注目されました。
首相、裁判所に意見
ところがこの裁判は奇妙な展開を迎えました。デ=アラウジョ首相は5月30日、デリ地方裁判所に公開書簡を送り(メールか)、被告2名を禁錮刑に処さないでほしいと求めたのです。
判決を2日後に控えた土壇場で、首相の心境に何か変化が生じたのでしょうか。このような行動をとるならば早々に刑事告訴を取り下げればすんだことです。この期に及んであまりに高まる国内外の非難の声に恐れをなしたのでしょうか。あるいはまた、総選挙を控えるこの時期にフレテリンの党員であるデ=アラウジョ首相が報道関係者を刑務所送りにしたとなると党のイメージを損ない選挙戦が不利になるとして党から下された指示に従った行動なのでしょうか。はたまた、被告2名に無罪が下されることを見越して、自らの寛大さが影響した装いを取り繕いがための行動でしょうか。
奇行とも思えるこの行動は、別の視点からすれば権力者による裁判への干渉ともとらえることができます。首相からの手紙は判決には影響はないと裁判官協会は声明を出し、首相はそのような手紙を出すべきではなかったとも述べました。
被告は無罪
かくして迎えた6月1日の判決日、被告2名は訂正記事を掲載し謝罪もしたことから名誉毀損の罪を犯したという十分な証拠はないと裁判所は判断し、オキ記者とロウレンソ=マルチンス元編集者は、誤報をしないよう注意を促されながら、無罪となりました。東チモールの報道の自由は土俵際でのこったといえます。
しかし海外の報道団体から厳しい批判にさらされているいわゆる「メディア法」によって、東チモールの報道・表現の自由は制度的に権力による監視のもとに置かれ、依然として土俵際に追い込まれていることには変わりはないのです。「報道の自由」「表現の自由」が危機にさらされている状況は、日本人としてもとても他人事ではありません。
~次号へ続く~
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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